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2030/01/01

News

20220831 ワイエービー建築音響設計は8月末をもってクローズ致しました

2026/08/07

寺沢 薫 著 銅鐸の世界 を読んで考えたこと

 寺沢 薫 著 銅鐸の世界、副題:考古学が解き明かす最新の銅鐸論、、寺沢 薫 著 新泉社刊

仕事を辞めてからは、ほぼ毎日、暑い日も、早淵川沿線を散歩しているが、この間に、ほぼ毎日サギやウやカワセミなど、更に夏はトンボや蝉が見られる。この早淵川には小さな魚がたくさん泳いでいて、それをサギやウやカワセミが食べに来る。ときにはカラスがスズメを食べているところ、子供たちが川に入って網で魚を捕っているところにも出くわす。早淵川は小さな川だが、季節の移り変わりや自然の循環を感じることができる場所だ。このサギが、次に述べる大昔の銅鐸にも表現されているようだ。

この本によれば、弥生時代にできた銅鐸は、最初「聞く銅鐸」で、そのうち「見る銅鐸」と変化したようだ。「聞く銅鐸」は稲の栽培に関して、主に稲をまくときと、稲を刈り取った後にお祭りをして、この銅鐸を鳴らすようだ。この稲作に関してはサギやトンボも大事な役割があるようだ。稲の成長に大事な貢献をしているようだ。銅鐸の側面に描かれている。この早淵川散歩でもサギやトンボは魅力的な動物たちだが、弥生人たちにも大きな貢献をしているようだ。この銅鐸は小さな吊り鐘のような形をしているので、音を出して楽しむ道具と思っていたが、さらに大小2本の銅鐸をつるして、奏でるようなので、どう考えても音楽を奏でている感じだが、その様子は書かれていない。リズムやメロディはこの二つがあれば奏でられる。今のお囃子は、大太鼓、締め太鼓と篠笛だ。これも稲作に関係したお祭りの時に演奏される。紀元前後からこの銅鐸は存在しているので、そのうち何らかの痕跡が今も伝わっているような気がする。ひょっとしてサギの足の骨からも笛がつくれそうな気もする。さらに銅鐸はお寺の鐘の様にたたくと唸りを生じているかもしれない。多分その唸りは天国に人々の気持ちが伝わるよう音だ。

そんな話は本書には出ていなかったが、弊社作成の音楽歴史年表には、「Smunzel, F.Seeberger and W. Hein の論文 「ドイツ南西部のガイセンクレステルレ洞窟からオーリニヤック期(後期旧石器時代最初の文化期の笛の断片が3点出土。1点は白鳥の橈骨ドウコツ(翼の骨)に加工を施したもので、現存長126.5mm、中空で、長軸に沿って3か所に孔が現存している。炭素14年代測定でBP33500年ころ、熱ルミネッセンス法でBP37000年ころ(BPとは1950年を起点に遡及した遺物年代)、骨端を口にくわえて吹くタイプの笛。同様の断片がもう一点、3点目はマンモスの牙製で、中空。現存長は18.7cm、指孔と思われる孔が長軸に沿って3か所あけられているが、器体は、1孔の脇で破損している。」 中国河南省舞陽県賈湖Jiahu遺跡から、タンチョウヅルの尺骨(羽の骨)に孔を開けた笛が25点出土した。紀元前7世紀のもので、尺八のような吹き方をしたものと考えられている。日本の遺跡から出土する楽器の中で最も古くから存在するのは「土鈴」で、新潟県の二つの遺跡から、縄文前期の土鈴が1点ずつ出土し、縄文中期になると、中部山岳地帯から関東西武の丘陵地帯からおびただしい数の土鈴が出土している。縄文時代の土鈴は密閉構造をとっているために、きわめてかすかな音しかしない。「鰐口」と呼ばれるスリットが入り、大きな音が出るようになったのは、古墳時代以降である。、、、弥生時代に入るとあらたな楽器が日本に登場した。中国起源の土笛である「塤(けん)」で、卵形、内部は中空、上部に吹き口があり、、日本で出土するのは、前面に4孔、後面に2孔の合計6指孔タイプ。弥生前期の日本海側の遺跡から100点近くが出土しているが、多くが、器形が崩れていまっており、吹いても音を発しないものが多い。この「塤(けん)」がなぜ弥生人に受け入れられなかったかは、日本人の楽音に対する好みの問題ではないか。 また弥生時代には、銅鐸、小型の小銅鐸も当たらに生み出された。楽器であるか音具であるか議論のあるところである。弥生・古墳時代の琴は、一枚板の琴と共鳴体を伴うものがある。」

