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2025/04/25

第52回江東オペラ公演

 日時:2025420日(日)1400開演、しかし終了時間は1745ぐらいだった。

場所:ティアラこうとう(江東公会堂) 大ホール 半蔵門線の住吉駅から約300mにある。

演目:1.歌劇「外套」、2.歌劇「修道女アンジェリカ」、3.歌劇「ジャンニ スキッキ」 公演はそれぞれ約1時間ずつあり、その間には幕間が20分ほどずつあった。すべてピッチー二の作品で、当初からこの3部作として作曲されたようだ。「外套」の作曲は1916年で、第一次世界大戦1914年から1918年の間になる。プッチーニはイタリアで、第一世界大戦の戦争当事国になっている。ロシア革命は1917年で、政治的には、世の中は物騒で騒然とした状態かもしれない。プッチーニはマノン・レスコー(1893)、ラ・ボエーム(1896)、トスカ(1900)、蝶々夫人(1904)、トゥーランドット(1924遺作)などのオペラの代表作があり、この外套他の3部作は人生後半の作品になる。

演奏は、舞台前のオーケストラピットに50名ほどいて、しかも時々それぞれの演目で、2階の両側の桟敷席で、大勢の歌手たちが歌を唄うという演出をしていた。オペラは、オーケストラピットで、観客席と舞台とを切り離されてしまうために、スクリーンの映画を見るような感じになってしまっていて、現代演劇では、舞台と観客をできる限り一体化したいという方向になっていたが、このオペラでは、合唱団が2階桟敷席で歌うなど、かなり観客と演技者が一体化しようとしていた。欲を言えば1階桟敷席があれば、そこで歌う方がより観客と一体化できるのでいいかもしれない。1階の観客席の中で歌う場合も考えられる。次第に歌舞伎の形態と近くなる。

歌劇「外套」:この歌手のメンバーは、20241214日にマリーコンチェルトで行われたオペラIL Trovatore (そのブログ http://yab-onkyo.blogspot.com/2024/12/iltrovatore.html)のメンバーとほぼ重なっている。舞台の背景はノートルダム寺院がみえるセーヌ川、シャンソンが聞こえるセーヌ川でなく、倉庫が立ち並ぶセーヌ川で、貧しい暮らしをしている労働者たちとそれをまとめている船長とその奥さんが主人公だ。労働者の中ではゴミ拾いを生業としている若い娘フルゴラが天真爛漫で、この物語では唯一明るくふるまっていて、物語の暗い部分を余計感じさせる役割をしている。この船長の奥さんは労働者のひとりに心が移っており、船長はそれに気づき、その労働者を絞殺してしまうという話だ。タイトルのこの「外套」は殺した後、この外套で死体を隠していて、奥さんが来た時に奥さんをこの死体に押し付けることで幕になる。物語としては大変暗い話だ。ただ人間の感情、愛と憎悪はこのように激しい。憎悪による殺人という結果的には暗い話だが、愛の奥深さを強調するようなことを感じさせているように思う。さすがオペラだ。

歌劇「修道女アンジェリカ」:修道院の日常的な生活がまず描かれて、そこにいるアンジェリカのことに少しずつ話が移動する。アンジェリカは何か情報を持ってくる人を待っている。この情報とは自分の子供の消息である。あるとき彼女の裕福な叔母が来て、アンジェリカの妹が結婚するので親の全財産を渡したいとのこと。それを了解したことと、自分の子供の消息を訪ねると、2年前に病気で亡くなったとのこと。アンジェリカは悲観に暮れて、森に入って、毒の野草を食べて自殺してしまう。すると聖母マリアがアンジェリカの子供を抱いて現れ、それを抱きかかえて幸福感の中、息を引き取る。最後は良かったような気がするが、全体は暗い悲劇だ。しかしこれにはいろいろ疑問が生じる。なぜアンジェリカは修道院にいるのか、道ならぬ恋から生んでしまったようだ。しかしそのために修道院にいるのか、しかし彼女のかわいい子供をなんで置き去りにしたのか、なんで自殺しなければならなかったか、死ぬ間際で聖母マリアが自分の子供を抱いてきて、会えても少し遅すぎないか、劇的にしそこなった感じだ。半分疑問を持ちながら、この悲劇の舞台を見ていた。

