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2030/01/01

News

20220831 ワイエービー建築音響設計は8月末をもってクローズ致しました

2026/04/20

建築と音楽の集いPartV 前川事務所時代の大高正人~全日本海員組合本部会館 建築への助走~

 日時:2026418日(土) 1330より

場所:全日本海員組合本部会館地下大会議室

    本建物は当初、大高正人が1964年設計したものだが、のち2024年にかつて大高正人設計事務所にいた野沢正光によって改修された。ただ野沢氏は2023年に逝去されたようだ。

出演:石黒健太(野沢正光設計工房 代表取締役)、金沢恵理子(ピアニスト)

主催:公益社団法人 日本建築家協会関東甲信越支部 城南地域会、この会には第4回伊藤邸(旧園田高広邸)から参加を始めた。この時もピアニストは金沢恵理子だった。

以下はその時のblog建築と音楽の集いPartⅣ 

http://yab-onkyo.blogspot.com/2025/04/part.html

頂いたチラシによれば、第1回目は旧山口文象邸で、昔の我が家の近くにあった。なんどか行ったことがある。3040年ほど前、山口文象さんの息子さんになる施主はピアニストだった。それより前、東工大の学生時代には山口文象の招待で学生、皆で家に伺ったこともある。庭にあるプールにも入ったような気がする。この建築と音楽の集いにも行ってみたかった。

今回のテーマはモダニズムを紐解く~海“たましい”の静と動で、モダニズム建築とモダニズム音楽だそうだ。モダニズムの建築といえばコルビジェであるが、日本ではその弟子になる前川国男やこのテーマの大高正人になる。1960年代のことだ。その大高正人設計の海員組合本部の建物で、モダニズムの音楽を聴くとどうなるか。これも興味深い。

最初の曲はロシアの作曲家スクリャーピン作曲の幻想ソナタで、海の夜を象徴するものとして書かれたもので、金沢さんの話によるとクリミア半島の海をイメージしているとのこと。1892年作曲のことらしい。今問題になっているクリミア半島のことだと金沢さんから説明があった。

2曲目は、ダルクローズの六つのパガテルで、音楽と運動をミックスするリトミックの音楽教育を推奨したようだ。このダルクローズはたしかコルビジェのお姉さんの子供と言っていた。リトミックは浜松で音楽室に関わった時の施主がこのリトミックを実践している人だった。球形ピアノ室完成(2011.01.07) http://yab-onkyo.blogspot.com/2011/01/blog-post.html

曲目はその他サティのグノシェンヌ、ラベルの亡き王女のためのパバーヌ、プロコフィエフの3つのオレンジへの恋からマーチ、ドビュッシーのアナカプリの丘および喜びの島。いずれもいい曲だった。更にアンコール曲は日本の曲、浜辺の歌で、多分これも海に関係したモダニズム曲になるのだろう。懐かしい曲だ。

その後計画では建物の内部の見学をしていったが、私はこれで満足して、帰ることにした。

このピアノを演奏した大会議室は、以下に写真にも示したが、空間的には大きく、観客席も吸音効果としては影響の少ない音楽には好ましい範囲に収まっていた。音楽には豊かな響きがあった。ただ大きな平面で構成されていて、反射音が強く、音の拡散面が少し不足しているような感じだ。ただし会議室として用いる場合には、吸音効果が少なすぎるような感じで、声の明瞭度に欠けるような気がする。

しかしこの建物と音楽の集いの会は、すばらしい建物と音楽を同時に示せることは大変興味深い機会だ。一般的には音楽は音楽用のホールで演奏されるのを聞くが、音響空間的にはかなりきちんと検討されている。しかしこのような由緒ある建物の中での音楽はいろいろ考えさせることがある。次の建物はどんなものだろうか、気になる。








