10月18日(土)、19日(日)、第14回 全国芝居小屋会議が、豊岡市出石(いずし)町永楽館(写真1)にて開催されました。永楽館は、今年8月に復原オープンされ、8月1日から5日まで、片岡愛之助さんを中心とした杮落公演が行われた芝居小屋です。我々も、8月23日に音響測定を永楽館で行いました。
写真1 永楽館
永楽館は明治34年に建設されましたが、テレビなどの娯楽文化の影響で、昭和39年に閉館を余儀なくされ、それから44年間閉館の状態でした。しかし、昭和62年に兵庫県町並みゼミで、城下町出石町の町づくりの核として評価され、復原運動が始まったようです。平成10年には、町の文化財の指定を受けて調査が始まり、やっと平成18年より復原工事が始まり、完成に至ったようです。周辺の城下町地区は、国の重要伝統的建造物群に昨年より選定されているそうで、とても江戸情緒のある美しい町並み(写真2)です。
写真2 町並み
全国芝居小屋会議の1日目(写真3)は、最初に、中野勘太郎一座による公演『大石りく・女忠臣蔵』がありました。大石内蔵助の奥方、りくは豊岡出身だそうで、そのしっかりものの、大石りくを主人公に描いたもので、腰砕けで、情けない大石内蔵助を討ち入りに導く話で、現代の夫婦にも良くありそうな話しになっていて、とても楽しめました。
写真3 『大石りく・女忠臣蔵』
次に、永楽館の復原工事について、設計事務所の福岡さんと大工の田中さんから説明があり、さらに「永楽館の復原と町づくりについて」と題してフォーラムが開かれました。中貝市長は、昔からのものを大事にして引き継いでゆくことが重要で、長い歴史の中にいると、穏やかな気持ちになる、とおっしゃっていました。それだけでなく、それを財産として大事にしたところ、10年前には一人も観光客が来なかったところに、年100万人もの観光客が来るようになり、経済的にもペイするようになったそうです。この出石の名物は、永楽館、出石そば、町並み、野生のコウノトリとのこと。夜は交流会、夜鍋談義があり、来年の芝居小屋会議は、ながめ余興場で行われることが発表されました。翌日は、コウノトリグランドホテルに会場を移し、総会の後、木造芝居小屋の音響特性について発表を、神奈川大学建築学科の4年生小口さんと一緒に行いました。
木造芝居小屋は、邦楽のための好ましい音響空間を研究するためには、非常に貴重な空間であるという発表を行いました。残響時間などの物理的なデータの説明と、また、さまざまな音楽を無響室にて録音したものとインパルス応答の分析結果との重ねあわせによって、あたかもそこで演奏されたかのような音楽をシミュレーションにより作り出したものを皆さんにも聞いていただきました。無響室録音された音楽は、朗読、篠笛、三味線、ヴァイオリン、フルートなどによるものです。またさらにダミーヘッドによる同様のシミュレーションを行い、拡がり感や方向感についても聞いていただきました。今後とも芝居小屋の音響の研究で、芝居小屋の復原と町づくりにお役に立てればと思っています。
また10月25日(土)には、浅草寺境内に設置された平成中村座の仮名手本忠臣蔵を見てきました。テント小屋(写真4)ですが、木造芝居小屋の雰囲気が良く出ていて、大変楽しめました。5時間の長丁場なので、腰や背中が疲れましたが。この話も、討ち入りの前の、由良之助の息子 力弥を慕う、とある家老本蔵の娘 小浪、本蔵の妻 戸無瀬、さらに由良之助の妻 お石に焦点を当てたもので、事件が、娘 小浪の幸せに生きたいという気持ちをも打ち砕いてしまったという悲しみも表現され、心に訴えかける物語でした。
写真4 平成中村座
2008/10/28
2008/10/17
カザフスタンで民俗音楽を聴く
9月23日から10月1日まで、カザフスタンの民族音楽を聴きに、アルマティおよび新首都のアスタナに行ってきました。アルマティは天山山脈の北側の麓(写真1)にある、旧首都です。天山山脈の南側はキルギスタンで、このあたりは昔のシルクロードです。カザフスタンの民族音楽は、遊牧民の音楽です。
