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2025/04/03

21世紀のバッハ、 東京バロック・スコラーズ 第20回演奏会 マタイ受難曲

 日時:2025330日(日)300開演、終演645ごろ

場所:武蔵野市民文化会館大ホール 音響反射板設置、4列分のオーケストラピット近辺を舞台に上げて設置、

出演者:音楽監督・指揮 三澤 洋史、 福音史家 畑 儀文、イエス 加藤 宏隆、

ソプラノ 國光ともこ、アルト 加納悦子、 テノール谷口洋介、バス 萩原 潤

オーケストラ 東京バロック・スコラーズ・アンサンブル(オーケストラ1 オーケストラ

合唱:東京バロック・スコラーズ(オーディションを通過したアマチュアンバー コーラス1とコーラス2)、 ソプラノ・イン・リビエノ 東京大学音楽部女声合唱団コ―ロ・レティツィア

出演者の人数が多いため、前舞台も使用している。

曲目:普通の11曲の場合のコンサートと違い、第一部の第一曲から第二部の最後の第68曲まで、全体が物語になっていて、オペラを聴いているような感じだった。民衆の裏切りや告発によってイエスはとらえられ、裁判になり、死刑が宣告され、十字架に貼り付けられ、埋葬され、復活の手前までが物語である。イエスが甦らないようにと墓の前で番兵を付けて用心しているところで終わるので、聞いている人はこの後どうなのだろうと気になりながら終わってしまう。復活することは分かり切った前提と言うことなのかもしれない。この復活祭(イースター祭)は、春の今頃で、仏陀が生まれたのも48日とされていて、偶然だか春が新たな芽吹きを復活するのにふさわしい感じだ。

チラシの中で、三澤洋史がもっとも言いたいことは、「イエスの受難の本質」というなかに「それほどまでに人類の罪は救いがたく重いもの」、たしかにこの話はバッハ16851750が作曲したが、その実際の話は今から2000年ほど前の話で、しかも現在でもこの話があったこの地域のイスラエルとパレスチナが戦争を行っていることからも人類がいかにおろかだと言うことがわかる。しかし今まで人類は少しずつでも解決してきていることもあるといえる。

作曲者はバッハであるが、この歌詞を作詞したのは誰だろうとつぶやいたら、隣の人が本を見せてくれて、ピカンダーと言っていた。ペンネームだとも言っていた。この人は別の合唱団にも入っていて、この曲は10年気にしている曲で、とても歌うのにレベルが高い曲だそうだ。

とにかく歌手、オーケストラ、合唱団それぞれが、力の入った演奏、合唱であった。また演出も素晴らしいと思った。色々考えさせられたコンサートであった。

私の席は、前から4列目、下手側の席であったが、よく響いてよく聞こえた。また出演者が多いので、前舞台を持ち上げて舞台を広くして使っていたようだ。可動の音響反射板も使っていたので、今回のコンサートにはよく合致したホールといえた。




2025/04/02

サクソフォン&ハープ スプリングヂュオコンサート~春を奏でる~

 日時:2025329日(土) 1400開演 雨でしかも寒い。

場所:玉川せせらぎホール(玉川区民会館) ※この建物は免震構造となっている。

出演:木村有紗(ソプラノサクソフォンおよびアルトサクソフォン)、宮本あゆみ(ハープ)

400名収容 ほぼ満席

曲目は以下のプログラム参照、アンコールは、宮本あゆみさんの作曲の曲とロンドンデリーの歌(アイルランド民謡)

このコンサートは、私が最初に入った会社の、同期の木村さんの娘さんが今やプロのサクソフォン奏者で、このコンサーがあることを紹介された。木村さんは、いまは医療経営コンサルタントとして活躍されている。

春を奏でると銘打っているコンサートの最初の曲はドッビュシーのアラベスク第1番で、波打った水面がキラキラしている雰囲気が、ソプラノサクソフォンとハープの組み合わせでいい雰囲気になっていた。サクソフォンとハープの組み合わせは初めて聞いたが、サソフォンは管楽器の中では柔らかい音がする方だが、全般的には、強いかたい大きな音の部類になるが、ハープは柔らかな響きを伴う音と思う。サクソフォンはジャズのようなリズムが強い音楽には合わせる相手にピアノはいいのかもしれないが、メロディーがきれいな音楽にはハープは大変好ましいように思った。カッチーニの「アヴェ・マリア」や美女と野獣の中の「ひとりぼっちの晩餐会」も演奏レベルが高く、しかもとても良かった。

