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2023/03/25

防振板ゴム 硬度40度 大きさ40×40×厚25を1000個購入

 防振板ゴムは、生産の効率から、原反1ロット1m×2mの大きさの板ゴムから切断していく。もし防振板ゴムの大きさが40×40の場合には、切り代も入れるとほぼ1000個ができる。しかし6畳程度の音楽練習室では、せいぜい100個程度しか使わない。マンションの改修のようにすべての部屋で防振板ゴムを使う場合には、改修する面積が大きいので数量が少なすぎるという問題は無いが、6畳の大きさの音楽練習室では一部屋しかないので、1000個分の大きさの防振板ゴムを作っても、100個の残りの分約900個は場合によっては廃棄するような状態になり、想像以上の費用が必要となる。そこで小規模の場合にも困らないように1000個を注文して、6畳大の大きさの音楽練習室をたくさん受注して、適正な値段で使えるように考えている。防振板ゴムの製造は日東化工株式会社、販売は株式会社レゾナンツ・テクノロジー、ただしゴムのばね定数を実験によって求めているため、本品は特注としています。

          

          写真:防振板ゴム 硬度40度 大きさ40×40×厚25

2023/03/24

源氏物語巻二 花散里の最初の方にある文、箏、琴、和琴

 70歳を過ぎてから、今頃はじめて源氏物語を読み始めました。この世界についていくことがなかなか大変ですが、源氏物語巻二 花散里の最初の方に以下のような興味深い文があります。

「風情のありそうに繁っている奥から、美しい音色の箏(そう)の琴(こと)を和琴(わごん)の調子に整えて合奏し賑やかにひいているのが聞こえてきます。」注:()内は訳者の瀬戸内寂聴がフリガナをふってくれている。なかなかむつかしい言葉が並んでいます。 これをGoogle 翻訳をすると以下のような文章になり、kotoが三か所も出てきてしまう。

From the back of the room, which seems to be full of atmosphere, you can hear the lively ensemble playing the beautiful koto koto to the tune of the Japanese koto.

しかし自分の頭の中も似たような感じで、それぞれのkotoの違いはわかりにくい。箏曲演奏家、福田恭子氏の2015.11.05の筝曲口座のブログで説明があります。『「琴」という漢字で「きん」と呼ばれる楽器は、古代中国の「七絃琴」として知られる絃楽器を指します。琴柱(ことじ)や琴爪は用いず、徽(き)と呼ばれる13個の目印により左手の指で絃の長さを区切って音程を作り、右手の指で絃を弾きます。』 これに対して、筝については『奈良時代に中国の唐から十三本の絃を持つ楽器が日本に伝来しました。それが「箏」で、現在一般的に知られているものになります。箏の胴の上に立てられた柱(じ)という可動式ブリッジを動かして音の高さを決めるのが特徴です。そして、右手の親指・人差し指・中指に箏爪を付けて演奏します。なお、「箏」という字は訓読みで「こと」、音読みで「そう」と読みますが、楽器の名称としては「こと」と読むのが一般的です。確かに平安時代には「筝(そう)」あるいは筝(そう)のこと(・・)」と呼ばれていました。』

さらに和琴については『和琴(わごん)や伽耶琴(かやきん)にも「琴」の字が含まれていますが、これらには柱(じ)がありますので、「琴」と付くものがすべて柱()がないというわけではないようです。』と有りました。

要するに源氏物語の「箏(そう)の琴(こと)」とは現代のことばで言えば、「箏」のことをさしていることがわかります。それでは「和琴(わごん)の調子に整えて合奏し」の意味はどんな音でしょうか?

和琴のWikipediaには以下のような事が書かれていました。

宮中の祭祀にて奉仕され国風歌舞(「神楽歌」「久米歌」「東遊」「大和歌」など)の伴奏に用いられる。雅楽の楽器のなかではもっとも格が高く、古くは位の高い者のみ奏することができた。現在では、主に宮内庁楽部の楽長が奏する。弥生時代から古墳時代かけての遺跡から、和琴の祖形とみられる木製の琴や、琴を弾く埴輪が出土している。『源氏物語』では、古代中国の士君子の倫理性を担った琴に対して、日本伝来の遊楽を楽しむ和琴が対比され、琴は礼楽中心の楽器、和琴は自由な発想を持った楽器として描かれた。』

