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2030/01/01

News

20220831 ワイエービー建築音響設計は8月末をもってクローズ致しました

2026/10/14

第3回日本ウクライナ国際芸術祭2026を聴いて

日時:2026.10.12(月祝)2時より

場所:慶応大学(日吉) 藤原洋記念ホ―ル

出演:アントニー・バリシェフスキー(ピアノ)、澤田智恵(芸術監督・ヴァイオリン)武松洋子(朗読)、ワディム・ソロマハ(バレエ)、依藤由紀(バレエ)、アナスタシア・デニーソワ(メゾソプラノ)、ウクライナ日本芸術合唱団(ウクライナから避難中のメンバーのほかに今回からは日本と韓国からも参加するようになった)、マクシム・シャリギン(作曲家)

曲目:チラシのプログラムを以下に示した。 


  曲と曲の間には武松さんの朗読があった。中には『掘り返された墓』というものもあった。ロシアとウクライナの戦争のいたいたしい現実の描写もあった。今年はロシアがウクライナに攻め込んでから多分5年は経っている。曲目も明るい曲ではない。どちらかといえば重々しい曲が多かった。最初はアナスタシア・デニーソワが、ウクライナの民謡シチェドリクを歌った。ピアノの演奏はアントニー・バリシェフスキーだが、この人の指は力強く、更に曲に合わせた重々しい音で、演奏している。相当レベルの高い人だ。

  後半のバレエは依藤由紀、ワディム・ソロラマで、チラシによれば力強き民族の生命力を表した踊りで、的確な躍動感のある踊りだった。最後の曲はマクシム・シャリギン作曲の曲で、『KAYA2019』という曲だ。力強さと共に深い悲しみも備えたようないい曲だった。最近作曲された新しい曲だけれど、よく心に沁み込むいい曲だった。この曲は娘KAYAに捧げた曲だとチラシにあった。このマクシムさんは私の座っている斜め前に座っていて、舞台挨拶も行っていた。今回のコンサートはこの曲のためにあった感じだ。ホールから出るときに、このマクシムさんも出口周辺に並んでいたので、曲の評価をして握手をして帰った。

今回のコンサートは、各出演者は相当演奏レベルが高い人たちだった。またそれぞれから感じるところもたくさんあった。アナスタシアさんはチラシによると東京交響楽団の定期演奏会で、フランツ・シュミットのオラトリオ『7つの封印の書』を合唱団として出演したようだ。この曲は先日NHKのクラシック音楽館でも放映された。1937年に作曲されたが、1938年にはナチスがウイーンを占領した時期で、世も終わりだと宣言したような曲で、それに対抗して出されたようだ。世界情勢は深刻な感じだ。ウクライナに平和が早く訪れることを願う。

  澤田さんの企画したコンサートは歴史を重ねるようになり、しかも演奏レベルが高くなってきている。ウクライナの戦争の状況はまだよくなっていないが、澤田さんのこのような企画はぜひ続けてほしい。その時の気持ちも伝わってくる。

   藤原洋記念ホールは、収容人員500名ほどのシューボックスタイプの中規模のホールで、響きはとても良い感じのホールだ。1階席・2階席とも満席だった。ただエントランスホールは小さく、出演者が挨拶しようとしても、後ろに並んでしまっている人と帰る人たちで滞留してしまっている。ホール周辺はもう少し余裕が必要な感じだ。


写真:中休みの時に撮影した舞台周辺




 



2026/10/11

マリア・グステル・グスマンのギターコンサート プラドの光、セビリアの春。を聴いて

 日時:2026.10.10(土)開演3時

出演:マリア・エステル・グスマン(クラシックギター)、高木洋子(ピアノ)、賛助出演 手塚健旨(クラシックギター)、作曲 牟岐礼(むぎ・れい)