玉川せせらぎホールは、壁は波打った板で仕上がっているが、2割ぐらいは有孔板で作られていて、天井は暗くてよく見えないが、多分黒い布で被覆されたグラスウールで吸音材のように感じた。椅子はスライディングできる椅子で、平らな床にも変換ができるようだ。とにかくサックスやそのほかのたとえばヴァイオリンなどクラッシック用の音楽に対しては少し残響が短い感じがした。







2025/04/01

人形劇 華氏451度の公演

 日時:2025327日(木)1830より公演

場所:川崎市アートセンター小劇場

演者:人形劇団ひとみ座+高橋和久

元横浜ボートシアターの団員だった高橋和久さんから案内の手紙をもらい、人形劇に参加するというので興味を持って、行くことにした。何をする役割なのだろう。手紙によれば華氏451度は紙が自然発火する温度だそうだ。計算すると摂氏では220度になるようだ。ひょっとして山火事にもなりそうな温度だ。最近、ロスアンゼリス、大船渡、岡山、今治と大きな山火事があり、人家も延焼している。空気が乾燥していて、しかも風が強いことが問題である。華氏451度の主人公はファイアマンである。山火事を消す消防士でなく、実は本を率先して燃やす役割の「昇火士」である。とある専制国家では、民衆が心を煩わせないように、または反旗を振りかざさないようにすべての本を焼き尽くす部隊がいて、そのファイアマンのトップが主人公のガイ・モンターグで、本を焼き尽くすことに快感を覚えている。しかし近くにクラリスという少女がいて、道端の花や、月や月の前に飛ぶ鳥などに興味を持って、モンターグに話している。その彼女がモンダーグに燃やす前に一度でも本を読んだことがあるかと質問する。それから次第に心が変化してくる。あるとき本を持っている家に行き、その家を燃やし始めるとそこに住む老婆が本を外に置いて、火の中に飛び込んでしまう。その本は彼女にとって命より大切な聖書で、その本をモンターグは家に持って帰り、寝床に隠す。奥さんにも仲間にも不審がられ始めてしまう。人の性格や気持ちを判断する探査ロボット犬にも吼えられかみつかれるようになり、ある大学教授に本を集める業務をしながらそれを複製しようという計画を立てたとたんに、その計画が奥さんから内通されて、ファイアマンが我が家を燃やすときに、それを実況中継しているなかで、鉄砲で撃たれて死んだ。ところが死んだのは別の人で、モンターグは大学教授が逃げる方法をえていて、何とか逃げ延びることができ、仲間とあって、仲間の頭にそれぞれ物語を詰め込んで逃げる話だ。何となく恐ろしい、また現実にもありそうな話にも見える。

私はかつて技術者だったので、物理学などの科学的な本や技術的な本が無くなることはまず業務に差し支えることがすぐわかる。鉄砲や大砲やミサイルだって技術的な本が無ければ作れないと思われるので、体制側にいる人だけでも本は必要で、それを読み下す人も、また今後そうなるだろう人も確保しておかないと難しい。敵国の情報も必要だと思われる。文学的な本とか哲学的な本とか、政治的な本も現政権にとって反する本であっても、それが現政権的でないことを理解すためにはそれらの本もなくすことは、現実的には難しいと思われる。

燃える火や爆撃の火は赤い布で印象的であったが、空襲の爆弾のスピーカから音があまりにリアルなので、人形の世界や布による火の効果に合わせて、例えばドラムの音のような人為的に作った効果音でもよかったようにも思う。人形もモンターグとクラリスという子供と大学教授の大きさをもう少し変えた方がいいのではないか。ひとみ座は乙女文楽も行っていて何度も見に行っている。人形の一人遣いの人形浄瑠璃である。人形に感情が移入してしまうほどだ。高橋さんは人形使いの人としてではなく、人形の背後にいつもいて、モンターグがまともな人間に変化していく過程で人形から少しずつ分離し始める役割をしている。なるほどと感じた。

劇場の規模は200名程度で、側壁は前の2/3部分は木毛板に塗装を、残り1/3は有孔板としている。天井は黒く塗られているが、多分吸音材仕上げと思われ、演劇としては好ましい仕上げとなっていた。声も明瞭であった。この公演は本日の3/27(木)から3/31()までの7回公演となる。