ホラインとは、第二国立劇場設計コンペ(1985~86)、東京フォーラム設計コンペおよび奈良市民ホールで一緒に参加させていただいた。第二国立劇場では優秀賞も得た。
5月5日に葬儀の案内が届いていた。毎年届いているホラインからのクリスマスカードにあったサインがそういえば昨年はなく、気にかかっていたが、その4ヶ月後のことであった。
ホラインは30歳の頃に設計した、アルミインゴットの様な、わずか10坪のレッテイ蝋燭店でプリツカー賞を受賞(1985年)している。
By Thomas Ledl[CC-BY-SA-3.0], via Wikimedia Commons
また田園風景の中に巨大な航空母艦をコラージュした「航空母艦都市」で、膨張する暴力的な都市に警告を発する。車のグリルの形をした超高層でAll is Architectureを表現。
シューリンⅡ宝石店のファッサードの鎌の形はシンボルとして、建物の機能をこえる象徴としてポストモダン建築では鎌の形が模倣され流行った。
ミエンヘングラートバッハ美術館のWalk On Buildingの概念も多くの影響があった。
いずれも明確な概念をうち出していた。
第二国立劇場の設計コンペの仕事をしていた時のことである。ホラインは、たくさんのスケッチをトレペの巻紙に行い、我々にも意見を尋ねていた。大劇場と中劇場の間にコロナードを配したが、そのコロナードが曲線に変更された瞬間の感動も忘れない。
ホライン事務所にて |
ホライン事務所には衛藤さんという日本人のスタッフがいて、第二国立劇場プロジェクトのチーフだった。彼から、ホラインの葬儀の後に電話があり、当時いた人で今も残っているのは模型担当のエアリッヒさんだけだといった話をした。
最後に仕事をしてからだいぶ経っているが、いつかまた共同設計ができればと思っていた。しかし残念ながら実現ができなかった。昨年ホラインの作品集が出版された。その中の二国コンペの写真には、提出した模型よりも精巧な模型が載っていた。
ホライン作品集より 第二国立劇場コンペ模型 |