写真:大会議場の内部、これはコンサートが終了した後の風景、200名ぐらいが座れるのではないか。建物の映像用に映写幕が下がっているが、幕は、低音域以外にはほぼ音の反射面だ。まだ客席には人が座っている。観客席の勾配はきつく、観客席からは舞台は見やすい。側壁はほぼ音の反射面で、内側に傾いていて、強い反射音が客席に帰っている。天井も中央の照明に関係するところ以外は、ほぼ平らで、音の反射面になっている。後壁は可動壁であるが、これも音の反射面である。音楽を行う場合には適当な響きがあっていいが、会議を行う場合には声の明瞭度不足のため、吸音が不足していると思われる。後壁に可動のカーテンなどがあってもいいのではないか。







 

2026/04/15

Tsuzuki SPRING JAZZ 2026.04.12  を聴いて

 日時:2026.04.12 開演1330

場所:都築公会堂300席、音響反射板設置状態、リニューアルオープン後の公演

出演:シニアジャズバンドハッピーじゃむ+後藤裕二、横浜モダンジャズクラブ、まつビッグバンド、EM2ジャズオーケストラ+山口葵、出演は4チーム。

主催:NPO法人YES、 共催:つづきジャズ協会

仲町台地区センターまつりジャズDAYが昨年202510月にあった。アマチュアジャズバンドが出演していたが、場所は仲町台地区センターの体育館であった。そのメンバーのいくつかが今回も出演していた。企画の中心になっていたのはつづきジャズ協会だ。

http://yab-onkyo.blogspot.com/2025/10/jazzday.html

参加していた4団体はアマチュアであるが、いずれもそれぞれ特徴を持っている。最初のハッピーじゃむは福祉施設などの訪問演奏をしているようだ。しかもジャズだけでなく、さくらさくらやダニーボウイなども演奏する。結構参加者には年寄も多い。音楽を楽しんでいる感じだ。2番目の横浜モダンジャズクラブは、かなり高度な音楽演奏技術を持ち、モダンジャズを自ら楽しんでいる感じで、聴いている方も安心して楽しめる感じだ。3番目のまつビッグバンドは、ジャズスナックまつの常連客と東工大の学生たちで構成されたグループで、これもかなり洗練された音楽技術を持っている。このグループの最後の曲はTake The A Trainで、わくわくした感じを表現している。最後のグループはEM2ジャズオーケストラで、チラシによれば荏田南小学校の学校開放時に利用していた団体が、荏田南地区の社会人ビッグバンドになったと書かれているので、多分EMとは荏田南を指していると思われる。これもジャズの趣味が高じて、高度な技術を身に着けたグループだ。最初の曲は、再度Take The A Trainで、前のグループと同じ曲だ。わくわくした雰囲気を出した曲だ。しかし私がこの曲を尺八で吹くと、A Train はシュシュポッポの蒸気機関車ではないかと感じられる。この曲を作曲されたときはA TrainはどんなTrainだたのだろうか。楽譜は蒸気機関車が吐き出す水蒸気や汽笛を鳴らしながら走っている感じがよくわかるものだ。このグループはジャズのほかに、最期の曲は川の流れのようにで、ジャズではなかった。地域に根差した活動を行っているとのこと。最初のグループも、この最後のグループも福祉施設などの地域活動を行っているとのこと。私は以前お囃子のグループに所属していたが、お祭りのほかに福祉施設などへの演奏活動も行っていたが、ジャズとお囃子ではジャンルが違うが、地域に根差していると言うことなどから、対象は少し似ている感じだ。

 私が事務所を関内に構えていた時には、その周辺にはジャズバーがいくつかあって、楽しんでいたこともあったが、我が家の近くには昔は山であったことから、ジャズのような特別な歴史はなさそうだが、都筑ジャズ協会は相当頑張っている。ついでに言えば地域の活動として、都築太鼓も相当レベルが高い。地元のお囃子のグループよりレベルが高く、これも聴きごたえがある。










