小さな旅「春呼ぶ芝居小屋~福岡飯塚嘉穂劇場~」(3月29日(日)朝8:00)の番組を見ました。6年前の復興以来始まった3月の新春公演を町の人が楽しみにしているという話でした。
嘉穂劇場は昨年の夏に音響測定を行ったところで、なんだか懐かしく思い出して見ていました。番組の中で紹介された若い娘さんが、自分が一番好きな座席だと教えてくれたのは、仮花道と舞台の交点で、観客席も見渡せ、舞台へも役者と同じレベルで見ることができ、しかも舞台裏の役者の動きも良く見える席でした。
現代の一般的な劇場にはこのような席はありませんが、馬蹄形のオペラハウスや芝居小屋には、舞台と観客席を横から見る席があります。そういった席は、観客と役者がお互いによく見えるだけでなく、自分も他の観客から見られます。このように観客同士が見る見られる関係があることによって、観客同士、一体感が出てくるのではないかと思います。しかも芝居小屋には、花道と仮花道が観客席の中を貫通しており、ここを通る役者の汗や息遣いや化粧の香をかぐことも出来ます。役者の声も観客席の上を飛び交います。これこそ臨場感といえるのだと思います。
現代の劇場では、観客は舞台への視線しかなく、まるで教室のように、舞台に集中するように作られていますが、舞台と観客が一体となって楽しむには不向きな構造といえると思います。
3月18日(水)、都響の東京文化会館で行われた定期公演に行ってきました。指揮は、友人のキンボー・イシイ=エトウです。曲目はラベルが4曲、ラロのヴァイオリンコンチェルトが1曲で、感情が伝わってくるすばらしいコンサートでした。
このときに頂いたパンフの中で、小宮正安氏の、「オーケストラを「見る」」という文章が興味深いものでした。「音楽は見るものだ」という諺が生まれたハイデルベルクで、20世紀初頭に、オーケストラの前に衝立を置いて演奏会が催されたことがあるそうです。演奏家の存在は、音楽への集中力の妨げになる要素と考えられたそうです。もちろん人々の賛同は得られず消滅してしまいました。
また、ワーグナー(1813~1883)のバイロイト祝祭劇場では、楽団員はおろか、指揮者もオーケストラピットに覆い隠してしまい、これは観客には舞台へ集中してもらいたいというワーグナーの意向の反映だそうです。ワーグナーはこの劇場を建てるに当たり、客席のどこからでも舞台を望めるように、古代ギリシャの円形劇場を念頭に置いて作られたと説明されています。しかし皮肉な話ですが、オーケストラの語源は古代ギリシャ劇場の合唱隊が歌った半円形の場所をオルケストラといったことだそうで、合唱隊は、楽器を奏でるだけでなく積極的に演技もしたそうですから、観客からは良く見える位置にいたということです。
小宮氏は「やはり演奏会には聴覚だけでなく、視覚も欠かせないということです」と結んでいます。我々が習った当時の建築学科では、このバイロイト祝祭劇場が、近代劇場のはじまりとされていました。舞台と観客の一対一の関係です。それを見直す時期に来ていると思います。