曲目:チラシに示したものだが、これ以外にもいくつかの曲が挿入された。特に賛助出演した手塚さんとマリアさんとのギターの合奏もいくつか含まれていた。

ホールは20~30名しか入れない小さなホールなので、ギターの小さな音色もよく聞こえた。マリアさんのギターは大変軽快で、しなやかで、なるほどこうなんだと感じるものがあった。手塚さんが自己紹介の時に、マリアさんが18歳の時初めて日本に来てコンサートに出たら、この手塚さんが審査員長にマリアさんのことをきいたら、あなたと“もの”が違うと言われたと。たしかに手塚さんの音ははっきりして、メリハリもあるが、マリアさんのギターは見に付いた音楽性が違うという感じだ。これについて思い出したが、わが事務所にスペインからきたアントニオさんという音響技術者が働いていた。その両親があるときアンテケラから日本に来て、一緒にフラメンコのコンサートに行った。日暮里のホールだった。フラメンコの踊りを見ていたお母さん、名前はカルメンさん、そのカルメンさんが突然舞台に上がって、ダンサーと一緒に踊り出した。ダンサーたちもさらに盛り上がった。阿波踊りに参加するような感じだ。カルメンさんは病院の看護婦で、フラメンコダンサーではない。このことだと思った。“もの”が違うとは。さらに東京芸大の小泉文夫が『音楽の根源にあるもの』という本の中で、日本の音楽による民族性という文章がある。これも思い出した。多分この時、この年代は太平洋戦争で負けて、国を挙げてクラシック音楽を学ぼうというときに、日本の音楽の民族性とクラシック音楽とは違うということで言った言葉だ。多分見に付いた音楽性というものかもしれない。小泉文夫のこの本が出てから50年以上もたった。私も様々な曲を聴くようになった。もちろんクラシック音楽もだが、三味線音楽もだ。コンサートの後半は、日本人の牟岐礼の作曲したギターの曲をマリアさんが弾く場面もあった。セビリアの春とPRADOだ。セビリアはマリアさんのふるさとらしい。いい曲だった。牟岐礼さんは、私の隣に座っていて挨拶をしていた。よかったと話しかけたくなった。

この音楽サロンAriaはセンター南駅近くにあり、我が家からは早淵川を歩いていくと近くまで行ける。歩いて行ったら開演ぎりぎりになってしまったがとにかく間に合った。

音楽サロンは大きな建物の1階にあり、ホールとしては20~30名しか入れない小さなホールで、しかも仕上げ面は平面が多く、拡散しにくい。また天井は岩綿吸音板が2m程度の間隔で平行に仕上げられており、これによって多少音の拡散をはかっている感じだ。しかし500名とか1000名のホールと異なり、音がよく聞こえた。目の前の出演者の雰囲気もよく伝わった。息遣いまで感じるほどだ。 いいホールだった。




写真:コンサートが就労した後の舞台風景。お客さんが楽譜を眺めていた。

 













2026/09/29

横濱合唱協会 第76回定期演奏会 を聴く

 日時:2026年9月27日(日)14時開演

場所:横濱みなとみらいホール大ホール

演奏:指揮 柳嶋耕太、合唱 横浜合唱協会、ソプラノ 星川美保子、

アルト 上村誠一、テノール 大野彰展、バス 小池優介

管弦楽 プロムジカ・バロック・アカデミー、 

曲目:J.S。バッハ カンタータ第17番《感謝の供え物をささげる者は、わたしをたたえる》休憩、J.D.ゼレンカ 父なる神のミサ曲、後半の方が1時間以上と長かった。今回の合唱は、バッハについてはドイツ語、ゼレンカについてはラテン語で歌われたとホールの係の人が言っていた。

みなとみらいホールは約2000席のクラシック専用のホールとなる。2階席の舞台の周辺や3階席をのぞくと1階、2階とも満席な状態であった。

今回のコンサートは、横浜合唱協会の合唱団にいる中野さんから紹介された。今日9月27日は久しぶりに天気が良く、傘も持たずに出かけた。今までは毎日と言っていいほど雨が降った。

横濱合唱協会の歌や独唱、また管弦楽団のレベルは高く、また品位や節度もあり、整然としていた。曲は宗教音楽であり、神に祈る感じのもので、とてもきれいな響きだ。ただ私にとっては、このドイツ語やラテン語は、全く理解はできず、今読んでいる『絶対音楽 その理念史』の内容、音楽は自律的で、自己充足的なものという考え方を思いだした。主に音楽の絶対音楽に該当するのは、器楽曲(標題音楽ではない)になり、合唱やオペラなどは言葉があるので、音だけでは自律的になりえない感じのものだ。しかしドイツ語やラテン語で歌う場合には日本人の聴き手にとっては、言葉でなく、単に器楽と同じような音になってしまう。この合唱では、現在歌われている曲には対訳が舞台のどちらかに映し出されることも多いが、今回は、それはなく、チラシには、構成というところで、『カンタータ第17番は、、、神の宣告に相応しい堂々たるフーガを構成している。合唱フーガは最初器楽による導入シンフォニアをのぞいて、大きく二つの部分、、、、、セッコ・レチタティーヴォによる第2曲によって、、、、アリアへのつなぎ役を、、、』と曲の流れを音楽の専門的な用語で説明している。バッハもゼレンカもいずれの場合でも宗教音楽なので、日本で言えば、お寺のお坊さんのお経もなむあみだぶつ(南無阿弥陀仏)しか聞き取れない感じのものでもいいのかもしれない。そういうものだと思っているうちはいいかもしれないが、音楽として聴く場合にはやはり意味が気になる。