歌劇「ジャンニ スキッキ」:これは痛快な物語だ。大富豪が息を引き取ったあと、そこにお見舞いに来ていた親戚たちが、彼の遺書を探し出し、それにはすべての遺産を坊主に引き渡すと。ジャンヌ スッキキの娘がジャンヌに、助けを頼もうと言うことになった。この中で彼の娘が、有名な「私のお父さん」の歌を唄う。お父さんなんとかしてと。本当にこれは美しい、いい曲だ。遺言書の偽造は共犯者も含め、手を切断されて追放されると親戚の皆さんに言いながら、ジャンヌは大富豪になりすまし、死の床から公証人が来たときに、遺言を述べる。いくつかの財産は、親戚に、また坊主に、また公証人に渡す。その他すべて、この家も含め私の友人のジャンニ スキッキに渡したいと。公証人が帰った後、親戚は激しく怒るが、後の祭りで、この家は自分の家だと親戚を追い出してしまう。最後に娘とその彼氏が愛の二重唱を唄い、娘の結婚に対しても、万々歳であった。

これらのオペラは、プッチーニの三部作とされているが、全体を通してみれば、夫婦や子供への愛がテーマか、しかもオペラなので劇的な愛なんだろうと思う。これはオペラの醍醐味だ。しかもプッチーニの周囲の世の中は騒然とした状態だと思う。身近なことを考えると、現在も不安定な状態で、ロシアとウクライナやイスラエルとパレスチナで戦争がある。トランプの関税政策も世界を震撼させている。これらの解決に対し、憎悪だけではないと、ほんの少しヒントになりそうな感じもある。

                     写真:ティアラこうとう 大ホールの公演開始前






2025/04/22

建築と音楽の集いPartⅣ とその後、篠原一男に関する講演会

 建築と音楽の集いPart

日時:2025年 419日(土) 11001300

見学建物:旧園田高弘邸 建築設計は吉村順三、木造

主催:公益社団法人日本建築家協会関東甲信越支部城南地域会

出演:吉見千晶(一般社団法人住宅遺産トラスト)、

    大沢悟郎(JIA

    金沢恵理子(ピアノとお話)

私の見学目的:ピアニストの練習室の音響空間を知りたい。

 私は案内に、近隣に迷惑がかからないように、11時より前に来てほしくないとあったので、わざわざ1110分ごろに訪問したら、既に音楽サロンに4050名の方が着席して、吉見さんのお話を聞いていた。吉見さんのお話はこの旧園田邸についてでした。その後、建築家の大沢さんの話があって、ピアノの演奏が始まった。ピアノの演奏は建築の見学の間の付け足しと思っていたが、とんでもない、前半があり、中休みがあって後半まで、よくあるまともなコンサートだった。曲目は、1.シューベルト:小さなソナタ、2.ブラームス:間奏曲、3.リスト:愛の夢第三番、幕間、4.リャードフ:舟歌、5.エルガー:朝の歌、6.クライスラー=ラフマニノフ:愛の悲しみ、7.バッハ=ケンプ:シチリアーノ  演奏したピアノは園田高弘が使っていたハンブルグ製のスタインウエイとのこと。

この音楽サロンは増築部分で、コンサートもできる広さがある。図面では横9席が6列あるので、54席になる。満席であった。室内は、絨毯やカーテン等吸音性の高いものはなかった。絵の額がいくつかあるが、かなり額にはガラスがはまっていて、吸音しにくい。したがって吸音は聴衆がほぼ吸音材の役割をしている。したがって、広さや容積に対して人間の割合が大きいため、ピアノの音は鮮明に聞こえる。多分弾きにくいのではないかと感じ、演奏が終了後にピアニストに、人が多いので、ピアノの音は鮮明に聞こえたけれどどうでしたかと聞いたら、本人は気にせず、また聴衆の入っていないこのような空間は響きが少なく練習には好ましいと言っていた。

音響技術的に言えば、この音楽サロンは、2層吹き抜けで、空間は大きいが、特別に吸音材はなく、強いて言えば障子ぐらいが、多少吸音する。しかしプラスターボードなどの一般的な住宅の反射性の材料でできており、残響はあるが相当短い。ピアニストの金沢さんが言いたいことは、ホールのように残響が長くなく、演奏の練習がしやすいと言うことだと思う。しかし多分練習には好ましいかもしれないが、聴衆が多いため、ピアノの音が大変クリアに聞こえ、聴衆にとってはピアノの音は、近くで聞くピアノそのものの音のようで、大変刺激的で、ホールのような残響のある、ほんのりとした柔らかな感じにはなっていない。ただこのような場合もあってもいいかもしれない。