2026/04/13

品田知章著 倭という種族  の感想

 タイトルが「倭という種族」というので、日本の起源を扱うテーマで、しかも3世紀ごろの邪馬台国や法隆寺の600年ごろの創建に百済がかかわっていることや、663年の白村江の戦いなどのことが、朝鮮半島との関係があるようなのでどう評価しているか気になって購入した。出版社は風媒社。

著者は19594月に東京大学工学部を卒業し、19996月中部電力株式会社役員退任とあり、研究者としての経験はなさそうだ。技術論文はどうしていたのだろうか。しかしよく日本書紀や唐や朝鮮の本、たとえば地理書「山海経」(紀元前34世紀)、後漢書』鮮卑伝(せんぴでん)、『三国史記』によると4世紀から5世紀にかけて、新羅と百済は“倭国と国交しているというはなしがある。今は失われている百済三書の百済記・百済新撰・百済本記、高句麗本記なども書かれている。

 倭という種族という本の内容では、一般の認識では、日本書記に書かれたものが普通の考え方で、神武天皇以来直系の天皇が支配していたように思っていたが、この本では27世紀は日本には、いくつかの種族がいて、それぞれの地域を支配していたようだ。また倭族は唐や百済や新羅の歴史にも出てくるが、種族として北九州と朝鮮半島の双方にまたがって存在していたようだ。この本では、倭族は日本書記に出てくる大和朝廷の前身のとらえ方をしているようだが、日本書記は倭国を天皇家が継続しているようにするために、倭族を大和朝廷にすり替えて変えてしまっているのではないかとのこと。多分これは新しい知見ではないかと思う。

 ただし私が気にしていた、邪馬台国の話や法隆寺の建設に百済がかかわったことや白村江の戦いがなぜ起こったかなどはほぼ書かれていない。物語になるような話は全く出てこない。史実でも倭国に関係しているものだけを羅列した感じで読み手のことは考えていない感じだ。断定的なことばも多い。列島とは日本列島、半島とは朝鮮半島のことを指すが、本書では最初を除き、それ以外はすべて列島と半島となっている。また倭国になったり倭族になったりしている。この本の内容がすっきり理解しにくい。

 本書の結論として、あとがきに書かれている。七支刀は半島の倭王に対して百済が下賜したもの、南宋に遣唐使を送ったのは九州の倭王の2点。ただし今まで本文で気にしていた内容と残念ながら印象が違う。はやり言いたかったのは日本書記に書かれている大和朝廷は倭国とすり替えがあったことではないかと考える。倭国に関して、韓国の本では日本書記と内容が異なる。



2026323日朝日新聞月曜日夕刊の1面に、「飛鳥寺と百済 甲(よろい)が残した縁」という記事が載った。日本書紀によれば、蘇我馬子が588年に、百済から僧侶や技術者の派遣を受けて飛鳥寺の建設を開始。奈良国立文化財研究所がその塔の跡を発掘し、鉄製の甲(よろい)や蛇行上の鉄器などを発見した。韓国では光州市にある公山城遺跡から鉄製や革製の甲(よろい)などが見つかり、飛鳥寺のものとよく似ていることが分かったとのこと。この話は日本書記の書かれていることを根拠に調査しているようだ。なかなか真実は難しい。



2026/03/30

神奈川大学 幸田先生の最終講義~住民自治、市民自治の実質化に向けて~を聞いて

 この最終講義には、山下埠頭再開発の横浜市の専門委員として活動していて、しかも市に住民をメンバーに加えろという運動をしていた幸田先生の最終講義があることを、山下埠頭の開発の住民側の先頭に立っている中村さんから紹介された。

日時は2026327()で、講義は神奈川大学3号館205号室で、150名ほどが入れる講義室であったが、学生はほとんど見当たらず、先生か、中村さんが呼んだ山下埠頭の開発に関する住民と思われる。

