先月、「都市の中の心地よい音」というブログで、トレヴァー・コックス(Trevor Cox)著の「世界の不思議な音」(英文題「The Sound Book The Science of the Sonic Wonders of the World 」)をご紹介した。
この中の「音のある風景」の章で、都市の象徴的な音「サウンドマーク」は「ランドマークと同じく多様性に富む」とし、カナダのバンクーバーの汽笛、シリアの水車のうなり、アメリカ南西部ではアムトラックの警笛、そしてロンドンを代表する音として国会議事堂の時計台にあるビッグベンの音をこのように紹介している。
「ビッグベンは新年を迎えるときに鳴らされ、何十年もニュース番組の冒頭で流され続け、休戦記念日(アメリカでは「復員軍人の日」と呼ばれる)には二分間の黙祷の開始を告げるのにも使われる。」と、非常に日常に浸透した音であることがわかる。
「大鐘が鳴る前に、鐘楼の四隅にある四つの鐘が有名な「ウエストミンスター・チャイム」を奏でる。」それに続きビッグベンの大鐘が10回ならされるそうだ。少し、この鐘の音について内容をご紹介する。
「まず金属がぶつかりあうカーンという音がして、それが次第に弱まるにつれ朗々と響く音になり、二〇秒ほど続く。最初のハンマー音の打撃から生じる音は高周波成分が多いが、それはすぐ消滅し、もっと穏やかな低周波数の響きが残ってゆったりとした震音を発する」。この震音とは二つのわずかに異なる周波数が重なると発生する唸りのことで日本の鐘にもある現象である。
「鐘の場合は対称性によって、というか正確には対称性の欠如によって、震音が生じる。完璧な円形でない場合、鐘はうなりを生じる二つの近接した周波数をもつ音を出す。教会の鐘を新たに鋳造するときには、西洋の鋳造所ではそのような震音は避けたいと考えるのは普通だろう。ところが韓国では、この効果は音の質を決定する大事な要素とみなされている。西暦771年に鋳造された聖徳大王神鐘は、「エミレの鐘」という呼び名の方がよく知られている。この鐘を鳴らすと「エミレ」(お母さん)と子供が泣き叫ぶような音がすると言われている。言い伝えによると、鐘の音を響かせるために鋳造師が自らの娘を人身供養としてささげさせられたという。 ビッグベンが明瞭な唸りを発するのは、いくつかの傷のせいで二つの周波数が生じるからであり、傷の一つははっきりと見て取れる。私は30年ほど前に、数カ月ウイーンで生活したが、昼と夕方など、定時に近くのセント・エリザベス教会の鐘が鳴るのを毎日聞いた。その鐘の音は、日本の鐘の様には唸ることはなく、「ガーンガーン」と、まるで私はここにいるから来なさいと言っている感じで鳴る。しかし、ビッグベンの音は日本の鐘の様に唸るのだ。ビッグベンの鐘の音を、ロンドンの人はどのように聞いて感じているのだろうか。
『参考文献:S.-H.Kima, C.-W.Lee, and J.-M,Lee “Beat Charcteristics and Beat Maps of the King Seong-deok Divine Bell” Journal of Sound and Vibration 281 (2005):21-44』」
韓国の鐘は聞いたことがないが、きっと日本の寺の鐘と同じように唸りがあるのだろう。私にはお寺の鐘の音は、仏壇の鈴(りん)と同じように、唸ることで願が天に伝わるような気がする。また別の本であるが、笹本正治著「中世の音・近世の音 鐘の音の結ぶ世界」には、鐘の音は「この世とあの世を結ぶものとして意識されている」との記述がある。
かつて特に中世では、寺の鐘は昼と夜の境を知らせる身近な関係にあったと思われる。
しかし今や日本の都市の中でお寺の鐘の音は騒音にかき消されてしまって、あまり象徴的な意味が少なくなっていると思われる。祭りのお囃子やお神輿の声でさえも、身近な音ではなく単なる騒音として感じられるようになっている可能性がある(祭りの音にクレームが出ることもある)。音楽はコンサートホールの中にのみ存在できる状態がある。
歌舞伎に「夏祭浪花鑑」という話がある。主人公が訳あって人をけがさせ刑務所に入り、出所してやっと故郷に戻ってきたばかり。夏祭りの音が生き生きと聞こえる。しかしその後、人を助けるために格闘の末に、また悪人をあやめてしまう。人生が思い通りにならないやる瀬なさのなか逃亡しようとし、ふと気がつくと、今度はお祭りのお囃子の音がしだいに遠のいて聞こえている、という表現がなされる。これは、お祭りが人々に身近な時代の物語である。
一方で、お囃子を復活させようという動きもあり、今、我町も毎週1回、近所の集会所でお囃子の練習が行われている。地元で身近な音になるといいと思う。