と言うことが出ており、本書の内容が大変気になっていたが、この本では銅鐸が楽器なのか音具なのかはっきり表現されていない。ただ二種類の銅鐸をぶら下げて音を出すと言うことは多分、ある程度リズムはもちろんメロディもそれによって作れるような気がする。さらに本書では「(けん)」については出てこない。これは笛の一種だと思うが、弥生時代のものなので、銅鐸とは同時期のような気がするが、この塤は多少の音階が出せるようなので、銅鐸にあわせてお祭りに使えそうな気がするが、証拠がない。

本書のp.214 に「争う二人を仲裁する人物」が銅鐸に描かれているが、著者は弥生時代の銅鐸圏の男女の埋葬構成や女性首長の存在などを考えれば、男性優位の社会構造が出来上がっていたとも考えられない。私はこの図像もまたあくまで農耕の豊穣や共同体の安寧を願い災いを忌避する、一貫した観念的、神話的行為の一こまでなければならないと筆者は考える。※この20267月皇室典範が改正されて、明治維新以来あらためて男系男子が天皇を継ぐことと決められた。これはついては男女平等の意識について銅鐸の時代に戻さなければいけない感じだ。

本書では、「聞く銅鐸」から「見る銅鐸」への変化があったが、弥生時代の稲作を中心とする集落から、100mを超える高地で集落をつくるようになった。「聞く」銅鐸の多数埋納や一斉埋納、そして始まる「見る」銅鐸への変貌は、瀬戸内海以東の人々がこうした未曽有の政治的、軍事的危機に対する最大の観念的手段なのであった。多くは眺望がよく通信手段(灯台など)や防御施設を設け、武器を集積するなど軍事的色彩の強い集落であった。しかし北部九州の勢力が実際に東進し、大規模な戦闘が繰り広げられた形跡はないとのこと。このことは日本の最初の起こり方として多くの見解が分かれているようだ。

 本書で言いたいことは、「銅鐸に興味を持って以来、田んぼでの出来事や周囲の環境が気になるようになった。銅鐸に豊穣を願い、自らの命をも託する弥生人たちの思いはごく自然に心に共鳴してきた。私たちは2千年を超える先人たちの努力の歴史と思いをまるごと引き継ぐ必要がある」と。

早淵川散歩でも考えたが、早淵川は水田に水を供給するだけでなく、水がきれいだと魚がたくさん生育し、それを食べにサギやウやカワセミが登場し、さらに子供たちがこの魚を取りに水に入る。川には藻も繁殖するので、鴨もたくさん泳いでいる。夏にはこの川の水で、トンボもたくさん生まれていて、水の上を飛び交っている。小さな川だけれど自然を感じることができる場所だ。さらにこの沿道には車は入れない。したがって年寄りが散歩をしていたり、犬を散歩させていたり、ジョギングをしている人もたくさんいる。単なる小さな川だけれど、この本を読んで、この自然を大事にしていきたいとさらに思う。




 

 

2026/07/22

キンボー指揮 ザ・シンフォニカ 創立40周年記念 第80回定期演奏会 を聴く

 日時:2026720日(月祝) 130開演、 本日関東も梅雨が明けたとのこと。したがって暑い。

場所:すみだトリフォニーホール 観客席数約1800席、ほぼ満席

       建築設計:日建設計、音響設計:永田音響設計

演奏:指揮 キンボー・イシイ、演奏 ザ・シンフォニカ

曲目:イベール:「寄港地」、 ドビュッシー:交響詩「海」

    ツエムリンスキー:交響詩「人魚姫」

   夏らしく、海にちなんだ曲ばかりとなっている。しかも情景が浮かぶような曲ばかりだ。あとでキンボーさんに聞いたら、選曲は皆で行ったとのこと。したがって難しい曲も含まれていて、大丈夫かともおもった 。多分ドビュッシーの曲と思われる。また音のバランスも気になったようで、キンボーは前半の曲は少し大きめだったので、後半は少し押さえ気味にしてほしいと指導したようだ。たしかに前半は迫力があった。