               写真:旧園田邸の外観の写真、左手が増築部分、右手は主屋、

 

「篠原一男と篠原研究室の1960年代-「日本伝統」へのまなざし-」という講演会

旧園田邸の見学会の後、大岡山の商店街の蕎麦屋で昼食を取り、近くの旧東工大の講堂で、「篠原一男と篠原研究室の1960年代-「日本伝統」へのまなざし-という講演会に参加してきた。篠原一男は今年2025年で、生誕100年と言うことで、この講演会が出来たようだ。私がこの旧東工大、現東京科学大学に入学したのは1967年、この講堂の前の桜は幹の太さが直径20cmぐらいのものだったが、それでも立派に花が咲いていたように記憶していたが、今や幹の太さが直径、多分1m以上にもなっていて、素晴らしい巨木に成長していた。また講演会のあったこの講堂は建築設計:谷口吉郎、音響設計は私の恩師 松井昌幸。内部を見ると舞台の周りの湾曲した壁や、側壁や天井の板仕上げが次第にスリット壁に変化しているなど、意気込んで作ったことがよくわかる。1954年神奈川県立音楽堂が石井聖光によって、わが国でほぼ初めて音響設計され、この講堂はそれに続く1956年になる。私は10年ほど前にこの建物の耐震を伴う改修の音響設計に携わることが出来き、さらに再び講堂の中に入ることが出てて大変感謝だ。パンフレットによれば、篠原一男は1947年に東京物理学校卒業、1950年東工大建築学科学士入学、1967年に「日本建築の空間構成の研究」で、工学博士号を取得、私はこの年に入学した。私が卒業する1972年には「未完の家以降の一連の住宅」に関して日本建築学会賞を受賞していて、私が学生の時には、一世を風靡した感じであった。講演の中で、木津さんが篠原一男の「から傘の家」を文化財としてドイツのヴィトラキャンパスで陳列したことを話していた。この「から傘の家」は、持ち手にあたる心棒のない傘の形だけが垂木を見せて存在しているが、この垂木の線ある空間がとてもきれいだ。しかし単に展示されるのではなく、その空間に人が住んで、評価ができる方がより好ましいのだが。


             写真:講演会のパンフレットの表紙 、篠原一男は「から傘の家」の中にいる。                        


2025/04/08

荏田の真福寺の花祭り2025.04.08

 今日は48日のお釈迦様の誕生日に当たる花祭りです。今年は桜も開花してから寒い日が続き、例年より遅く、お堂の隣の桜は、今日は満開になっています。ここにいる釈迦像は、木造で、国の重要文化財で、しかも我が家の隣にあった釈迦堂のご本尊だったようです。我が家の隣の公園も釈迦堂公園といっていて、その前の道は釈迦道(しゃかんどう)といっています。ここことを知ってからより親しく感じるようになっています。釈迦堂は老朽化した後、本尊を真福寺に移動し、いつか分かりませんが、このようなコンクリート製のお堂に納められていて、1年に一回48日に開帳され、直接釈迦像を拝むことができるようになっています。とても凛々しい顔をしています。真福寺の本堂はこの反対側にあります。2021.02.01のブログで、横浜市歴史博物館にて特別展 『横浜の仏像 しられざるみほとけたち』(1/233/21)のことを書いています。 以下はそのブログです。     http://yab-onkyo.blogspot.com/2021/02/blog-post.html

2025.04.20 本日の天声人語で、「復活祭はキリスト教で最も重要な行事で、「春分に次ぐ満月の後の最初の日曜日」と定義されている。」と言うことで、春は仏教でもキリスト教でも重要な季節になっている。たしかにやっと冬が春に変わっていく季節で、花も咲き、新たな芽も吹きだし始めている。