写真1 天山山脈の北側の麓
24日の晩は、クラシックコンサートをアルマティオペラハウスで聴きました。モロデジュニ交響楽団によるコンサートで、昔のソ連邦の国々から選りすぐりの若い音楽家たちを集めた楽団です。曲目はベートーベンのエグモント序曲、ラフマニノフのピアノコンチェルトNo.2、ヴェルディ、ロッシーニ、ヨハンシュトラウスなどで、表現豊かに音楽を楽しんでいるといった演奏で、非常にレベルが高かったです。聴衆も、若い人が多くクラシック音楽が生活に溶け込んでいる感じがしました。ここはオペラハウスなので、音響はどうだろうと気にしていたのですが、舞台の幕類は紗幕(写真3)のような薄いもので、ほとんど吸音しないようなものでした。舞台の壁はコンクリート打ち放しのため、ホール全体はかなり反射性となっていると思いました。ベルベットの幕はこのコンサートのためにはずしたのだと思われます。
写真3 舞台の幕
ちなみに、このオペラハウスは、第二次世界大戦のときに、日本人の捕虜が建設したものだそうです。以前に、大きな地震がアルマティを襲ったとき、このオペラハウスだけは壊れなかったそうで、それにより日本人に対する評価は今も高いとのこと。
アルマティオペラハウス
左:友人/右:テン氏(作曲家)
翌25日はアスタナに行き、26日の夜はアスタナの民俗音楽用のホールである大統領文化センターに行ってみましたら、たまたま詩人の講演会があり、その詩に曲をつけて、2弦のマンドリンのような民族楽器ドンブラや、コブスという2弦の弓で弾く楽器の演奏されました。詩の朗読も演奏も電気で拡声をしておりましたが、スピーカが両端にあり、音が片方のスピーカからしか聞こえず、少々騒がしく臨場感に欠けるものでした。(写真4)
写真4 大統領文化センターでの演奏
翌27日には、そのホールで音響測定をお願いしたところ、OKしていただき、その後、ドンブラやコブスや7弦の琴ゼティゲン、3弦のセルテルなどによる演奏を10名ほどの演奏家により聞かせていただきました(写真5)。ドンブラの演奏者はヴァイセノル・アルセン(写真6)という人で、有名な演奏者だそうです。
写真5
写真6 ドンブラ奏者 ヴァイセノル・アルセン氏
コブス
ドンブラのアンサンブル
28日は再びアルマティに戻り、29日には、コンセルバトワール(音楽大学)のホールにて音響調査を行いました。そして学生によるドンブラとコブスおよびバイオリン(バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタNo.2)の音楽を聴き、また民俗音楽史の研究者エレマノヴァ・サイダ・アブドラキモヴナ先生(写真7)お会いしてお話させていただきました。このホールは残響時間が3秒近くありましたが、先生は、民族楽器にはこのようなホールは響きすぎ、また大きすぎてふさわしくないとおっしゃっていました。民族楽器は、そのものが響きを持っているため、羊の毛でできた、遊牧民の家(ユルタ)の中で演奏するのが最も好ましいとおっしゃっていました。それは、最近の芝居小屋の研究で感じていることと同じです。
ドンブラ・コブスは弦楽器の起源だそうで、BC2000前にコインのようなものに書かれているようです。また、最初の音楽家コルカタッタという人物がBC5世紀に活躍しており、ちょうどギリシャではピタゴラスの時代(ピタゴラス音律はBC550ごろ)にあたります。
写真7 エレマノヴァ・サイダ・アブドラキモヴナ先生と
30日はアルマティ最後の日で、民族楽器博物館(写真8)に行きました。
写真8 民族楽器博物館
楽器の展示を見ていて、アル・ファラビーの絵(写真9)を見つけました。
写真9 アル・ファラビーの絵