 イベール(18901962)とドビュッシー(18621918)はともにフランス人、ツエムリンスキー(18711942)はオーストリア人、クラシック音楽の歴史では比較的遅く、1900年前後に活躍を始めた人々だ。

 イベールの「寄港地」は、アービング著のアルハンブラ物語に出てくるような、なにかエキゾチックな感じ、日本人から見ると中近東風の雰囲気を醸し出している。ドビュッシーの交響詩「海」は風景を醸し出すような音楽で、光り輝く海、や繰り返し現れる波や風などが、多分表現されている。三曲目のツエムリンスキーの交響詩「人魚姫」はアンデルセン童話の人魚姫をテーマに作曲されたようで、人魚姫が一目で王子に恋をして、最期は悲劇に終わるのですが、それに作曲をしたので、本来は曲には物語が存在している。これはオペラではないが、オペラにもできそうな曲だ。人魚姫が王子に恋をするような話は、ドヴォルザークの歌劇ルサルカにもある。ルサルカは水の精で、やはり王子に恋をして接吻をしたとたに、お互いに水に沈んでしまう。多分これも悲劇だ。

 すみだトリフォニーホールの音響は、観客にとってはいい響きと感じたが、舞台側の天井が高く、舞台での演奏音が演奏者相互で、聞こえるかどうかが気になった。舞台がはねた後に、楽屋に訪ねた時に、舞台にのってみた。舞台では椅子などを運び出しているところだったが、そこで出している衝撃音が天井に跳ね返ってくるのが結構遅く聞こえる。サントリーホールの場合の様に舞台天井に音の反射用の照明が、いくつか吊り下げられているが、このような役目を果たす装置が見当たらない。そのことで、演奏者相互の音のバランスや強弱が調整しにくいという可能性もあるかもしれない。

写真:公演が始まる前のホール、舞台の天井が高く、吊り下げ反射材などなく、舞台への帰りの音は、天井から反射音が遅れて帰ってくる。

写真:公演の後、指揮者キンボーさんのお母さんミエンさんの同級生の中野さんとその後輩と楽屋に伺った。写真は次に出演のオペラ歌手がとってくれた。貴重な一枚。

 

 

2026/07/07

レクイエム 渋谷混声合掌団第31回定期演奏会 愛する者への思慕―フランス・ロマン派音楽の巨匠たちのレクイエム を聴いて

 日時:202674日(土)14時開演

場所:東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル

主催:渋谷混声合唱団

曲目:シャルル・グノー作曲 レクイエム、 ガブリエル・フォーレ作曲

 レクイエム

このコンサートは私の大学の同級生の渡辺さんから紹介された。

東京オペラシティコンサートホールは、1997910日、柳沢孝彦の設計で、やはり柳沢孝彦(当時竹中工務店所属)が設計した第二国立劇場は着工が遅れてしまい、これに先駆けてオープンした。各席数1632席、客席は、上階を除きほぼ満席だった。客席空間は、天井が高く、三角形の特徴ある設計となっている。意匠的にはダイナミックなデザインだ。しかも木調の雰囲気で統一されている。しかし三角形の、その面は拡散性をもたらすように凹凸があり、そのため音響的には天井からの強い反射音が得られないので、どちらかといえば側方反射音が重視された設計となっている。しかし側方の壁も客席側は細かな凹凸があり、やはりそれも中・高音域で音の拡散性があり、強い音の反射は避けるようになっている。今回のレクイエムの曲に対しては、天井から遅れてくる反射音は天空からの音にも聞こえ、多分好ましい音響空間ではないかと思われる。多分クラッシク音楽に対しては、この天井からの遅れてくる反射音は、好ましい響きになると思われる。目安としてはエコーとなる50msより少し短い天井高さ。要するに50ms×340/s=17m、すなわち天井高さはこの半分の8.5m程度がいいことになる。ただ天井高さがそれより高い場合でも側方反射音なども含めると反射音は天井だけの場合とちがってエコーにならずに聞こえるようになる。しかしこのような三角形の形状では、天井からの反射音は得られていない。また舞台の上でも、天井に一部、かなり大きな四角の音響反射面がつるされているが、大体の面は三角形の高い天井があり、舞台での演奏音がそれぞれの演奏者どうしで聞きにくくなっているような感じだ。

