2030/01/01
2026/07/07
レクイエム 渋谷混声合掌団第31回定期演奏会 愛する者への思慕―フランス・ロマン派音楽の巨匠たちのレクイエム を聴いて
日時:2026年7月4日(土)14時開演
場所:東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル
主催:渋谷混声合唱団
曲目:シャルル・グノー作曲 レクイエム、 ガブリエル・フォーレ作曲
レクイエム
このコンサートは私の大学の同級生の渡辺さんから紹介された。
東京オペラシティコンサートホールは、1997年9月10日、柳沢孝彦の設計で、やはり柳沢孝彦(当時竹中工務店所属)が設計した第二国立劇場は着工が遅れてしまい、これに先駆けてオープンした。各席数1632席、客席は、上階を除きほぼ満席だった。客席空間は、天井が高く、三角形の特徴ある設計となっている。意匠的にはダイナミックなデザインだ。しかも木調の雰囲気で統一されている。しかし三角形の、その面は拡散性をもたらすように凹凸があり、そのため音響的には天井からの強い反射音が得られないので、どちらかといえば側方反射音が重視された設計となっている。しかし側方の壁も客席側は細かな凹凸があり、やはりそれも中・高音域で音の拡散性があり、強い音の反射は避けるようになっている。今回のレクイエムの曲に対しては、天井から遅れてくる反射音は天空からの音にも聞こえ、多分好ましい音響空間ではないかと思われる。多分クラッシク音楽に対しては、この天井からの遅れてくる反射音は、好ましい響きになると思われる。目安としてはエコーとなる50msより少し短い天井高さ。要するに50ms×340m/s=17m、すなわち天井高さはこの半分の8.5m程度がいいことになる。ただ天井高さがそれより高い場合でも側方反射音なども含めると反射音は天井だけの場合とちがってエコーにならずに聞こえるようになる。しかしこのような三角形の形状では、天井からの反射音は得られていない。また舞台の上でも、天井に一部、かなり大きな四角の音響反射面がつるされているが、大体の面は三角形の高い天井があり、舞台での演奏音がそれぞれの演奏者どうしで聞きにくくなっているような感じだ。
舞台には多くの合唱団の人々、オーケストラ、上階にはパイプオルガンがあり、舞台をすこし広げて設置していた。私の座席は舞台方向から5列であるが、その2列を舞台に変更しているようだった。したがって私の席は舞台から3列目になっている。
チラシによれば、愛する者への思慕―フランス・ロマン派音楽の巨匠たちのレクイエムという章のところで、「レクイエム」は「死者のためのミサ曲」とあり、グノーについては18889年に孫が亡くなったことを悲しみ、このレクイエムが作曲されたとのこと。しかも遺作となった。フォーレについては1885年に父親が亡くなり、これがきっかけとなりレクイエムが作曲された。結局この二つのレクイエムは時期的には同時期に作曲されている。ただしグノーは1818―1893、フォーレは1845-1992で、生まれは27年、亡くなった時は99年異なっている。ともにフランス・ロマン派音楽を代表する巨匠とあるが、わたしには特に、フォーレについては、彼の弟子はラベルになり、フォーレの雰囲気はドビュッシーやラベルのような新しい色彩的なフランス音楽を感じることができた。
コンサートが終わった後、飲み屋に行って、大学の友人たち数人と演奏していた渡辺さんが集まった。渡辺さんのおかげで、大学時代の友人たちに会うことができた。
私は舞台から3列目、目の前が舞台なので、舞台からの音が直接音としてよく聞こえたが、室内の残響音はよくわからなかったと言った。渡辺さんは、舞台の上でその他の人の唄や演奏音がよく聞こえないので、指揮者の手の動きをよく見て歌ってくださいと言われたようだ。パイプオルガンの音も前方上部、パイプオルガンがあるところから、直接音がメインの感じで聴こえてきていた(写真で示している)。したがってこのホールは、直接音と室内の後期拡散音が特徴となっていて、どちらかといえば音の明瞭性を大事にしていると言えるかもしれない。したがってコンサートははっきり聞こえてよかった。どなたかが一人のソプラノの声がよく聞こえていたとも言っていた。この音のバランスをよくとらなければいけないのがこのホールの特徴ともいえる。
