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2021/11/22

夢枕公演 ユーラシアの夢のコンサート

かなり時間が経ってしまいましたが「夢枕公演 ユーラシアの夢」と題するコンサートが2021.6.24(木)に目黒のパーシモンホールの小ホールで行われました。ユーラシアの夢と題するだけあって大陸を横断するように、ペルシャから世阿弥まで幅広い内容でした。

最初はアミンという歌手のペルシャ伝統音楽の歌で、バックにペルシャの太鼓が低い音を奏でます。次に中村明一の尺八で、この尺八の音は中世のヨーロッパのリコーダのような音に感じました。またAyuo(高橋鮎生)の曲は、「紅楼夢」の英訳の歌詞と世阿弥の「松風」に曲を付けたものです。この曲は、小説や詩の言葉があって、それを支える音楽を作曲するという形は日本の伝統的な音楽、義太夫などの手法と似たものを感じました。出演者も先ほど述べたアミンはイラン人の歌手(東大のバイオエンジニアリングで修士、博士出身)、モーガン・フィッシャーはイギリス生まれ、キーボード奏者、また二十五弦箏は小宮瑞代、アコーディオンとベースギターと歌は上野洋子、ダフ(ペルシャの太鼓)などを演奏した立岩潤三、バークレーでジャズを学んだ尺八奏者の中村明一、作曲及びギターのAyuoの多彩なメンバーで、お客さんも外国人が多かったです。様々な国の特徴のある楽器や曲を組み合わせて、新たな世界観を表現していることが素晴らしかったです。



2020/10/16

横浜ボートシアターの「横浜ふね劇場」での公演

10月3日に横浜ふね劇場でコロナ対策のため、少人数の観客15名限定の公演がありました。

創作影絵人形劇「極楽金魚」、今年(2020)2月に亡くなられた脚本・演出の遠藤さんの処女作の公演です。

結末をここで話してしまいますが、物語の最期は奉公先の息子の身代わりとなって亡くなったおさきが極楽浄土の金魚・頂天眼となり、首のない血だらけの老馬(おさきが世話をした)と天に昇っていく衝撃的なシーンで終わります。

ただ最後に、この物語ができたきっかけは四国高松に伝わる「奉公さん人形」からヒントを得たと演者から説明があります。張り子のかわいらしい人形です。奉公先の息子の身代わりになったおさきが奉公さん人形となって人々の心の中に存在していることを感じることで、おさきも観客も救われた気持ちになり、そこに遠藤さんの弱い者側に立つ優しさを感じます。

ふね劇場の公演はコロナの影響でもう10か月以上行っていなかったために、今回の公演がみられてほっとしました。この鋼鉄製の艀の劇場が2000年にでき、劇団当初の木造の艀から変わり、現在に至っています。

このふね劇場は海に浮いているために時々揺れるし、遠くで船の汽笛も聞こえ、出演者・観客が同じ空間にいるという一体感が得られます。またこの劇団は人形浄瑠璃のように音楽や効果音などを生演奏し物語を盛り上げています。一体感を感じる現代の芝居小屋と言えます。

今後の計画としては、来年2月に遠藤さんが最後に計画していた作品を、劇団が総力を上げて作り上げた新作を公演するとのこと。楽しみにしております。

公演終了後の舞台裏の見学会
スクリーン下部に置かれているのが奉公さん人形






2019/05/23

旅する楽器展

国立民族学博物館で『旅する楽器 南アジア、弦の響き』という企画展(2019年2月21日~5月7日)を行っており、大阪での仕事の帰りに立ち寄ってみました。

国立民族学博物館は大阪府吹田市千里万博公園の中にあります。最寄り駅は大阪モノレールの万博記念公園駅です。そこから太陽の塔のわきを通った先に博物館があります。


2007年に、トルコのイスタンブールで開催されたInter Noiseの大会に参加した際、街を歩いていて大変びっくりしたのは、楽器店が多くあり、しかもエレキギターなどの電気楽器はほぼなく、ほとんどが弦楽器のサズおよびその種の民族楽器だったことです。サズは町の店舗の壁にもかけられており、いつでも弾ける状態になっています。街を歩く人の中にも楽器のケースを持っている人がたくさんいたので、一人に「それは何ですか」と声をかけると、路上でサズをケースから出して弾いてくれました。そのくらい身近に民族楽器があることに驚きました。

2007年トルコの楽器店

トルコの楽器にて

トルコの楽器にて

トルコの楽器にて

トルコの楽器にて

また、2008年にはカザフスタンに行きました。カザフスタンの民族楽器であるドンブラ及びコブスを演奏するホールの音響調査が目的でした。ドンブラは馬の足音のような弾き方で、コブスは重厚なチェロのような音を出す楽器です。カザフスタンは独立後に民族楽器の復興につとめており、その当時ドンブラ用のコンサートホールを作るという計画があったのですが、アメリカ発信のリーマン・ショック(2008年)の影響でカザフスタンにおける建設計画もかなり止まってしまい、このドンブラホールの建設計画も中止されてしまいました。とても残念なことです。


大統領文化センターホールでの民族楽器による演奏および音響測定(2008年9月28日)


 これらの旅行を通じて、様々な楽器が様々なところで存在していることが気になっていました。

また昨年には、「テュルクソイ」というテュルク語系諸民族の民族楽器の合同オーケストラの演奏を聴く機会もあり、このブログでもご紹介しました。

今回は、たまたま国立民族学博物館で開催されていた『旅する楽器 南アジア、弦の響き』の展示会に行った次第です。これだけ様々な楽器が一堂に陳列されているのを見るのはなかなかないことです。サズやドンブラ、コブスは単独にそれぞれの地域に存在していることはわかりますが、その他の地域、西アジア、中央アジア、南アジア、中国、東南アジアとのつながりが感じられます。

