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2024/01/22

乙女文楽 義経千本桜 道行初音旅、 奥州安達原 袖萩祭文の段 の公演

 公演は2024.01.20(土)で、開演は1500、場所は川崎市国際交流センターである。その場所は東急目黒線の元住吉駅西口から商店街を通って、途中で右折して、その後五差路のような交差点を通って、歩いて10分以上ある場所で、行き方は複雑であるが、大きな施設なので見つけやすい。公演場所はその1Fホールであるが、芝居小屋のようなこじんまりした建物ではないので乙女文楽をやっているというイメージではない。またこの日は昼から雪が混じりそうな雨になっていて寒かった。

ホールはロールバックチェアでその席数は264名収容であり、乙女文楽にとってはちょうどよい大きさで、客席勾配もあって見やすく聞きやすい。しかもほぼ満席状態であった。人形が演じる舞台は引き幕のある舞台で、浄瑠璃や三味線は舞台上手側に三角形の張り出し舞台を設置して、そこで演奏していた(写真)。天井はおそらく岩綿吸音板で、学校の教室のように響きが抑えられていて、浄瑠璃には好ましい響きであった。ロールバックチェアは施設所有者には体育館のように使えたり、劇場のように使えたりで便利なものであるが、観客にとっては椅子が安定していずまた背が低いので、少し不便なところもある。

写真:芝居が跳ねた後の主舞台および浄瑠璃の舞台の写真

乙女文楽はチラシによれば大正末期から昭和初期に五世桐竹門造らによって誕生した一人で行う人形遣いで、人形の仕組みと操り方に様々な工夫がされている。ひとみ座乙女文楽は五世桐竹門造の直弟子の故 桐竹智恵子に1967年から教えを受けたようで、2018年には川崎市地域文化財として、顕彰されているとのこと。※昭和元年は1926年、今からおよそ100年前になる。

義経千本桜 道行初音旅は、巴御前がもっている鼓の皮は狐からつくられているが、その狐の子狐が、巴御前の家来の佐藤忠信に化けて、その鼓を慕いながら巴御前の後についていきながら、ときどき子狐が巴御前に近づき、親に甘えるようなしぐさをして、巴御前を不審がらせるという物語である。主人公は巴御前でも佐藤忠信や吉野の桜でもなく、鼓と子狐である。誰がこの物語を作ったのだろうか。すごい発想だ。

奥州安達原 袖萩祭文の段 公演のチラシには、平安の世、先頃朝廷に滅ぼされた奥州の豪族、安倍一族の再起をかけた陰謀が底流にあり、「平安」時代の言葉とは違う壮大な権力闘争が描かれている。主人公の袖萩は、ある浪人者と恋に落ちしていたが、結局は分かれてしかも盲目となり、門付芸人となって身をやつしている。親は宮の守護役であるが、弟宮が誘拐されて、その責任を問われている。その娘の袖萩は親から勘当されていたが、心配になって、子供を連れて雪の中、親の家に行くが、勘当された身で、許されず、家の中に入れてもらえない。ただ袖萩の母親は袖萩のことが心配で、袖萩に門付芸人として歌を歌ってもらったり、また自分の着物を提供したりして、気持ちが通い合っていることが伝わってきた。結局袖萩の持っていた手紙からかつての恋人は安部一族で、宮の弟を誘拐した犯人と判明し、壮大な権力争いの物語が底流にあることを示している。

 この人形浄瑠璃は乙女文楽という名前であるが、別に乙女でなくとも人形遣いとしては一人で操作する人形浄瑠璃があってもよく、とても素晴らしく思った。たかが人形を人が操っているのだが、人間のように、または人間以上に感情が伝わってくるのが興味深い。また公演は20日の11時からおよび15時から、さらに次の日の11時と15時となっていて、2日続けて更に午前午後の2回公演は、浄瑠璃を大声で演じるので、大変な回数と思われた。またいつも浄瑠璃を竹本越孝、相方は三味線の鶴澤寛也となっていたが、今回は鶴澤津賀花であった。今回は鶴澤寛也がいないので、なぜかとインターネットで調べたら、昨年3月に62歳で亡くなったとの訃報があった。竹本越孝と鶴沢寛也は横浜ボートシアターの公演にも来てくれていて、話をしたこともあり、何となく親しく、寛也がいないのはとても残念だ。