渡辺さんが音楽家は周囲に影響力があるが、建築家はないねと。今回集まった我々は東工大の建築学科卒で、清家清や篠原一男には影響を受けているが、ほぼ専門が個人住宅の設計のためか、日本の人で清家清・篠原一男を知っている人はあまりいない気がする。同期には中野サンプラーザ設計で有名な日建設計の林昌二、NHK及びNHKホールを施主側から設計した浅野昭利がいる。一般的には更に知られていないかもしれない。強いて言えば建築家では日本の都市計画も発表している丹下健三ぐらいかもしれない。大昔から考えると、ヴィトルヴィウスというギリシャ時代の建築家がいる。円形劇場の設計で有名だ。中世の城やゴシックやロマネスク教会、またはイスラム教の教会を建設した建築家はどんな人だろうか?バッハやモーツアルトやベートーヴェンの時代には誰かはいただろうが名前は知られていない。ニュートンやガリレオは有名だが、建築家はどうなんだろう。日本で言えば戦国時代、たくさんの城ができたが、誰が設計したのだろう。織田信長や豊臣秀吉や徳川家康は城で有名だが、その中に建築家の名前は出てこない。桂離宮はどうなのだろう、建築家の名前は出てこない。作庭は小堀遠州、またはその弟子という話もある。この建物はグロピウスなども評価して、近代建築の見本になりえるという話もあった。近代になってガウディ(1852~1926)やコルビジェ(1887~1965)やフランク・ロイド・ライト(1867~1959)は相当有名だがそれ以降はなかなかむつかしいかも。音響技術者としては、1900年に残響時間の理論を作り出したセイビンは音響技術者の中では有名だが、世界で知られている人はそうとう少ないと思われる。それに反して音楽家で言えば、最近ではチャイコフスキーやショスタコーヴィッチ、日本で言えば、このホールの名前の由来にもなっている武満徹や、ゴジラの曲で有名な伊福部昭や、テレビ番組の赤穂浪士のテーマ曲の作曲者、芥川也寸志が有名だと思われる。多くの人々への影響力という意味では、城とか教会とか寺院、更に街など、ものとしてはあるが、それに関係した建築家個人というのはほとんど知られていない気がする。多分建築の分野に限られているからかもしれない。ただ現在日本では地球環境の変動や東北や東南海での大きな地震の予測や人口減少があり、また地方の人口減少は特に顕著になっている。その結果、農業や漁業や林業に携わる人が少なくなってしまっている。空き家も増えてきてしまっている。建物の耐震性も重要な課題だし、上下水道などのインフラも大きな課題だ。これらを考えてみると大きな課題がたくさんある。これを都市計画的な観点から提案ができればいい貢献ができると思う。最近久元神戸市長が神戸の中心部には高層ビルは都市の中心に人口が集中しすぎると言うことで禁止したとのこと。一理ある気がする。
写真:客席後部から舞台側を見る。三角形の天井が見える。しかもその表面には凹凸があり、音が拡散するようになっている。舞台一部客性上部には音響反射面がぶら下がっている。
写真:客席の前の方から客席後方の天井を見上げた。やはり三角形の天井があり、しかも凹凸があり、音の拡散性もある。
2026/07/01
杉山哲雄ピアノリサイタル ベートーヴェン ソナタ連続演奏会(全10回)⑥ を聴いて
日時:2026年6月28日(日)2時30分開演
場所:銀座王子ホール
主催:杉山ムジーク・アカデミー
曲目:ベートーヴェン作曲
ソナタ第9番、ソナタ第16番、6つの変奏曲、ソナタ第26番(告別)
アンコール:やさしいソナタ第二楽章
杉山さんが、「ソナタでベートーヴェン自らがつけた標題音楽はこの告別だけ、先入観が入ってしまうという恐れもあるが」といっていたが、「告別」、「不在」、「再会」という流れになっていて、この「告別」では悲しさが現れ、「再会」では喜んでいる様子が感じられる。多分今回のコンサートでは、この曲がメインの曲かもしれない。1809年4月にオーストリアとフランスが戦争状態に入り、ナポレオン軍がウイーンを占拠、ルドルフ大公が避難したことがあったようだ。ただ翌年の1月30日にはルドルフ大公はウイーンに戻り、これが作曲のきっかけになったようだ。チラシでは、第三楽章の再会について、「ffの力強い音型で始まる経過には祝砲や花火のような音が聞こえ、ベートーヴェンが楽しんで作曲している様子が想像できる。」と具体的に述べている。