今回はいずれも宗教音楽なので、多分ヨーロッパでは教会で演奏する機会も多いと思うが、今回はみなとみらいホールで、コンサート専用のホールではあるが、ヨーロッパの教会のように残響が長いわけではない。今回の音は、湖の波のような感じで波が打ち寄せてくる感じだが、教会の場合には、海の荒海が押し寄せる感じだけでなく、打ち返す波も結構大きく、押し寄せる波と干渉しあうような音になって、音が増幅しあう感じがしているのではないかと思う。

今回の独奏者の一人は、アルトの人だが、男性の人だ。大変珍しくきれいなアルトだった。

     写真:コンサートにはじまる前に自分の堰から撮影





2026/09/15

ベトナムフェスタ in 神奈川2026 を見て

 日時:2026年9月13日(日)2時ごろから、天候は久しぶりに晴れ、暑い。

場所:関内の日本大通りと象の鼻公園

新聞のチラシにベトナムフェスタのことが書かれていたので、気分転換によく行く象の鼻公園に向かって行ったら、日本大通りおよび象の鼻公園で、人だかりがあり、ベトナムフェスタをやっていた。

写真1には、日本大通りの海岸側の突き当りで、ベトナム王朝の伝統音楽のコンサートが行われていた。目立つのは多分ダン・バウで、一番右に見える楽器で、一弦琴だ。その左にあるのがダン・グエットで、2弦の月琴、更に左にはサオ・チェックで、ベトナムの伝統的な横笛、鳥のさえずりのような音楽を奏でています。更に左でよく見えないのが、ダン・チャインで、木製の琴、撥弦楽器と思われる。この伝統楽器のことはパソコンで、ベトナム伝統楽器と引くと出てくる。クラシック音楽の様に、人間の意志や感情を表現するのではない、自然の風景を基にした音楽のような気がする。

写真2および3には、広場で子供10名ぐらいが一斉に縄跳びをしていた。そのわきを見ると太鼓と小さなドラで、リズムをたたいて取っていた。さらにそのわきには、中華街でよくありそうな獅子が置かれていた。

写真4は小さな建物があり、その前には半丸の池があり、水が張られている。どうもそこで水上人形劇が行われるとの話があったが、なかなか始まらず、その前に、よさこい踊りが披露されていた。ベトナムのメコン川が流れるホーチミン市あたりは、海に近く、デルタ地帯になっていて、多分この川がたくさんあり、その川で、このような人形劇の文化も生まれてくるような感じだ。

このベトナムフェスタは、もう少し長い間いればより魅力的なことがたくさんありそうな祭りだと感じだ。しかも天候がまあまあでよかった。また劇場でないのもリラックスしてよかった気がする。

         ベトナムフェスタに関する新聞のチラシ

写真1:ベトナムの伝統音楽のコンサート、日本大通りの港側の突き当りのところに舞台を設置して、演奏していた。

            写真2:象の鼻公園の屋台で、近くに獅子舞や太鼓があります。

写真3:太鼓と小さなドラのような楽器で、縄跳びのリズムを奏でています。この目の前で、縄跳びをしていますが、写真は撮れていません。

写真4:舞台が設けていて、この前でソーラン踊りを披露しています。舞台は水が張られており、ここで水上の人形劇があるようですが、残念ながら見れませんでした。



2026/09/12

川田 学著 保育の子供理解のために 主体性・環境・あそび を読む, 自我の発達に関するコペルニクス的転換

現在著者川田学は、北海道大学大学院教育学研究院付属子ども発達臨床研究センター教授であるが、実は私の甥で、新婚の時には、我が家の1階に何年か同居していた経験がある。専門は発達心理学だが、我が家にいたころも釣りが好きで、近所にある釣り堀にいって、大物を吊ったことで、コンクールで優勝して、暫く名前が貼られていた。脇道も本物志向だ。

この本で著者が言いたいことは、自我の発達について、子供の1~3歳の頃の時期の成長の仕方が最も重要だと言うことだ。日本ではこの時期、いやいや期と呼んでいる。大人目線で見るので、これをしたらダメ、あれをしたらダメの場合にすべていやいやという反応が返ってくることからだろう。それを子供主体に考えると、ぶらぶら期といえるのだと。