 舞台には多くの合唱団の人々、オーケストラ、上階にはパイプオルガンがあり、舞台をすこし広げて設置していた。私の座席は舞台方向から5列であるが、その2列を舞台に変更しているようだった。したがって私の席は舞台から3列目になっている。

チラシによれば、愛する者への思慕―フランス・ロマン派音楽の巨匠たちのレクイエムという章のところで、「レクイエム」は「死者のためのミサ曲」とあり、グノーについては18889年に孫が亡くなったことを悲しみ、このレクイエムが作曲されたとのこと。しかも遺作となった。フォーレについては1885年に父親が亡くなり、これがきっかけとなりレクイエムが作曲された。結局この二つのレクイエムは時期的には同時期に作曲されている。ただしグノーは18181893、フォーレは18451992で、生まれは27年、亡くなった時は99年異なっている。ともにフランス・ロマン派音楽を代表する巨匠とあるが、わたしには特に、フォーレについては、彼の弟子はラベルになり、フォーレの雰囲気はドビュッシーやラベルのような新しい色彩的なフランス音楽を感じることができた。

また合唱はラテン語で歌っているらしいが、その日本語訳がスライドで舞台正面の幕に映し出されており、意味はよく理解できた。

コンサートが終わった後、飲み屋に行って、大学の友人たち数人と演奏していた渡辺さんが集まった。渡辺さんのおかげで、大学時代の友人たちに会うことができた。

私は舞台から3列目、目の前が舞台なので、舞台からの音が直接音としてよく聞こえたが、室内の残響音はよくわからなかったと言った。渡辺さんは、舞台の上でその他の人の唄や演奏音がよく聞こえないので、指揮者の手の動きをよく見て歌ってくださいと言われたようだ。パイプオルガンの音も前方上部、パイプオルガンがあるところから、直接音がメインの感じで聴こえてきていた(写真で示している)。したがってこのホールは、直接音と室内の後期拡散音が特徴となっていて、どちらかといえば音の明瞭性を大事にしていると言えるかもしれない。したがってコンサートははっきり聞こえてよかった。どなたかが一人のソプラノの声がよく聞こえていたとも言っていた。この音のバランスをよくとらなければいけないのがこのホールの特徴ともいえる。

渡辺さんが音楽家は周囲に影響力があるが、建築家はないねと。今回集まった我々は東工大の建築学科卒で、清家清や篠原一男には影響を受けているが、ほぼ専門が個人住宅の設計のためか、日本の人で清家清・篠原一男を知っている人はあまりいない気がする。同期には中野サンプラーザ設計で有名な日建設計の林昌二、NHK及びNHKホールを施主側から設計した浅野昭利がいる。一般的には更に知られていないかもしれない。強いて言えば建築家では日本の都市計画も発表している丹下健三ぐらいかもしれない。大昔から考えると、ヴィトルヴィウスというギリシャ時代の建築家がいる。円形劇場の設計で有名だ。中世の城やゴシックやロマネスク教会、またはイスラム教の教会を建設した建築家はどんな人だろうか?バッハやモーツアルトやベートーヴェンの時代には誰かはいただろうが名前は知られていない。ニュートンやガリレオは有名だが、建築家はどうなんだろう。日本で言えば戦国時代、たくさんの城ができたが、誰が設計したのだろう。織田信長や豊臣秀吉や徳川家康は城で有名だが、その中に建築家の名前は出てこない。桂離宮はどうなのだろう、建築家の名前は出てこない。作庭は小堀遠州、またはその弟子という話もある。この建物はグロピウスなども評価して、近代建築の見本になりえるという話もあった。近代になってガウディ(18521926)やコルビジェ(18871965)やフランク・ロイド・ライト(18671959)は相当有名だがそれ以降はなかなかむつかしいかも。音響技術者としては、1900年に残響時間の理論を作り出したセイビンは音響技術者の中では有名だが、世界で知られている人はそうとう少ないと思われる。それに反して音楽家で言えば、最近ではチャイコフスキーやショスタコーヴィッチ、日本で言えば、このホールの名前の由来にもなっている武満徹や、ゴジラの曲で有名な伊福部昭や、テレビ番組の赤穂浪士のテーマ曲の作曲者、芥川也寸志が有名だと思われる。多くの人々への影響力という意味では、城とか教会とか寺院、更に街など、ものとしてはあるが、それに関係した建築家個人というのはほとんど知られていない気がする。多分建築の分野に限られているからかもしれない。ただ現在日本では地球環境の変動や東北や東南海での大きな地震の予測や人口減少があり、また地方の人口減少は特に顕著になっている。その結果、農業や漁業や林業に携わる人が少なくなってしまっている。空き家も増えてきてしまっている。建物の耐震性も重要な課題だし、上下水道などのインフラも大きな課題だ。これらを考えてみると大きな課題がたくさんある。これを都市計画的な観点から提案ができればいい貢献ができると思う。最近久元神戸市長が神戸の中心部には高層ビルは都市の中心に人口が集中しすぎると言うことで禁止したとのこと。一理ある気がする。