杉山さんは、このベートーヴェン ソナタ連続演奏会で、ベートーヴェンの創作の神髄に迫ろうとしているような気がする。音楽家の意気込みが感じられた。
2026/06/25
たゆとう楽と舞 ガムランの扉2026 中部ジャワのガムランと舞踊 を聴く
日時:2026年6月21日(日)15時開演、6月20日も公演があった。
場所:日暮里サニーホール、舞台は使わず、平土間を一部、舞台にして、楽器を並べるだけでなく、舞踊も行っている(下記写真にしめした)。
主催:ガムラングループ・ランバサリ
演奏:アロイシウス・スワルディ インドネシア国立芸術大学スラカルタ校で博士号を取得し、1990年にインドネシア共和国文化大臣から模範講師の賞、2012年には文化賞を受賞している。
舞踊:テレシア・スリ・クリニティ カスナナン王宮と中部ジャワ文化センターで宮廷舞踊ブドヨとスリンピを深める。更に舞踊についてはパンフレットに示した人たち、演奏については、ランバサリの演奏者もンフレットに示している。私は近所で、演奏者の一人の大田さんにこのコンサートを紹介された。もう何度かこのコンサートには行っている。すべて日暮里サニーホールである。
司会者が、最初にこのジャワガムランはジャワの宮廷音楽で、日本で言えば雅楽のような感じだと言っていた。ただインドネシアは、戦後王政がたおれ、インドネシア共和国にかわり、それとともに、ガムランは民間に開かれた音楽になっていて、今回も新しく作曲されたガムランを紹介していた。それに対して雅楽はどうなんだろう。奈良時代からずっと皇室の音楽にとどまっているのだろうか?雅楽はこのガムランやオーケストラに様に楽器がたくさんあり、華やかな舞踊や物語もあり、少しガムランと似ているが、雅楽のコンサートは日常的には開かれていない気がする。※ただし私の身近なお寺、善照寺の活動の中で、毎月1回は、先生が来て、雅楽の楽器、笙などを練習して、それを法事の時などに披露している。ただこのような出来事は、一般的な感じではないかもしれない。多分素晴らしいことだ。
コンサート名の「たゆとう」は不安定な状態でゆらゆらと漂うような意味で、このガムランを指しているもののようだ。ガムランは音のリズムは少しずつ変化するし、音律も2系統あり、横向きに並べられている楽器(スレッドロ音階(日本の民謡など))と縦向きに並べられている楽器ペロッグ音階(沖縄の音楽など)の二種類があり、時々入れ替えて演奏する。クラシック音楽の様にメロディやリズムが固定しているものでなく、ゆらゆらと変化する。たゆとうは、それを意味しているのだろう。なんだか心の動きを表現しているのかもしれない。
またプログラムの半分はガムランの伴奏を付けた舞踊となっている。帯が足元より長く垂れ下がり、それをけりながら、しなやかに踊る。また歩きながら紙吹雪を足元から散らかしながら歩く。華やかさが増す感じだ。
NHK2CHのクラシック音楽館のビデオで、ショスタコーヴィチの交響曲4番を聞いた後だったので、この激しい心の戦いを聴いた後に、これはこれでなるほどと思ったが、たおやかなガムランを聞いたことで、心が落ち着く感じは格別だ。
写真:最後に出演者が挨拶をしているところは、写真OKとのことだったが、挨拶をしているところは撮れなかった。少し遅かった。床には紙吹雪がまき散らかされている。
写真:リアントさん(右側)と川島さん(左側)、公演がはねた後写真撮影に応じている。
写真:琴やハープのような楽器、楽器の細い方に座って、つま弾く感じで演奏する。
実は10年ほどまえ、バンドンにバンドン工科大学の音響実験室(無響室、残響室2つ、吸音率測定、遮音測定もできる)を工事監理するために、スペイン人のアントニオさんといったときに、近くに公園があり、そこに日本の占領時の防空壕とその隣にオランダの防空壕があり、現在はそれらが戦争記念碑になっていて、それを見学した。インドネシアの案内人は、日本人の私に向かっても、スペイン人のアントニオさんに向かっても大変文句がありそうだった。しかし当たり前の問題だ。先日天皇陛下がオランダの国王と会った時には、当時悲劇があったが、それを乗り越えていこうと。