 幸田先生は神奈川大学の法学部教授であるが、最初は国土交通省に所属していて、実務で経験していたようだ。1970年代は長洲一二らによる地方自治を担う首長によって理論づけがされるようになってきた。幸田先生の最初の大きな仕事は、伊丹空港の中村地区で、空港の拡張工事に伴い、戦前に工事に従事していた韓国・朝鮮人の飯場が国有地の中村地区につくられ、戦後も彼らが家を建てて居住していた。ただ劣悪な環境で、国有地に居住するという環境を改善し、空港を拡張する必要にも迫られてしまった。これを、法律を作り、別の土地に住宅を整備して、そこに集団で移転をしていただき、解決したとのこと。チラシの中にこの解決には、国土交通省と伊丹市職員の人生を掛けた苦闘があったと元中村地区の自治会長の丹山さんが評価している。中村地区の集団移転は、在日の誇りをもった地域住民の文化的なコミュニティ保持と国による用地提供と、伊丹市の共同住宅の建設という事業で成り立ったものだ。これを解決するためには直接対応した人、幸田雅治の現場に飛び込んで、そこの住民と解決する努力をした。並大抵のことではできない。

二番目のテーマは、消防団員の女性隊員の積極的活用の道を開いたとのこと。さらに次のテーマは行政不服審査法の使い方という幸田先生の著作についてで、保育の質を考えるという章の中(以下に示す資料の2枚目)で、子供の発達心理学的知見に基づく寄稿を川田学が行った、とあった。この川田学は私の甥で、現在、北海道大学教育学研究院教授で、結婚したばかりの時には数年、我が家に住んでいたこともある大変親しい人だ。今でも時々メールのやりとりをしている。次のテーマは平成の市町村合併批判で、地方自治の保障には、中央政府のみに権力を集中するのではなく、政治を分立ささせる必要がある。合併をした町などでは人口が減少しているところが多い。

 幸田先生の最終的な結論は、「自律性の原理」における「自律」の意味は、「外部からの支配を受けないこと」と「自らの規範に従って行動する」の2点で、「住民自治」の侵害は、外部からの介入(支配)が容認できないレベルに至り、住民の意思が反映されなくなること。

この結論は山下埠頭再開発問題に絡んで考えることができる。

私も10年間ほど、この神奈川大学の環境学科の寺尾先生の下で、環境実験を担当していたので、とても懐かしいところだ。




追加2026.04.09:以下は川田学の著書、保育的発達論の始まりという本
子供の教育の目的は発達ではなく、社会とのつながりを意識して保育すること。
この話は社会と個人についてつながりを述べているところが、幸田先生の住民自治論とつながりがある感じだ。




2026/03/09

人形劇 ペドロ・パラモ を見る

 日時:202635日(木)開演300、本公演は34日から8日まである。

場所:シアターグリーン、池袋から東口に出てしばらく歩くとシアターグリーン通りに出て、その道沿いにある。階段を上り、劇場入り口にたどり着く。観客席は、さらに結構急な階段席になっていて、観客席は約200名、客席の階段を歩くのは大変だが舞台はよく見える。満席だった。

主催:人形劇団ひとみ座

 本演劇は、元横浜ボートシアターの高橋和久さんから紹介された。高橋和久さんはペドロ・パラモの息子 “おれ”役ででてくる。唯一人の声がそこから出てくる。現実の世界を表現しているからかもしれない。その他のたくさんの登場人物は黒子が支える人形たちで、声はスピーカから出てくる。多分録音をしたものだと思われる。ペドロ・パラモの息子が、母が死んで、自分の父親が住んでいるという街にきたら、宿の女主人がすでにペドロは死んでいる。自分はあなたを育てたという。その時からペドロ・パラモが活躍し始める。多分悪人として支配し始める。多くの登場人物が出てきて、金持ちの人を殺し、その弟子もその人を殺し、陰湿な、どこかで聞いたことがあるような世界が広がる。1年前に 「ガザ日記」を読んだときに感じたが、爆撃があったあと、自分がすでに死んでいるのか生きているのかよくわからないと書かれていたが、そんな生きているのか死んでいるのかわからない世界の話のようだ。最終的にペドロ・パラモは殺されて、その人形が粉砕される。その粉砕された後に、ペドロ・パラモの息子“おれ”が、最初の時の様に、ホテルの女主人に尋ねる。ペドロ・ハラモに会いに来たと。