                               写真:木造の釈迦像が納められているお堂、午前10時少し前です。


2025/04/03

21世紀のバッハ、 東京バロック・スコラーズ 第20回演奏会 マタイ受難曲

 日時:2025330日(日)300開演、終演645ごろ

場所:武蔵野市民文化会館大ホール 音響反射板設置、4列分のオーケストラピット近辺を舞台に上げて設置、

出演者:音楽監督・指揮 三澤 洋史、 福音史家 畑 儀文、イエス 加藤 宏隆、

ソプラノ 國光ともこ、アルト 加納悦子、 テノール谷口洋介、バス 萩原 潤

オーケストラ 東京バロック・スコラーズ・アンサンブル(オーケストラ1 オーケストラ

合唱:東京バロック・スコラーズ(オーディションを通過したアマチュアンバー コーラス1とコーラス2)、 ソプラノ・イン・リビエノ 東京大学音楽部女声合唱団コ―ロ・レティツィア

出演者の人数が多いため、前舞台も使用している。

曲目:普通の11曲の場合のコンサートと違い、第一部の第一曲から第二部の最後の第68曲まで、全体が物語になっていて、オペラを聴いているような感じだった。民衆の裏切りや告発によってイエスはとらえられ、裁判になり、死刑が宣告され、十字架に貼り付けられ、埋葬され、復活の手前までが物語である。イエスが甦らないようにと墓の前で番兵を付けて用心しているところで終わるので、聞いている人はこの後どうなのだろうと気になりながら終わってしまう。復活することは分かり切った前提と言うことなのかもしれない。この復活祭(イースター祭)は、春の今頃で、仏陀が生まれたのも48日とされていて、偶然だか春が新たな芽吹きを復活するのにふさわしい感じだ。

チラシの中で、三澤洋史がもっとも言いたいことは、「イエスの受難の本質」というなかに「それほどまでに人類の罪は救いがたく重いもの」、たしかにこの話はバッハ16851750が作曲したが、その実際の話は今から2000年ほど前の話で、しかも現在でもこの話があったこの地域のイスラエルとパレスチナが戦争を行っていることからも人類がいかにおろかだと言うことがわかる。しかし今まで人類は少しずつでも解決してきていることもあるといえる。

作曲者はバッハであるが、この歌詞を作詞したのは誰だろうとつぶやいたら、隣の人が本を見せてくれて、ピカンダーと言っていた。ペンネームだとも言っていた。この人は別の合唱団にも入っていて、この曲は10年気にしている曲で、とても歌うのにレベルが高い曲だそうだ。

とにかく歌手、オーケストラ、合唱団それぞれが、力の入った演奏、合唱であった。また演出も素晴らしいと思った。色々考えさせられたコンサートであった。

私の席は、前から4列目、下手側の席であったが、よく響いてよく聞こえた。また出演者が多いので、前舞台を持ち上げて舞台を広くして使っていたようだ。可動の音響反射板も使っていたので、今回のコンサートにはよく合致したホールといえた。




2025/04/02

サクソフォン&ハープ スプリングヂュオコンサート~春を奏でる~

 日時:2025329日(土) 1400開演 雨でしかも寒い。

場所:玉川せせらぎホール(玉川区民会館) ※この建物は免震構造となっている。

出演:木村有紗(ソプラノサクソフォンおよびアルトサクソフォン)、宮本あゆみ(ハープ)

400名収容 ほぼ満席

曲目は以下のプログラム参照、アンコールは、宮本あゆみさんの作曲の曲とロンドンデリーの歌(アイルランド民謡)

このコンサートは、私が最初に入った会社の、同期の木村さんの娘さんが今やプロのサクソフォン奏者で、このコンサーがあることを紹介された。木村さんは、いまは医療経営コンサルタントとして活躍されている。

春を奏でると銘打っているコンサートの最初の曲はドッビュシーのアラベスク第1番で、波打った水面がキラキラしている雰囲気が、ソプラノサクソフォンとハープの組み合わせでいい雰囲気になっていた。サクソフォンとハープの組み合わせは初めて聞いたが、サソフォンは管楽器の中では柔らかい音がする方だが、全般的には、強いかたい大きな音の部類になるが、ハープは柔らかな響きを伴う音と思う。サクソフォンはジャズのようなリズムが強い音楽には合わせる相手にピアノはいいのかもしれないが、メロディーがきれいな音楽にはハープは大変好ましいように思った。カッチーニの「アヴェ・マリア」や美女と野獣の中の「ひとりぼっちの晩餐会」も演奏レベルが高く、しかもとても良かった。