写真:客席後部から舞台側を見る。三角形の天井が見える。しかもその表面には凹凸があり、音が拡散するようになっている。舞台一部客性上部には音響反射面がぶら下がっている。


写真:客席の前の方から客席後方の天井を見上げた。やはり三角形の天井があり、しかも凹凸があり、音の拡散性もある。




2026/07/01

杉山哲雄ピアノリサイタル ベートーヴェン ソナタ連続演奏会(全10回)⑥ を聴いて

 日時:2026628()230分開演

場所:銀座王子ホール

主催:杉山ムジーク・アカデミー

曲目:ベートーヴェン作曲

ソナタ第9番、ソナタ第16番、6つの変奏曲、ソナタ第26番(告別)

アンコール:やさしいソナタ第二楽章

 台風8号、その後台風7号が27日になんとか通り過ぎていたが、台風7号は当日の可能性もあり、無事公演同日でなくよかった。しかし当日も天候が悪く、雨で、お客さんは満席にはならなかった。626日富士五湖でも震度6弱の地震があり、その前日625日、岩手でも震度6強の大きな地震があったばかりで、何となく不安定な気候状況が続いている。

 1曲目はソナタ第9番で、杉山さんの特有の低音の響が伝わってくる。これはスタインウエイの特徴なのかもしれないが。ソナタ第16番で、結構明るく、また互い違いに飛び跳

  後半は最初の曲は6つの変奏曲で、この楽譜ができる12日前に、ハイリゲンシュタットの遺書が書かれていたと。格調高いドイツ語で書かれているが、この6つの変奏曲も表現に確信を持っていたことがうかがわせる。チラシによれば穏やかな旋律は厚みのある和声とポリフォニーに支えられて豊かな表現である。音楽の歴史から見れば、バッハ、モーツアルト、ベートーヴェンとピタゴラス音律から、クラッシック音楽の時代に変化していって、この和声を確立させたのだろうと考えられる。したがってこの表現に確信を持っていたことが理解できる。

 杉山さんが、「ソナタでベートーヴェン自らがつけた標題音楽はこの告別だけ、先入観が入ってしまうという恐れもあるが」といっていたが、「告別」、「不在」、「再会」という流れになっていて、この「告別」では悲しさが現れ、「再会」では喜んでいる様子が感じられる。多分今回のコンサートでは、この曲がメインの曲かもしれない。18094月にオーストリアとフランスが戦争状態に入り、ナポレオン軍がウイーンを占拠、ルドルフ大公が避難したことがあったようだ。ただ翌年の130日にはルドルフ大公はウイーンに戻り、これが作曲のきっかけになったようだ。チラシでは、第三楽章の再会について、「ffの力強い音型で始まる経過には祝砲や花火のような音が聞こえ、ベートーヴェンが楽しんで作曲している様子が想像できる。」と具体的に述べている。