東儀秀樹のYOUTUBEで「和琴」を聴いてみると、単にゆったりとした音楽で、サックスのリードのような長い箏爪でつまみながら、音が低い方から、または高い方からすべての6弦を引き流す弾き方で、繰り返し弾きます。そのほかのYOUTUBE和琴「菅掻(すがかき)※」二齣二返(ふたこまにがえし)一松神社もとても似ていました。その後、日本雅楽教会の第八回雅楽公演「特別編~心を込めて~(疫病退散・繁栄祈願)と題して、公演があり、最初に「雅楽管弦平調 越天楽」という管弦楽があり、和琴も演奏されていた。これはやはりゆっくりとした曲ですが、いくつかの楽器が演奏していて、華やかな感じもあります。しかしこの管弦楽は様々な楽器がありますので、華やかな感じもしますが、和琴の弾き方としては、ボロロンと弾く菅掻の方法が主ではないかと思われます。しかもYOUTUBEの弾き方はゆったりとしていますが、低い方からと、高い方からの弾き方と二通りあり、少しはリズムの強弱があってもいいかもしれません。「和琴(わごん)の調子に整えて合奏し賑やかにひいている」ということは基本的なリズムは「管掻」の方法で伴奏しながら、何台かの箏で合奏している状態で、したがって華やかに聴こえるのではないかと思われます。どんな曲だったか知りたいような気もしますが、そういえば源氏物語は宮廷を舞台にした物語となっているので「和琴」の音も身近なものだったと思います。

精選版 日本国語大辞典:菅掻:和琴(わごん)の奏法の一つ。もっとも単純で基本的な手法で、全部の弦を一度に弾いて、一本の弦だけの余韻を残すように、他の弦を左指で押える。向こうから手前に弾く順掻と、手前から向こうに弾く逆掻と二通りある。本来は菅をもって掻いたことから出た名称ともいう。

この話の箏と和琴の音は家の外で聞いているので、現在の騒音対策の立場からは「騒音」と言われて文句が出てしまうような状況ではないかとも考えられる。これが毎日、隣から聞こえてきたらやはりうるさいと思われるかもしれない。しかしたまには箏の音色が聞こえてくるのも雰囲気を感じる音だと思っている。

2023/03/06

ハンス・ホラインデザインのレバーハンドル

 最初にこのレバーハンドルを見たのは、ホラインがデザインしたウイーンのハースハウスの建物の事務所の入り口のドアところです。ハンドルのつけねのところで折れ曲がっていて強い意志を感じるものでした。もう30年も前になります。15年ほど前になりますが、我が家の木戸を老朽化のために取り換えることになり、このレバーハンドルを思い出し、変更しました。

ホラインはこのブログでも紹介しました。「ハンス・ホラインの死」と題して2014424日に亡くなったことを紹介しています。http://yab-onkyo.blogspot.com/2014/08/ ホラインとは、第二国立劇場設計コンペ(198586)、東京フォーラム設計コンペおよび奈良市民ホールで一緒に参加させていただいています。第二国立劇場では優秀賞も得ています。実は第二国立劇場の設計コンペが国際コンペになった時に当時の企画部の部長から共同設計の相手として誰がよいか頼まれていました。候補としてはずっとドイツの建築家がよさそうだと思っていましたが、デザインが気に入らず、2年間ほど考えていましたが、ある時、設計事務所の後藤真理子さんのところに、ピアノ練習室の音響設計の打ち合わせにいきましたら、打ち合わせ室にホラインのフランクフルト現代美術館の設計中の建物がポスターになって張られていました。それを見た瞬間にホラインと一緒にやりたいと気が付きました。帰ってから社内の了解を得て、ホライン事務所にFAXをして、何度かのうちに交渉が成立しました。これの中継ぎをしていただいたのは、ケルンメッセ日本支店の宮崎さんを通して、ケルンメッセウイーン支店のゲゼルさんです。設計コンペが始まって、ホライン事務所に行って作業がはじまりましたが、ホライン事務所の担当は衛藤さんという人で、ホラインとの共同設計のきっかけとなったこのポスターのフランクフルト現代美術館の工事監理を担当していました。

また奈良市民ホールの設計コンペでは、審査委員長は黒川紀章で、ハンス・ホラインは磯崎新と設計を競って敗れたのですが、設計コンペが終了した後、ニューヨークで奈良市民ホールのコンペの展覧会がMOMA注後出であり、コロンビア大学で記念シンポジウムがありました。そのご苦労さん会が、ニューヨークのホテルでありました。私は同僚の松本聖一郎さんとブロードウェイのミュージカルCATSを見た後でホテルに戻りましたが、ドアの下に招待状があって、大急ぎでホテルに駆け付けましたら、一つのテーブルに、黒川紀章夫妻、ハンス・ホライン夫妻、フィリップ・ジョンソン、磯崎新夫妻、工藤国男(コロンビア大学)、私+松本さん、リチャード・マイヤーと新建築担当者2名がいらっしゃいました。工藤国男さんは私と同じ東京工業大学の5年ほど先輩にあたり、そのドクター論文「計画論」を提出したときに調査や実験などの研究でなく、審査が困難な建築論であったので、名前が知られていました。

このレバーハンドルをもって出入りするたびに、ホラインに握手をする気持ちになります。とともに、昔のことを思い出しています。


写真:MOMAで開催された奈良市民会館の設計コンペの展覧会(左ページはパンフレットの表紙と1位の磯崎案、次ページはその2ページ目で、ホライン案が載っている。パンフレットは松本さん貸与)