2022年11月13日(日)10時に建築家の平井さんと小田原駅で集合して、箱根登山鉄道でひと駅行った箱根板橋駅から歩いて10分か15分のところにある古稀庵(こきあん)に向かった。場所は駅から案内の地図があって無事に行けたが、山の方に向かって登っていく必要がある。この地域は大正12年の関東大震災までは別荘地として人気があったようだ。
古稀庵(こきあん) は現在、あいおいニッセイ同和損保の小田原研修所になっていて、コンクリートの落ち着いたデザインの建物になっている。ただ庭園は山縣有朋がデザインを指揮した自然を大事にしたデザインが残っていて、目白の椿山荘、京都の無鄰菴(むりんあん)とともに自然主義的庭園として傑作と言われている。我々が行ったときには、同時に学生か研究者のような集団が20名ほど、この庭園を見学していた。庭園には流水もあって水はとうとうと流れていたが、水源をつくってそこから水を引いているとのこと。また庭にはモミジもたくさん植えてあって、もうじきモミジの紅葉がきれいだと想像できた。またかつては家や庭から相模湾も望めたのではないかと思った。ただ入場料は100円が必要で、庭の維持・管理料となっているが、建物は木造の平屋が良かったと感じている。しかし本来は山縣有朋が住んでいた建物は2階建ての洋館だったようだ。山縣有朋は第3代、第9代内閣総理大臣だったようだが、70歳になって明治40年にここに移転したようだ。建物の名前は70歳を祈念して古稀庵と名付けたようだが、ここに85歳(大正11年(1922))まで生活して、来客は頻繁に訪れたようだ。
ほぼ隣は山側になるが皆春荘で、第23代内閣総理大臣だった清浦圭吾の別邸であった。明治40年に土地が購入され、大正3年までここに住んでいた。建物は現在でも残っており、最も東にあるのは8畳の茶室で、庭をよくながめられる。流水もあったようだが、現在は、水は流れていない。この庭の設計は南側の庭園を設計した山縣有朋が関係しているようだ。清浦が亡くなった後、山縣有朋の別邸の別庵として編入されたようだ。ここからも多分相模湾が望めたと思われるが、現在は建物の影響で見ることができない。この建物はほぼ10年前まで人が住んでいたようだが、現在は単に空き家で見学ができるようになっている。本来は価値のある施設として、もう少し管理が行き届いているといいと思う。
この敷地の道路の反対側は、大倉喜八郎の別荘であったが、現在は山月という旅館となっていて中へは入れなかった。
小田原という我が家にもそれなりに近いところに、このような別荘群があり、平井さんのおかげで興味深いところで一日を過ごすことができた。
写真:古稀庵(こきあん)
写真:皆春荘(かいしゅんそう)