そういえば、このランバサリの生みの親は音楽研究者の小泉文夫、当時東京芸大にいた先生だが、多分終戦になった年はおおよそ20歳、戦後の政府が主に教育に使っている音楽、主にクラシック音楽に批判的で、日本の音楽について造詣が深いが、インドネシア宮廷音楽のガムランについても研究し、楽団も作った、それがランバサリ。私が20歳前半の頃、劇団天井桟敷(主催者、寺山修司)の稽古場公演を見に行った。出演者5名、観客はわずか3名の時だった。金属の楽器を雨だれの様にポツリポツリとたたき、それがいつの間にかテンポが異なっている。それを2時間ほど聴いていて、なんだこの音楽はと。今考えるとこのガムランの音楽に近いものだったかもしれない。また横浜ボートシアターの団長の遠藤さんも私より20年ほど早く生まれているので、小泉文夫と同世代。演劇にガムランを取り入れて、なだらかな音楽を流しながら芝居を行っている。よく見に行った。今は、遠藤さんは亡くなり、あとを音楽家の松本さんが演奏しているが、ガムランの楽器はそのままで、ジャズのように演奏している。それはそれで力強さが伝わってくる。
※このブログを見ていただいた大田さんから下記のメールをいただきました。
天井桟敷については、「金属楽器の雨だれ演奏、スティーブ・ライヒの影響かもですが、よくガムランもセットで語られるのできっと繋がっているでしょう。」「雅楽は、皇室と貴族の音楽ですが、神社とお寺でも継承されました。なので、今でも祭礼で演奏したり練習したりしている寺社は意外と多いと思います。」
2026/06/02
演劇 眠レ 巴里 を見て
日時:2026年5月31日(日)14:00開演
会場:中野・劇場MOMO 客席数90席、満席だった。
本公演は、高橋和久さんから直接お手紙をいただいて知った。前回高橋さんが出演した人形劇ペドロ・パラモという演劇は、生と死がテーマだったと思うが、今回はどうであろうか!以下はそのブログ
http://yab-onkyo.blogspot.com/2026/03/blog-post.html
高橋和久の役割は、「現実」を表現したかったように思う。やっとこの姉妹のいるホテルを見つけて、出刃包丁をもって現れ、しかし殺そうとした姉妹がすでにいなく、姉妹がいたベッドで、まずそうにハンバーグを食べ、鼻をかみながら、チリ紙をそのまま床に捨てる。そんなことをしているうちに多分、天国にいる帽子をかぶった天使のような格好で姉妹があらわれ、高橋和久と楽しそうに踊りを踊って終わる。姉妹にとっては「しめしめ」という感じだ。
姉妹はどのような現実から逃れたいのだろうか?よくみるとチラシの副題に、「また 見つけた なにを?―永遠。」この演劇で求めていたのは、永遠と言うことなんだと思う。安易に考えると死ぬことで、永遠が手に入ると言うことを意味しているのか!そんな馬鹿な!!これでは中野の飲み屋でお酒を飲まないと帰れない。たしかに中野には飲み屋がたくさんあった。この永遠と死というテーマは、ひょっとしてパリ!では成り立つかもしれないが、パレスチナのガザでは成り立たない。何かを求めて演劇で生きろ生きろと訴えて、永遠を手にする方が観客にとっては多分気持ちがすっきりする。それも飲み屋で話そうではないか!この永遠に対しての現実は荒々しい暴力の世界かもしれない。高橋和久が演じる現実の荒々しい暴力の世界、したがって永遠とはすべてが均衡して、それによって得られる平和な世界を表しているような気もする。そう考えるとなるほどと思われる。ただその時は一瞬現れるが、またしばらくすると元に戻ってしまう。だからチラシの副題には「また見つけた」と書いてあるではないか。※私は約5年前に患った脳梗塞のために、一度は死ぬような経験をしている。今では酒は飲めない体になっている。病気の前を思い出して、そういう気持ちだったはずだと思い出した。
写真:劇がはねた後の劇場の風景、舞台中央にベッド、舞台下手にはエレクトーン。
2026/06/01
第37回横浜都築太鼓 結成40周年記念公演 太鼓道を聴いて
日時:2026年5月30日(土)13:30開演(昼の部)
場所:青葉公会堂
出演:都築太鼓、ゲスト出演:東京大学運動会応援部、友情出演:太鼓集団 鼓粋(こいき)
プログラム:下記のチラシに示した。さらにアンコールもあった。