 杉山さんは、このベートーヴェン ソナタ連続演奏会で、ベートーヴェンの創作の神髄に迫ろうとしているような気がする。音楽家の意気込みが感じられた。


写真:公演がはねて、お客さんが退出してから撮影した。



2026/06/25

たゆとう楽と舞 ガムランの扉2026 中部ジャワのガムランと舞踊 を聴く

 日時:2026621日(日)15時開演、620日も公演があった。

場所:日暮里サニーホール、舞台は使わず、平土間を一部、舞台にして、楽器を並べるだけでなく、舞踊も行っている(下記写真にしめした)。

主催:ガムラングループ・ランバサリ

演奏:アロイシウス・スワルディ インドネシア国立芸術大学スラカルタ校で博士号を取得し、1990年にインドネシア共和国文化大臣から模範講師の賞、2012年には文化賞を受賞している。

舞踊:テレシア・スリ・クリニティ   カスナナン王宮と中部ジャワ文化センターで宮廷舞踊ブドヨとスリンピを深める。更に舞踊についてはパンフレットに示した人たち、演奏については、ランバサリの演奏者もンフレットに示している。私は近所で、演奏者の一人の大田さんにこのコンサートを紹介された。もう何度かこのコンサートには行っている。すべて日暮里サニーホールである。

司会者が、最初にこのジャワガムランはジャワの宮廷音楽で、日本で言えば雅楽のような感じだと言っていた。ただインドネシアは、戦後王政がたおれ、インドネシア共和国にかわり、それとともに、ガムランは民間に開かれた音楽になっていて、今回も新しく作曲されたガムランを紹介していた。それに対して雅楽はどうなんだろう。奈良時代からずっと皇室の音楽にとどまっているのだろうか?雅楽はこのガムランやオーケストラに様に楽器がたくさんあり、華やかな舞踊や物語もあり、少しガムランと似ているが、雅楽のコンサートは日常的には開かれていない気がする。※ただし私の身近なお寺、善照寺の活動の中で、毎月1回は、先生が来て、雅楽の楽器、笙などを練習して、それを法事の時などに披露している。ただこのような出来事は、一般的な感じではないかもしれない。多分素晴らしいことだ。

コンサート名の「たゆとう」は不安定な状態でゆらゆらと漂うような意味で、このガムランを指しているもののようだ。ガムランは音のリズムは少しずつ変化するし、音律も2系統あり、横向きに並べられている楽器(スレッドロ音階(日本の民謡など))と縦向きに並べられている楽器ペロッグ音階(沖縄の音楽など)の二種類があり、時々入れ替えて演奏する。クラシック音楽の様にメロディやリズムが固定しているものでなく、ゆらゆらと変化する。たゆとうは、それを意味しているのだろう。なんだか心の動きを表現しているのかもしれない。

またプログラムの半分はガムランの伴奏を付けた舞踊となっている。帯が足元より長く垂れ下がり、それをけりながら、しなやかに踊る。また歩きながら紙吹雪を足元から散らかしながら歩く。華やかさが増す感じだ。

 NHK2CHのクラシック音楽館のビデオで、ショスタコーヴィチの交響曲4番を聞いた後だったので、この激しい心の戦いを聴いた後に、これはこれでなるほどと思ったが、たおやかなガムランを聞いたことで、心が落ち着く感じは格別だ。


写真:最後に出演者が挨拶をしているところは、写真OKとのことだったが、挨拶をしているところは撮れなかった。少し遅かった。床には紙吹雪がまき散らかされている。

写真:リアントさん(右側)と川島さん(左側)、公演がはねた後写真撮影に応じている。




写真:琴やハープのような楽器、楽器の細い方に座って、つま弾く感じで演奏する。

実は10年ほどまえ、バンドンにバンドン工科大学の音響実験室(無響室、残響室2つ、吸音率測定、遮音測定もできる)を工事監理するために、スペイン人のアントニオさんといったときに、近くに公園があり、そこに日本の占領時の防空壕とその隣にオランダの防空壕があり、現在はそれらが戦争記念碑になっていて、それを見学した。インドネシアの案内人は、日本人の私に向かっても、スペイン人のアントニオさんに向かっても大変文句がありそうだった。しかし当たり前の問題だ。先日天皇陛下がオランダの国王と会った時には、当時悲劇があったが、それを乗り越えていこうと。

