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2026/08/07

寺沢 薫 著 銅鐸の世界 を読んで考えたこと

 寺沢 薫 著 銅鐸の世界、副題:考古学が解き明かす最新の銅鐸論、、寺沢 薫 著 新泉社刊

仕事を辞めてからは、ほぼ毎日、暑い日も、早淵川沿線を散歩しているが、この間に、ほぼ毎日サギやウやカワセミなど、更に夏はトンボや蝉が見られる。この早淵川には小さな魚がたくさん泳いでいて、それをサギやウやカワセミが食べに来る。ときにはカラスがスズメを食べているところ、子供たちが川に入って網で魚を捕っているところにも出くわす。早淵川は小さな川だが、季節の移り変わりや自然の循環を感じることができる場所だ。このサギが、次に述べる大昔の銅鐸にも表現されているようだ。

この本によれば、弥生時代にできた銅鐸は、最初「聞く銅鐸」で、そのうち「見る銅鐸」と変化したようだ。「聞く銅鐸」は稲の栽培に関して、主に稲をまくときと、稲を刈り取った後にお祭りをして、この銅鐸を鳴らすようだ。この稲作に関してはサギやトンボも大事な役割があるようだ。稲の成長に大事な貢献をしているようだ。銅鐸の側面に描かれている。この早淵川散歩でもサギやトンボは魅力的な動物たちだが、弥生人たちにも大きな貢献をしているようだ。この銅鐸は小さな釣鐘のような形をしているので、音を出して楽しむ道具と思っていたが、さらに大小2本の銅鐸をつるして、奏でるようなので、どう考えても音楽を奏でている感じだが、その様子は書かれていない。リズムやメロディはこの二つがあれば奏でられる。今のお囃子は、大太鼓、締め太鼓と篠笛だ。これも稲作に関係したお祭りの時に演奏される。紀元前後からこの銅鐸は存在しているので、そのうち何らかの痕跡が今も伝わっているような気がする。ひょっとしてサギの足の骨からも笛がつくれそうな気もする。さらに銅鐸はお寺の鐘の様にたたくと唸りを生じているかもしれない。多分その唸りは天国に人々の気持ちが伝わるよう音だ。

そんな話は本書には出ていなかったが、弊社作成の音楽歴史年表には、「Smunzel, F.Seeberger and W. Hein の論文 「ドイツ南西部のガイセンクレステルレ洞窟からオーリニヤック期(後期旧石器時代最初の文化期の笛の断片が3点出土。1点は白鳥の橈骨ドウコツ(翼の骨)に加工を施したもので、現存長126.5mm、中空で、長軸に沿って3か所に孔が現存している。炭素14年代測定でBP33500年ころ、熱ルミネッセンス法でBP37000年ころ(BPとは1950年を起点に遡及した遺物年代)、骨端を口にくわえて吹くタイプの笛。同様の断片がもう一点、3点目はマンモスの牙製で、中空。現存長は18.7cm、指孔と思われる孔が長軸に沿って3か所あけられているが、器体は、1孔の脇で破損している。」 中国河南省舞陽県賈湖Jiahu遺跡から、タンチョウヅルの尺骨(羽の骨)に孔を開けた笛が25点出土した。紀元前7世紀のもので、尺八のような吹き方をしたものと考えられている。日本の遺跡から出土する楽器の中で最も古くから存在するのは「土鈴」で、新潟県の二つの遺跡から、縄文前期の土鈴が1点ずつ出土し、縄文中期になると、中部山岳地帯から関東西武の丘陵地帯からおびただしい数の土鈴が出土している。縄文時代の土鈴は密閉構造をとっているために、きわめてかすかな音しかしない。「鰐口」と呼ばれるスリットが入り、大きな音が出るようになったのは、古墳時代以降である。、、、弥生時代に入るとあらたな楽器が日本に登場した。中国起源の土笛である「塤(けん)」で、卵形、内部は中空、上部に吹き口があり、、日本で出土するのは、前面に4孔、後面に2孔の合計6指孔タイプ。弥生前期の日本海側の遺跡から100点近くが出土しているが、多くが、器形が崩れていまっており、吹いても音を発しないものが多い。この「塤(けん)」がなぜ弥生人に受け入れられなかったかは、日本人の楽音に対する好みの問題ではないか。 また弥生時代には、銅鐸、小型の小銅鐸も当たらに生み出された。楽器であるか音具であるか議論のあるところである。弥生・古墳時代の琴は、一枚板の琴と共鳴体を伴うものがある。」

と言うことが出ており、本書の内容が大変気になっていたが、この本では銅鐸が楽器なのか音具なのかはっきり表現されていない。ただ二種類の銅鐸をぶら下げて音を出すと言うことは多分、ある程度リズムはもちろんメロディもそれによって作れるような気がする。さらに本書では「(けん)」については出てこない。これは笛の一種だと思うが、弥生時代のものなので、銅鐸とは同時期のような気がするが、この塤は多少の音階が出せるようなので、銅鐸にあわせてお祭りに使えそうな気がするが、証拠がない。

本書のp.214 に「争う二人を仲裁する人物」が銅鐸に描かれているが、著者は弥生時代の銅鐸圏の男女の埋葬構成や女性首長の存在などを考えれば、男性優位の社会構造が出来上がっていたとも考えられない。私はこの図像もまたあくまで農耕の豊穣や共同体の安寧を願い災いを忌避する、一貫した観念的、神話的行為の一こまでなければならないと筆者は考える。※この20267月皇室典範が改正されて、明治維新以来あらためて男系男子が天皇を継ぐことと決められた。これはついては男女平等の意識について銅鐸の時代に戻さなければいけない感じだ。

本書では、「聞く銅鐸」から「見る銅鐸」への変化があったが、弥生時代の稲作を中心とする集落から、100mを超える高地で集落をつくるようになった。「聞く」銅鐸の多数埋納や一斉埋納、そして始まる「見る」銅鐸への変貌は、瀬戸内海以東の人々がこうした未曽有の政治的、軍事的危機に対する最大の観念的手段なのであった。多くは眺望がよく通信手段(灯台など)や防御施設を設け、武器を集積するなど軍事的色彩の強い集落であった。しかし北部九州の勢力が実際に東進し、大規模な戦闘が繰り広げられた形跡はないとのこと。このことは日本の最初の起こり方として多くの見解が分かれているようだ。

 本書で言いたいことは、「銅鐸に興味を持って以来、田んぼでの出来事や周囲の環境が気になるようになった。銅鐸に豊穣を願い、自らの命をも託する弥生人たちの思いはごく自然に心に共鳴してきた。私たちは2千年を超える先人たちの努力の歴史と思いをまるごと引き継ぐ必要がある」と。

早淵川散歩でも考えたが、早淵川は水田に水を供給するだけでなく、水がきれいだと魚がたくさん生育し、それを食べにサギやウやカワセミが登場し、さらに子供たちがこの魚を取りに水に入る。川には藻も繁殖するので、鴨もたくさん泳いでいる。夏にはこの川の水で、トンボもたくさん生まれていて、水の上を飛び交っている。小さな川だけれど自然を感じることができる場所だ。さらにこの沿道には車は入れない。したがって年寄りが散歩をしていたり、犬を散歩させていたり、ジョギングをしている人もたくさんいる。単なる小さな川だけれど、この本を読んで、この自然を大事にしていきたいとさらに思う。