 公演の後、対談:脚本演出の友松正人さんと司会、俳優、“いしころ”の声として出演しているいとうせいこうさんが対談を行った。開口一番、友松さんにこんな難解な話をよく人形劇にしたものだという。たしかに!難解と思われるところは、筋立てがはっきりと見られないということ、また生きた世界と死んだ世界がバラバラに現れるところかもしれない。いとうせいこうさんは、石ころの役で、話が変わるときにごろごろところがってきて現れる。多分世界の出来事の断片は常にいろいろなところで現れる。戦争などによる殺し合いや、略奪や陰謀や権力闘争などである。それをある世界の瞬間を断面で示そうと考えたのではないかと思う。いずれにしても多分難解で、昔、一緒に行った人と帰りに一杯飲みながら、あーだーこーだーと議論したくなる感じだった。帰りはネオンの池袋をわき見しながら、しずしずと歩いて帰った。

 人形劇ペドロ・パラモという物語は、いとうせいこうさんに言わせれば、人形浄瑠璃と同じような手法をとっていると言っていたが、人形浄瑠璃の場合には、登場人物は人形なので、三味線と話し手が人形とは別に存在する。しかしこの場合には人形に情が移り、人間に対してのように悲しくなったり、感激したりする。しかし今回はスピーカから声が聞こえてくるが、誰が話をしているのかすぐには理解できない。しかも悪人ばかりなので、なかなか感情移入が難しい。このスピーカからの声はいいのか悪いのかよくわからないが、きっと悪人に対してもそのような憎たらしい感覚が現れてもいいかもしれない。しかし今回は人形になかなか情が移らなかった。多分この辺りは人形浄瑠璃の方が、人形劇よりまさっているのかもしれない。人形浄瑠璃の様に生の声でセリフを言ったらいいのではないか。

本小説はメキシコのフアン・ルルフォという人が書いたとのことだが、この話はメキシコだけの話でない、現在、ウクライナーロシアの戦争、パレスチナ―イスラエルの戦争、ベネズエラーアメリカ、さらにイランーイスラエル+アメリカなどの戦争がたくさんあり、本演劇の内容そのものが世界で繰り広げられている。正義というものではない、これが現実だとペドロ・パラモが言っているような感じだ。

                           写真:公演および対談がはけた後のシアターグリーンの舞台、

             舞台下部にパラモの顔の残骸が散らばっているのがわずかに見える。




 


2026/03/03

ODE to JOY 永遠の愛について テノール:吉田志門、ピアノ:錠(いかり)大知

 日時:202631日(日)1400開演

場所:霞町音楽堂:広尾駅から徒歩8分 観客席100名程度

演奏:ピアノ碇大地、テノール 吉田志門

タイトル:ODEJOY “喜びに捧ぐオード”

このコンサートは、ミエンさん(指揮者キンボー・イシイのお母さんの友人の中野さんから紹介されていった。ミエンさんは我々の共通の友人。

曲目は、前半は、ブラームスの歌曲で、主に連作歌曲集《美しきマゲローネのロマンス》、歌詞はドイツ語で歌ったが、本人が日本語に訳して朗読した。

後半は日本語の歌で、作詞はやなせたかし谷川俊太郎などで、作曲は木下牧子。このコンサートはこの日本の歌曲のCDを発売して開かれたようで、その作曲者として、本人が出て紹介されていた。