そういえば、このランバサリの生みの親は音楽研究者の小泉文夫、当時東京芸大にいた先生だが、多分終戦になった年はおおよそ20歳、戦後の政府が主に教育に使っている音楽、主にクラシック音楽に批判的で、日本の音楽について造詣が深いが、インドネシア宮廷音楽のガムランについても研究し、楽団も作った、それがランバサリ。私が20歳前半の頃、劇団天井桟敷(主催者、寺山修司)の稽古場公演を見に行った。出演者5名、観客はわずか3名の時だった。金属の楽器を雨だれの様にポツリポツリとたたき、それがいつの間にかテンポが異なっている。それを2時間ほど聴いていて、なんだこの音楽はと。今考えるとこのガムランの音楽に近いものだったかもしれない。また横浜ボートシアターの団長の遠藤さんも私より20年ほど早く生まれているので、小泉文夫と同世代。演劇にガムランを取り入れて、なだらかな音楽を流しながら芝居を行っている。よく見に行った。今は、遠藤さんは亡くなり、あとを音楽家の松本さんが演奏しているが、ガムランの楽器はそのままで、ジャズのように演奏している。それはそれで力強さが伝わってくる。

※このブログを見ていただいた大田さんから下記のメールをいただきました。

天井桟敷については、「金属楽器の雨だれ演奏、スティーブ・ライヒの影響かもですが、よくガムランもセットで語られるのできっと繋がっているでしょう。」「雅楽は、皇室と貴族の音楽ですが、神社とお寺でも継承されました。なので、今でも祭礼で演奏したり練習したりしている寺社は意外と多いと思います。








2026/06/02

演劇  眠レ 巴里 を見て

 日時:2026531日(日)1400開演

会場:中野・劇場MOMO 客席数90席、満席だった。

本公演は、高橋和久さんから直接お手紙をいただいて知った。前回高橋さんが出演した人形劇ペドロ・パラモという演劇は、生と死がテーマだったと思うが、今回はどうであろうか!以下はそのブログ 

http://yab-onkyo.blogspot.com/2026/03/blog-post.html

 最初、エレクトーン奏者が舞台に出てきた、シャンソンを奏でながら、楽しそうな雰囲気。そこに賑やかな姉妹が登場する。ホテルの1室、窓にはエフェル塔の景色が見える。これからパリを観光するという雰囲気、なんだ!それで観光で眠れない夜を過ごさないように、眠レという演劇のタイトルがあるのか、、、、、。とんでもない。姉妹は何かを恐れて、多分現実を恐れて、ここまで来て、最終的には多分エッフェル塔で自殺する。

高橋和久の役割は、「現実」を表現したかったように思う。やっとこの姉妹のいるホテルを見つけて、出刃包丁をもって現れ、しかし殺そうとした姉妹がすでにいなく、姉妹がいたベッドで、まずそうにハンバーグを食べ、鼻をかみながら、チリ紙をそのまま床に捨てる。そんなことをしているうちに多分、天国にいる帽子をかぶった天使のような格好で姉妹があらわれ、高橋和久と楽しそうに踊りを踊って終わる。姉妹にとっては「しめしめ」という感じだ。

姉妹はどのような現実から逃れたいのだろうか?よくみるとチラシの副題に、「また 見つけた なにを?―永遠。」この演劇で求めていたのは、永遠と言うことなんだと思う。安易に考えると死ぬことで、永遠が手に入ると言うことを意味しているのか!そんな馬鹿な!!これでは中野の飲み屋でお酒を飲まないと帰れない。たしかに中野には飲み屋がたくさんあった。この永遠と死というテーマは、ひょっとしてパリ!では成り立つかもしれないが、パレスチナのガザでは成り立たない。何かを求めて演劇で生きろ生きろと訴えて、永遠を手にする方が観客にとっては多分気持ちがすっきりする。それも飲み屋で話そうではないか!この永遠に対しての現実は荒々しい暴力の世界かもしれない。高橋和久が演じる現実の荒々しい暴力の世界、したがって永遠とはすべてが均衡して、それによって得られる平和な世界を表しているような気もする。そう考えるとなるほどと思われる。ただその時は一瞬現れるが、またしばらくすると元に戻ってしまう。だからチラシの副題には「また見つけた」と書いてあるではないか。※私は約5年前に患った脳梗塞のために、一度は死ぬような経験をしている。今では酒は飲めない体になっている。病気の前を思い出して、そういう気持ちだったはずだと思い出した。

 

      写真:劇がはねた後の劇場の風景、舞台中央にベッド、舞台下手にはエレクトーン。