その時期、著者は、ぶらぶらすると言うことは、自由気ままな行動であり、環境探査をしているのだと。そして自ら「ブラブラ」で気づいたことや見つけたものが、他者と共有する気持ちの原動力となっていく。これが自己と他者(社会)をつないでいく橋となる経験なのではないかといっているのだ。

この自我を自分で気が付くためには、自我の変容、すなわちゆらぎが必要だと。

保育教育という大人目線で考えた子供主体の教育というような大人の都合の良い「よい子」という文脈ともことなる、はっきりした状態でないことが好ましいといっている。

これが子供保育に対するコペルニクス的転換だ。

著者は本の中にも少し書いてあるが、学生の時に、バンクーバーから北極海を目指して自転車でテントをもって、旅行をしたことがある。よく熊などに襲われないで無事いけたとおもう。しかしこの時から現場で確認する、実証するなどのエネルギーがあると感じられた。この本で現場での実証主義が実を結んだ感じだ。 



2026/09/07

ジャズコンサート クラリネット&スウイングジャズ を聴いて

日時:2026.09.06(日)2時30分開演

場所:都築公会堂

演奏:宮崎佳彦 グッド・スイング・ジャズバンド-オーケストラ+5名

 今日は朝から雨で、しかも風も強く夜はレベル4の土砂災害危険警報のだされた大雨となっていた。したがってコンサートの状況としてはあまり良くない。観客も半分余りで少なかった。

曲目:チラシに示した。ただし上野まことがテナーサックスからソプラノサックスに持ち替えて演奏された曲がMeet Me Tonight In Dreamlandと Petite Fleurの2曲で、連続して演奏された。

アンコール曲は、ヂュークエリントンのSwingが無けりゃ意味がない。英語ではIt Don't Mean a Thing, If It Ain't Got That Swing、これはインターネットで調べた。

 今回、主導したのは宮崎佳彦のクラリネットで、1930年代にはやったスイングジャズのようで、その第一人者が、Benny Goodmanだ。宮崎佳彦の佳彦を英語にすると、Goodmanと紹介していた。1週間前のアマチュアのJAZZバンドと今回はレベルが違うだけでなく、珍しいクラリネットのジャズで、このスイングジャズには、クラリネットは大変あっている感じがした。今回の楽器で、クラリネットはもちろん、テナーサックスやトランペット、トロンボーンはどちらかといえば、リズムよりメロディを奏でる方が得意な楽器だ。モダンジャズより、スイングジャズの方があっている感じだ。

  印象的だったのはCaravanで、中近東風のメロディが入っている。シルクロードをキャラバンしているペルシャ人のようだ。私の最近のブログで、邪馬台国と地域王国というのがある。http://yab-onkyo.blogspot.com/2026/08/blog-post_29.html  では日本の最初のお寺、飛鳥寺の建設に、百済だけでなく、ペルシャ人も替わっていると言うことを示しているが、ペルシャが急に身近になった。

 もう一つこれは大好きな曲なのだが、TakeThe“A”Trainで、このTrainは蒸気機関車だと思われるのは、尺八で吹いた時だ。尺八はかすれた音がするが、これが蒸気機関車そっくりだ。多分この曲は蒸気機関車のために作曲したのだと思う。多分Aトレインに乗ってワクワクしている感じを表現しているが、これを蒸気機関車と思いながら感じるのと電気機関車として感じるのとでは機関車の動きに対して何となく違いがある。これが新幹線だともっと違う。さらにリニアモーターカーは全く気持ちが入らないような気がする。私の小学校の林間学校にいった時の蒸気機関車の感じだ。

 また今回も感じたが、観客には年寄が多く、しかも年寄りの女性もたくさんいる。しかも音楽に合わせて、頭をふったりして聞いている。ジャズを若い頃も聴いていたんだとすぐわかる感じだ。

 演奏は、以下の写真のように、幕設備で演奏していた。1週間前のSUMMER JAZZでは音響反射板設備で行っていた。以下写真を追加した。歯切れのよいJAZZでは、しかも拡声装置を用いているのであれば、今回の様に幕設備設置状態の方がいいように思う。

写真:開演前に、自分の堰から撮った。雨や風があり、状況はあまり良くない。客席の中通路より前の部分は、あまりお客さんは入っていない。

写真:8月30日(日)1週間前のSUMMERJAZZZの時の舞台の状況。音響反射装置設置状態で演奏していた。