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2008/06/13

「音律と音階の科学」小方 厚著 を読む

「音律と音階の科学」―ドレミ…はどのようにして生まれたか」を読みました。

 音響技術者は日常的に周波数分析を行います。私も音響設計という仕事柄、周波数と音楽のドレミの関係は興味があり、その起源についてなど音楽家と話し合うことがよくあります。ドレミがピアノの白鍵、黒鍵合せて12音の平均律であることは、今では当たり前のことです。ですが、その12音はどうして選ばれたのか?いつ誰がどのような方法でオクターブを分割したのか?どのように世界に広まっていったのか?ということについては、一般にはほとんど知られていません。
 この本は、そのような疑問について解き明かそうという本です。著者は音楽を趣味とする物理学者であり、音律の起源について物理学や数学の視点から説明されています。内容を簡単にご紹介するとともに、音響技術者としての視点から感想を述べたいと思います。

 イルカや小鳥など動物は連続的に音高を上下させて意思を疎通しているというが、人間の音楽が使う音の高さはドレミ・・・とデジタル化されている。ただし、他の多くの民族音楽では、音の高さはそれほど厳密に決まってはいない場合もあるが、近代西洋音楽の究極の姿であるクラシックでは、100人のオーケストラが美しいハーモニーを奏でるための基礎としてドレミが存在するとあります。

 そのドレミは現在平均律で調律されているが、調律は技術的に困難であったため、実際に平均律が普及したのは19世紀後半と、音楽の歴史の中では新しいものだそうである。
ドレミの起源は古くはピタゴラス(BC550年ごろ)にさかのぼることが出来、ピタゴラス音律の基本は、まずオクターブを一目盛としていることである。2つの一弦琴を、ひとつを開放弦、ひとつを弦長の1/3の位置に分割して同時に弾くと、2音が心地よく響くことを発見し、またその場合1/3に分割した琴のどちらを弾いても開放弦と美しく響きあうという。そこから、オクターブを分割するのに、1対3と1対2の周波数比を組み合わせて協和音を探して作ったとある。ピアノの鍵盤のオクターブが黒鍵5個、白鍵7個の計12個に分割されているが、この12の基はピタゴラスによるものだそうだ。8~9世紀に成立したグレゴリオ聖歌に、このピタゴラス音律をみることができるそうである。

 しかしピタゴラス音律ではCとEが不協和音になる問題があり、それを緩和するために主音に対して5/4倍という周波数比を持つ音に置き換える純正律が生まれた。それにより、複数の旋律を同時に進行できるようになる。この音律はギリシャのプトレマイオス(2世紀)には数学的にとらえられていたが、純正律として音律の形で登場させたのはスペインのバルトロラメ・ラモスで、15世紀後半であると書かれている。
以下ピタゴラス音律と純正律を比較表とした。



 この純正律は、『響きの考古学』(藤枝 守著)には、十字軍の遠征で、アラブなどの東方の文化が入り込むことによって生まれたと書かれている。
ギリシャ文化は、アラブで発展しており、ウードの名手であるアル・ファーラビー(870頃~950頃)によって『音楽大全』が書かれている。さらにサフィー・アッ=ディーン(1230~1294)により、純正4度の拡張から17律ができ、アラブ音楽の基礎となった。これらの文化が、11世紀に十字軍が回教徒からスペインのトレドを奪回することによってヨーロッパにもたらされ、その際に純正律の考え方ももたらされたというものである。
また紀元前からあるケルト人の音楽、純正3度(ドとミ)の甘美な音律がイギリスの作曲家ジョン・ダンスタブル(1390?~1453)によって大陸にもたらされている。中世からルネサンスの幕開けである。
このように、音律は非常に科学的に生まれたものであり、また人の移動とともに各地にもたらされ、その土地の文化と融合し、発展していったものであることがわかります。

 純正律には転調ができないという問題があり、そこで考えられたのが、1オクターブの中を正確に対数尺で12等分した12音平均律であるとのこと。平均律は、17世紀以降のヨーロッパで確立し、鍵盤楽器の調律のため、19世紀になって普及した技術であるが、中国では16世紀、明の時代に、また日本では和算家の中根元圭が1692年にオクターブを12乗根に開いて、12音平均律を作る方法を示しているようである。
バッハの平均律クラヴィア曲集は、正確には平均律ではなく、ウエル・テンペラメントという音律であるとのこと。

 本著者の音の分析の真骨頂は『不協和曲線』というグラフを表したことであると感じる。この地形図のようなグラフで、心地よい音律が理解しやすくなる。このグラフは、12音平均律でも表現できるし、17音平均律や16音平均律でも計算ができる。これにより、純正律のように響く平均律の分析がされている。

最後の章は音律の将来的について考察されている。
(1)どのような音高の組み合わせが協和するか(ハーモニー)、(2)どのような音高は時間的に推移していくと心地よく感じられるか(メロディ)について本の前半で語られた。西洋音楽ではこの二つが不可分であるが、西洋音楽とアフリカ音楽が融合したジャズは(2)が(1)に従っている。しかし、高さの異なる音を同時に重ねなければ(1)は問題がなくなり、(2)は自由度を得る、とある。日本の伝統音楽をはじめとして、多くの民俗音楽はハーモニーを無視、ないし軽視しているとのこと。
しかしこれらの根拠となった不協和曲線は、1965年の聞き取り調査による分析であり、脳波測定など現代の手法を用いれば当時よりもっと確かなデータが得られるであろうし、それよりも時代による実験結果に違いがあるであろうことに興味がある、と著者は語っている。ガムランのように積極的に不協和音が生み出す『うなり』を楽しむ音楽も存在するし、西洋音楽でも次第に『心地わるい』非協和な響きが受け入れられるようになってきている、とある。

最近ドビュッシーの『12の練習曲』を聴く機会がありましたが、確かにそこにその始まりを感じさせます。さらに最近、フランスの現代作曲家メシアンの『幼な児イエスにそそぐ20のまなざし』を聴いた際に、最後の曲でうなりを聴くことが出来ました。とても神秘的な印象があったので意図的と感じましたが、ピアノ演奏なので、本当に意図的かどうかはわかりません。

この本は、著者が物理学者のため、音律についてとても論理的に説明されており、音律が世界中で、その土地の楽器で演奏されることを目的に発展してきたことが良くわかります。そして、世界には平均律のようには発展しなかったけれども、心地よい音律も他に数多くあることがわかります。現在であれば、コンピュータによって、たくさんのシミュレーションができそうな気がします。またそれによって、西洋音楽のドレミ・・・ではない、ほかの多くの民俗音楽の心地よさも理解できるようになるのではと思います。明治以降は、日本では西洋音楽が優れているとされ、日本独特の音楽を否定してしまったとも本書は紹介しています。私も含め、団塊の世代以前はそのような学校教育の中で育っています。この本は、改めてそのような考え方を別の視点から捉えなおすきっかけになるのではないかと思いました。
最近、渋谷の忠犬ハチ公の広場で、ヴァイオリンによるケルト音楽の路上ライブを偶然2週続けて聴きました。とても心地良い響きでした。