この日本語の歌は、プログラムにあるが、『日本語の歌を歌うでは「どの言葉にアクセントがかかってはならないか」というアプローチが非常に重要です。』日本語の歌は引き算の美学と書かれていた。ブラームスの歌曲の場合には、ドイツ語を日本語に本人が訳した後、ドイツ語で歌っていた。おかげで何と言っているのかはよく分かった。最近オペラはイタリア語やドイツ語やチェコ語など作曲されたときの言語で歌い、字幕で日本語を書いていることが多いのは、日本語に翻訳して歌うとアクセントがなかなか歌と合わず、原語で歌うようになったのはこのことだと思われる。1960年代、小泉文夫や芥川也寸志が、日本の曲はヨーロッパと異なることで、苦労したことだ。

 ブラームスの歌曲、主に連作歌曲集《美しきマゲローネのロマンス》では昔々というおとぎ話に出てくるような美しい話で、1516世紀にドイツで広まった民話を L.ティークが小説を書き、これを下敷きにして、ブラームスが曲にしたようだ。日本では室町時代、能狂言の始まった時代かもしれない。狂言にありそうな話かかもしれない。ひょっとして『あんたがったどこさ』の童謡が、もし映画監督、武智鉄二の言うようにフランシスコ・ザビエルの頃のスペインの水夫が持ってきたとすると15世紀頃かもしれない。後半の木下牧子の歌曲では、日本語で歌われると即その意味が伝わってくることが、良いことか悪いことか、多分いいことだと思われるが、『犬が自分のしっぽを見てうたう歌』など、犬が自分のしっぽを見てくるくる回るしぐさなど、確かに漫画を見ているような具体的な感じがわかり、谷川俊太郎の『しぬまえにおじいさんがいったこと』は、途中、『錆びたかなづちを残してくれて』などと、いいながら最後の言葉は、私が最初に愛した人、さらに最期まで愛した人とあの世で再び巡り合えると結ぶ。いい曲だった。日本語の歌もよかった。

私の席の隣の隣はオルガン奏者で、バッハコレギウムジャパンの鈴木雅明さん、多分となりはその奥さんと思われる人が座った。プログラムには、テノールの吉田さんは2022年にバッハコレギウムジャパンにソリストとしてデヴューとあった。中通路を隔てた反対側には、後半の歌の作曲者の木下牧子さんが座っていた。

 劇場は、霞町音楽堂で、広尾から六本木通りに近くまで歩き、うろうろしていたら中野さんにあった。教えてもらい少し脇道に入る必要があった。さらに階段で地下に降りる必要があった。室内のデザインは、雰囲気は木目調の壁やシャンデリアがさがり、古風な雰囲気を醸し出しているが、壁の上部は2.5m程度で、そこから三角に傾斜がついているが、頂部はせいぜい3m、舞台は約50cm立ち上がっているので、楽屋に通じる入り口は当然低い。ホールは間口約7mの奥行1012m程度で、観客は横10隻、100名程度、部屋いっぱいの観客のために、ほとんどを人が吸音してしまい、響きがほとんどない。歌にはこの倍ぐらいの高さが無いと響きが得られない。CDの録音は、ベルリンの教会で行ったようだ。どんな教会だろうか。バッハのライプチッヒの教会のように天井が高いのは当然残響時間が長い。録音にはもう少し残響時間が短い方がよさそうだが、先日ウクライナ支援コンサートの時には田園江田教会が会場だった。天井は岩綿吸音板であったが、天井の高さは56mあり、広さもこのスぺ-スより大きい。こんな感じの大きさがある方がよい。以下のブログに写真もある。

http://yab-onkyo.blogspot.com/2026/02/blog-post.html

 今回のコンサートは前半ブラームスの歌曲で、ドイツ語のきれいな曲だが、それを日本語の翻訳を吉田さん自ら行い、朗読してわかりやすくした。後半は木下牧子作曲の日本の歌曲で、これは日本語のアクセントを注意深く作曲したようで、挑戦的な意図を感じた。

 

               写真:霞町音楽堂の内観、コンサート終了後に撮影