コンサートのチラシには「演説歌から始まる演歌も壮士達の政治的心情を伝える悲憤慷慨的な歌から、添田唖蝉坊の登場によって庶民の「心に沁みるうた」へと変遷し、そこから長歌とよばれる物語うたも誕生していく。その代表作『嗚呼踏切番』『おじさん助けてくださいな』『四季の歌(第二次)』等は戦時下の社会の犠牲となった女工、娼婦、下層労働者の悲哀を切々と歌い上げた秀歌。」とある。
演奏者はジャズのドラマーで、ピータブルック劇団の演奏家・音楽監督として活躍し、梁塵秘抄を歌った故桃山晴衣の夫である土取利行で、三味線の伴奏による歌である。土取氏は今回のコンサートはとくに『嗚呼踏切番』を歌いたかったと。それは、碑文谷の踏切番とさげすまされながらも、24時間、雨の日も風の日も踏切に立ち、ある時、ふっと居眠りをしたときに踏切事故を止められず、その責任を感じて自らも枕木に寝て自殺をするという悲惨な話を歌にしたものである。
ところで3月16日の朝日新聞朝刊の天声人語には3月1日の東武伊勢崎線竹ノ塚駅近くの踏切事故のことが書かれていた。10年前にも同じ場所で女性4人が死亡した。それは保安係が誤って遮断機をあげてしまった結果だと書かれている。似たような話であるが、その後手動式だった遮断機を自動化して、警備員も置いたにもかかわらず、今回の事故になった。踏切事故に有った人も、また警備員も悲劇である。
いまだに添田唖蝉坊の歌が必要になっている。災害や事件が多い特に今は、弱者の命への共感が必要である。
添田唖蝉坊の歌は政治性や社会性の強いものであるが、はたして明治の終わり、日露戦争や満州侵略など戦争の時代が始まっている時に、彼はどのような場所・劇場で演奏したのかにも興味が有る。ちなみにシアターχの本コンサートは満席で有った。