アル・ファラビー(870頃~950)は現代の音楽の発展に寄与した「音楽大全」を書いた人ですが、アルマティにはアル・ファラビー通りというのがあり気になっていました。これによると、この土地の生まれなのだそうです。そして、博物館のホールでドンブラ、コブスの演奏を聞いて帰りました。このホールの形はユルタの形(写真10)をしていますが、なんとコンクリートでできています。円形の平面で、天井はドーム上となっています。コンセルバトワールのホールも平面は円に近く、天井は円錐が途中で切られたような形です。また大統領文化ホールも8角形の平面で、天井はほぼ平ですが、いずれもユルタの形が踏襲されています。
写真10 ユルタの形のホール
展示の最後の方は、トルコ、インド、キルギスなどの周辺諸国また中国、韓国の楽器がそれぞれの国から寄贈されて、展示されていましたが、残念ながら日本のブースはありませんでした。三味線や琵琶、和太鼓などあればよかったと思いました。コブスは、弓で弾く楽器です。ビオラやチェロのような音です。中国にも二胡が弓で弾く楽器ですが、日本では流行らなかったのか、現在までほとんど弓で弾く弦楽器はありません。私はきっと和室は響かないので、弓で弾く弦楽器はいい音にならなかったためではないかと思っています。
今回、カザフスタンの民族音楽の録音をし、いくつかのホールの音響測定を行うことができました。民族音楽用のホールの設計方法についてまとめ、検討していきたいと思っています。
アスタナの風景
アスタナの風景
アスタナの夜景
写真1 天山山脈の北側の麓
24日の晩は、クラシックコンサートをアルマティオペラハウスで聴きました。モロデジュニ交響楽団によるコンサートで、昔のソ連邦の国々から選りすぐりの若い音楽家たちを集めた楽団です。曲目はベートーベンのエグモント序曲、ラフマニノフのピアノコンチェルトNo.2、ヴェルディ、ロッシーニ、ヨハンシュトラウスなどで、表現豊かに音楽を楽しんでいるといった演奏で、非常にレベルが高かったです。聴衆も、若い人が多くクラシック音楽が生活に溶け込んでいる感じがしました。ここはオペラハウスなので、音響はどうだろうと気にしていたのですが、舞台の幕類は紗幕(写真3)のような薄いもので、ほとんど吸音しないようなものでした。舞台の壁はコンクリート打ち放しのため、ホール全体はかなり反射性となっていると思いました。ベルベットの幕はこのコンサートのためにはずしたのだと思われます。
写真3 舞台の幕
ちなみに、このオペラハウスは、第二次世界大戦のときに、日本人の捕虜が建設したものだそうです。以前に、大きな地震がアルマティを襲ったとき、このオペラハウスだけは壊れなかったそうで、それにより日本人に対する評価は今も高いとのこと。
アルマティオペラハウス
左:友人/右:テン氏(作曲家)
翌25日はアスタナに行き、26日の夜はアスタナの民俗音楽用のホールである大統領文化センターに行ってみましたら、たまたま詩人の講演会があり、その詩に曲をつけて、2弦のマンドリンのような民族楽器ドンブラや、コブスという2弦の弓で弾く楽器の演奏されました。詩の朗読も演奏も電気で拡声をしておりましたが、スピーカが両端にあり、音が片方のスピーカからしか聞こえず、少々騒がしく臨場感に欠けるものでした。(写真4)
写真4 大統領文化センターでの演奏
翌27日には、そのホールで音響測定をお願いしたところ、OKしていただき、その後、ドンブラやコブスや7弦の琴ゼティゲン、3弦のセルテルなどによる演奏を10名ほどの演奏家により聞かせていただきました(写真5)。ドンブラの演奏者はヴァイセノル・アルセン(写真6)という人で、有名な演奏者だそうです。
写真5
写真6 ドンブラ奏者 ヴァイセノル・アルセン氏
コブス
ドンブラのアンサンブル
28日は再びアルマティに戻り、29日には、コンセルバトワール(音楽大学)のホールにて音響調査を行いました。そして学生によるドンブラとコブスおよびバイオリン(バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタNo.2)の音楽を聴き、また民俗音楽史の研究者エレマノヴァ・サイダ・アブドラキモヴナ先生(写真7)お会いしてお話させていただきました。このホールは残響時間が3秒近くありましたが、先生は、民族楽器にはこのようなホールは響きすぎ、また大きすぎてふさわしくないとおっしゃっていました。民族楽器は、そのものが響きを持っているため、羊の毛でできた、遊牧民の家(ユルタ)の中で演奏するのが最も好ましいとおっしゃっていました。それは、最近の芝居小屋の研究で感じていることと同じです。
