8月4日(日)14:00、ジュニア・フィルハーモニック・オーケストラ サマー・コンサートが、新しく改装された東京芸術劇場コンサートホールで開かれ、行ってきました。
本コンサートのパンフレットの巻頭に、オーケストラ代表の小林裕一氏が書いています。
『キンボー先生がジュニア・フィルの役割を強く意識してくださっているのが、器楽の演奏家だけでなく、オーケストラの活動を様々な方面から支える人たちを育てること。』その効果か、観客は老若男女さまざまで、また10代の若い人もたくさんいらっしゃいます。それだけで会場が明るくなる気がします。
コンサート前半は、モーツアルト/歌劇「フィガロの結婚」、後半はラフマニノフ/「交響的舞曲」、前半は、演出 菅尾 友、指揮 川瀬賢太郎、清水醍輝、ドタバタ劇の筋をキンボー・イシイ=エトーがくだけた調子で説明して始まります。オーケストラを前と後ろに分け、その間にスペースを作り、歌手がそこで演技をします。大道具はないのですが、あるときは演奏者が壁をつくり、それを衣装部屋の壁に見立てます。
後半は、趣のまったく違うラフマニノフの「交響的舞曲」(1940年)で、指揮はキンボーさんです。
全編にわたって激しい感情と穏やかな感情が繰り返し現れます。穏やかな時はとても美しい旋律です。第一楽章には、激しい動きのある曲の後に木管のオーボエとクラリネットとオーケストラには珍しいアルトサックスの、まるで朝に小鳥が鳴き交うような、きれいな旋律が出てきます。アルトサックスの音は大変柔らかな丸みを帯びた音で、演奏が終わった後、キンボーさんは何度かサックス奏者を立たせて、拍手をしていました。
大きなスケールで、これぞ交響曲と言った感じの曲ですが、よくこの難しい曲を若い人たちが頑張ったと思います。また聴きたいと思いました。
演奏終了後、キンボーさんの楽屋に行き、挨拶して、ちょっと質問をしました。昔オペラ座にオーケストラピットがなかった時は、どこで演奏したのだろうかと聞きましたら、「きっと舞台の上だと思う。舞台の奥にオーケストラ(楽団)がいても演奏はできる」と仰っていました。
オーケストラピットの位置は、とても機能的な位置ではあるのですが、舞台と観客を分断してしまいます。1600年に作曲された現存する最古のオペラ「エウリディーチェ」から1637年のサンカシアーノ歌劇場までは、オーケストラ(楽団)が舞台の前に居たわけではありません。それから現在まで、紆余曲折はあるでしょうが、オーケストラピットが様々な工夫をもって発展してきています。
また、出雲阿国が1603年に北野天満宮で歌舞伎踊りを行って以来、歌舞伎は発展してきましたが、昨日(8/16)のテレビ(にっぽんの芸能「追憶 市川團十郎 中村勘三郎」)の解説者の説明では、花道は1733年の市村座の絵図に初めて出てくるようです。最初は能舞台のように花道はなく、花道の発明までに、約100年かかっているとのこと。この花道によって舞台と観客席が一体になれると説明されていました。この歌舞伎の観点から見るとオペラのオーケストラピットは違和感があります。ときどき歌手が観客席まででてきて歌うことを夢想してしまいます。