http://yab-onkyo.blogspot.com/2015/11/codex-barbes.html。これはトロンボーンが主で、和太鼓が従のような感じだったが、さらに言えば、和太鼓を中心にした演目で、面を用いて、お祭り、神楽や雅楽や伎楽などとも、また和太鼓が国際的に認知されてきていることから、国際的な雰囲気の楽器、例えば三味線のように、つま弾くシタールやドタールや、ドンブラなどの楽器と組み合わせることもそのうち可能かもしれない。ひょっとして、二胡や胡弓やコブズの様に弓で引く楽器にも作曲によって対応が可能かもしれない。将来の展開が楽しみだ。
追記2026.06.02:多分最後の大地という曲かもしれない。篠笛が2本出てくる。この曲は以前、どこかで聞いたことがあって、篠笛2本は唸りを生じてしまうと感じたことがあった。多分今回は、やはり篠笛2本だけど、唸りが目立たなかった。音律を調整した二本なのか、気になるところだ。
写真:公演がはねた後のホールの様子
2026/05/28
杉山哲雄 ピアノリサイタル ベートーヴェン ソナタ連続演奏会⑸ 5月24日(日)
日時:2026年5月24日(日)2時30分開演
場所:銀座王子ホール シューボックス型のホールで、客席数315席、室内楽用のホールで、聴きやすい。
演奏者:ピアニスト杉山哲雄
曲目:ベートーヴェン ソナタ第19番、ソナタ第11番、ソナタ第25番(郭公)、15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)
アンコール曲:ベートーヴェン バガテル ハ長調 作品119.2
チラシによればピアニストの杉山哲雄は、三重県伊勢市出身で、私が東工大建築学科を1972年に卒業した時の同期の濱口さんとも伊勢市で同期なので、多分年代は私と相当近い人だ。杉山さんは、東京芸術大学大学院を卒業したあと、ウイーン音楽大学に留学し、1979年に卒業している。その後はリサイタルを中心に活動を始めたそうだ。勢いを感じる。横浜国立大学名誉教授ともあり、かつては大学の教壇に立っていたこともあったのではないかと思う。現在は杉山ムジーク・アカデミーを主催しているが、その音楽スタジオを、先ほど書いた濱口さんの建築設計、私の音響設計で、渋谷に建設した。最近では、このベートーヴェンの全ソナタ演奏会を行っているようだ。なるほど曲の説明が理論的である。このコンサートの大きな目的は、本人によれば、このベートーヴェンの全ソナタの連続コンサートは「ベートーヴェンの創作の本質に光を当てるものである。」
最初の曲はソナタ第19番ト短調で、「第一楽章は陰りのある祈りの表現と牧歌的な広がりのある第二楽章との対比」、私は特に低音部の力強い音に感激した。2曲目はソナタ第11番変ロ長調で、「豊かな楽想に和音の厚みと奥行きが加わり、、」 「柔らかい和音の刻みの乗る主題は黄昏時の色彩が伴う美しいもの」 クラシック音楽が和音を獲得して、華やかな雰囲気を形成し始めた頃のことだと思う。時には唸りを伴ったものもあったが、これは平均律による調律の問題もあるかもしれない。3曲目はソナタ第25番ト長調 “郭公”。チラシによれば「第一楽章にカッコーを連想させる音型があり、、、全体がさりげなく統一され、伸びやかな響きとリズムが自然の光景を思わせる。」 多分この自然の光景とは、日本の森の景色とは違い、のびのびとした田園の風景なのだと思う。4番目の曲は、15の変奏曲とフーガ 変ロ長調 作品35 “エロイカ変奏曲”、交響曲第3番作品55「英雄」にも用いられたことで、「エロイカ演奏曲」とよばれている。ここでも第15変奏で、「大木が枝を広げるように」と表現されている。多分このコンサートではメインの曲ではないかと思う。
今回の曲の発想は自然の風景から得られたように思う。また低音の重厚な響が強く感じが得られているように思う。ただ「創作の本質」に自ら解釈し、至ることは難しく、主は杉山さんのチラシの文章から得られたものだ。
2週間ほど前には、久元さんのベートーヴェンのピアノ ソナタ全曲演奏会の一部を聞いたばかりだ。この曲は華やかな感じがあって、同じベートーヴェンのソナタでも違った雰囲気になっている。ベートーヴェンの創作の本質は、奥が深い。
http://yab-onkyo.blogspot.com/2026/05/vol4.html
写真:演奏会閉幕後の舞台の風景