ドンブラ・コブスは弦楽器の起源だそうで、BC2000前にコインのようなものに書かれているようです。また、最初の音楽家コルカタッタという人物がBC5世紀に活躍しており、ちょうどギリシャではピタゴラスの時代(ピタゴラス音律はBC550ごろ)にあたります。
写真7 エレマノヴァ・サイダ・アブドラキモヴナ先生と
30日はアルマティ最後の日で、民族楽器博物館(写真8)に行きました。
写真8 民族楽器博物館
楽器の展示を見ていて、アル・ファラビーの絵(写真9)を見つけました。
写真9 アル・ファラビーの絵
アル・ファラビー(870頃~950)は現代の音楽の発展に寄与した「音楽大全」を書いた人ですが、アルマティにはアル・ファラビー通りというのがあり気になっていました。これによると、この土地の生まれなのだそうです。そして、博物館のホールでドンブラ、コブスの演奏を聞いて帰りました。このホールの形はユルタの形(写真10)をしていますが、なんとコンクリートでできています。円形の平面で、天井はドーム上となっています。コンセルバトワールのホールも平面は円に近く、天井は円錐が途中で切られたような形です。また大統領文化ホールも8角形の平面で、天井はほぼ平ですが、いずれもユルタの形が踏襲されています。
写真10 ユルタの形のホール
展示の最後の方は、トルコ、インド、キルギスなどの周辺諸国また中国、韓国の楽器がそれぞれの国から寄贈されて、展示されていましたが、残念ながら日本のブースはありませんでした。三味線や琵琶、和太鼓などあればよかったと思いました。コブスは、弓で弾く楽器です。ビオラやチェロのような音です。中国にも二胡が弓で弾く楽器ですが、日本では流行らなかったのか、現在までほとんど弓で弾く弦楽器はありません。私はきっと和室は響かないので、弓で弾く弦楽器はいい音にならなかったためではないかと思っています。
今回、カザフスタンの民族音楽の録音をし、いくつかのホールの音響測定を行うことができました。民族音楽用のホールの設計方法についてまとめ、検討していきたいと思っています。
アスタナの風景
アスタナの風景
アスタナの夜景
2008/10/06
横浜ふね劇場改修完成
横浜ふね劇場は、市民ボランティア(横浜ふね劇場をつくる会)により作られた劇場です。しかし横浜ボートシ アターが2001年9月に1度だけ『王サルヨの婚礼』の公演を行いましたが、それ以降、横浜港の新山下の艀溜りに停泊し、時々練習場として使用していまし た。今までは、艀の屋根部分は蓋で塞がれていて、中には光や風は入らず、夏には炎熱地獄、冬は極寒地獄と、劇団(横浜ボートシアター)が練習するにも大変 な状況でした。そこで今回、ふね劇場の改修工事を行いました。艀の縁から屋根を70cm持ち上げ、6箇所窓を作り、風と光が入るようになりました。さらに 昨日は、屋根に厚さ40mmのエスレン断熱材を敷きこむ工事をふね会の人々で行いました。久しぶりの肉体労働に疲れ、また晴天のため鼻が日焼けしました。 しかし、これで確実に環境が良くなりました。これから、ここがどのような活躍の場となるか楽しみです。
ふね劇場内観
ふね劇場外観
断熱材を敷きこむ作業の様子
「横浜ふね劇場をつくる会」
http://homepage3.nifty.com/funegeki/
事務局長:一宮
funegeki@nifty.com
ふね劇場内観
ふね劇場外観
断熱材を敷きこむ作業の様子
「横浜ふね劇場をつくる会」
http://homepage3.nifty.com/funegeki/
事務局長:一宮
funegeki@nifty.com