玉川せせらぎホールは、壁は波打った板で仕上がっているが、2割ぐらいは有孔板で作られていて、天井は暗くてよく見えないが、多分黒い布で被覆されたグラスウールで吸音材のように感じた。椅子はスライディングできる椅子で、平らな床にも変換ができるようだ。とにかくサックスやそのほかのたとえばヴァイオリンなどクラッシック用の音楽に対しては少し残響が短い感じがした。







2025/04/01

人形劇 華氏451度の公演

 日時:2025327日(木)1830より公演

場所:川崎市アートセンター小劇場

演者:人形劇団ひとみ座+高橋和久

元横浜ボートシアターの団員だった高橋和久さんから案内の手紙をもらい、人形劇に参加するというので興味を持って、行くことにした。何をする役割なのだろう。手紙によれば華氏451度は紙が自然発火する温度だそうだ。計算すると摂氏では220度になるようだ。ひょっとして山火事にもなりそうな温度だ。最近、ロスアンゼリス、大船渡、岡山、今治と大きな山火事があり、人家も延焼している。空気が乾燥していて、しかも風が強いことが問題である。華氏451度の主人公はファイアマンである。山火事を消す消防士でなく、実は本を率先して燃やす役割の「昇火士」である。とある専制国家では、民衆が心を煩わせないように、または反旗を振りかざさないようにすべての本を焼き尽くす部隊がいて、そのファイアマンのトップが主人公のガイ・モンターグで、本を焼き尽くすことに快感を覚えている。しかし近くにクラリスという少女がいて、道端の花や、月や月の前に飛ぶ鳥などに興味を持って、モンターグに話している。その彼女がモンダーグに燃やす前に一度でも本を読んだことがあるかと質問する。それから次第に心が変化してくる。あるとき本を持っている家に行き、その家を燃やし始めるとそこに住む老婆が本を外に置いて、火の中に飛び込んでしまう。その本は彼女にとって命より大切な聖書で、その本をモンターグは家に持って帰り、寝床に隠す。奥さんにも仲間にも不審がられ始めてしまう。人の性格や気持ちを判断する探査ロボット犬にも吼えられかみつかれるようになり、ある大学教授に本を集める業務をしながらそれを複製しようという計画を立てたとたんに、その計画が奥さんから内通されて、ファイアマンが我が家を燃やすときに、それを実況中継しているなかで、鉄砲で撃たれて死んだ。ところが死んだのは別の人で、モンターグは大学教授が逃げる方法をえていて、何とか逃げ延びることができ、仲間とあって、仲間の頭にそれぞれ物語を詰め込んで逃げる話だ。何となく恐ろしい、また現実にもありそうな話にも見える。

私はかつて技術者だったので、物理学などの科学的な本や技術的な本が無くなることはまず業務に差し支えることがすぐわかる。鉄砲や大砲やミサイルだって技術的な本が無ければ作れないと思われるので、体制側にいる人だけでも本は必要で、それを読み下す人も、また今後そうなるだろう人も確保しておかないと難しい。敵国の情報も必要だと思われる。文学的な本とか哲学的な本とか、政治的な本も現政権にとって反する本であっても、それが現政権的でないことを理解すためにはそれらの本もなくすことは、現実的には難しいと思われる。

燃える火や爆撃の火は赤い布で印象的であったが、空襲の爆弾のスピーカから音があまりにリアルなので、人形の世界や布による火の効果に合わせて、例えばドラムの音のような人為的に作った効果音でもよかったようにも思う。人形もモンターグとクラリスという子供と大学教授の大きさをもう少し変えた方がいいのではないか。ひとみ座は乙女文楽も行っていて何度も見に行っている。人形の一人遣いの人形浄瑠璃である。人形に感情が移入してしまうほどだ。高橋さんは人形使いの人としてではなく、人形の背後にいつもいて、モンターグがまともな人間に変化していく過程で人形から少しずつ分離し始める役割をしている。なるほどと感じた。

劇場の規模は200名程度で、側壁は前の2/3部分は木毛板に塗装を、残り1/3は有孔板としている。天井は黒く塗られているが、多分吸音材仕上げと思われ、演劇としては好ましい仕上げとなっていた。声も明瞭であった。この公演は本日の3/27(木)から3/31()までの7回公演となる。