正直、弦楽器だけでもものすごい数が存在していることがわかりました。おそらく管楽器や太鼓なども入れると相当な数になると思います。

季刊166. 2018民俗学『特集 旅する楽器』のP.4に「楽器は、特定の地域で生まれ、その場所で何世紀にもわたって伝承された『土着』型がないわけではないが、圧倒的に多いのは他地域から伝播し定着した楽器である。」とありました。

「旅する楽器展」は西アジア、中央アジア、南アジア、日本、中国、東南アジアにある楽器のルーツを探るもので、大陸の東のどん詰まりにある日本の楽器、三線、三味線、箏などもどういう経路を経てきたのかと思いをはせました。

『旅する楽器 南アジア、弦の響き』より









2018/12/28

劇場でない場所での公演

2016年に横浜ボートシアター創立35周年+代表の遠藤啄郎氏米寿記念冊子『「場」の持つ力』が刊行されました。「場(トポス)の持つ力によって、これほどまでに作品世界が生まれ変わり、見えないのではとあきらめていた世界が見えてきたのだ。」とあります。船劇場もまたそういった場です。この冊子のタイトル通りに、場の持つ力を生かした公演を3種類ご紹介します。


画材店での横浜ボートシアター公演

横浜ボートシアターが、9/14から10/1まで、画材店の大森アートポジションで仮面展を行っていました。こちらで9/16(日)、24日(月)、9/30(日)には創作影絵人形芝居が、さらに音楽ライブが9/17(月)、9/23(日)にありました。私は9/23の音楽ライブに伺いました。ちょうどひどい雷雨が降ってきて、びしょびしょになりながら公演場所に飛び込みました。ここは大森駅から線路に沿って東側にあり、ちょっと戦後の雰囲気が残ったような場所です。
画材店の道路側の場所が画廊で、仮面の展示された中、数名で歌や演奏をします。歌は主に「さらばアメリカ」から戦中・戦後の時代精神を振り返ったものでした。お客さんは20名ほどでしたが、道路からも中の様子が見え、いい場所でした。



20181222 神楽坂・香音里(かおり)
横浜ボートシアター樋口一葉作品を語る 「わかれ道」「この子」「闇桜」

神楽坂の駅から約1分間のところにレンタルスペース神楽坂・香音里(かおり)があります。こちらは昔の木造住宅で、8畳と6畳の二間続きの部屋の周辺に廊下がめぐらされている空間に、床の間と書院がついています。6畳の和室の方にはグランドピアノが置かれています。今回は、朗読する人1名と伴奏を行う人1名で、観客は約50名ほどでした。朗読を行うために雰囲気も音響的にもいい空間で、また樋口一葉の作品にもとても合う空間です。「わかれ道」は語り奥本聰、「この子」は岡谷幸子、「闇桜」は吉岡沙耶により朗読されました。また松本利洋によるエレキギターの機微の動きも素晴らしかったです。



横浜都筑民家園での乙女文楽公演

最後に、11/25(日)13:30から14:30まで近くの都築民家園で、ひとみ座乙女文楽の公演がありました。公演の内容は「義経千本桜」道行初音旅です。さらに最後に人形の仕組みと扱い方の説明、および会場から希望者3名による三番叟の演技指導がありました。一人は外国人の方でした。乙女文楽は一人遣いで演じます。3人で行う文楽とは異なり、人形の周囲に人が少ないためにすっきりした感じがします。



2018/10/26

ホキ美術館の吸音材


93日、4日と千葉県の2か所の劇場に改修のための音響調査に伺いました。

測定の前日、92日(日)から千葉に向かい、千葉県緑区にあるホキ美術館に行ってみました。

ホキ美術館は鉄板製の美術館で、シャープな躍動感があります。美術館の端部は部屋全体がキャンティレバーとなって宙に飛び出しています。しかも断面は大きなC型の形状で、Cの途切れた部分は壁の下部にスリットとして通っていて不思議な感じがします。その内部の展示空間もシャープで、美術館や博物館の天井の仕上げは一般的な岩綿吸音板ではなく、ボード類の上に塗装仕上げでした。床もゴムチップ床で吸音するところがないのですが、椅子は球形の椅子で、触ると気持ちの良いフワフワとしたウレタンスポンジのようなものでできていて、デザインが素晴らしいだけでなく、これは吸音材でもあると思いました。ただ数が少ないので、もう少し多ければ残響調整ができそうと思った次第です。

もし吸音材を追加するとすれば、選択肢として、岩綿吸音板のように表面が凸凹していなく、また従来の有孔板のように孔が大きくなく目立たない、微細穿孔板(MPP: Microperforated Panel Absorber)という方法良いのではないかと思いました。日本ではあまり活用されていませんが、建築学会などで研究発表されています。孔が目立たないので、ホキ美術館のようにシャープにデザインされた場所には可能性があるのではと思います。







2017/09/21

渡辺翁記念会館のコンサート (山口県宇部市)

建築学会中国大会が8/31~9/3まで広島工大で開かれ、我々は9/2~9/3参加し9/3の午前中にアントニオが発表をしました。発表は無事に終了し、多くの方から質問もいただき手ごたえを感じました。

発表の後、私は新山口まで古くからの友人に会いに行きました。そして以前から気になっていた宇部にある渡辺翁記念会館(村野藤吾設計)に車で連れて行ってもらいコンサートを聴きました。
渡辺翁記念会館
ちょっと遅れて到着したために2F席になってしまいましたが、音は非常に大きく聞こえ、びっくりしました。たしかに噂に聞く素晴らしい音です。一番後ろのティンパニーの音もはっきりと方向感を持って大きく聞こえていました。

2階席から
主催および演奏は、宇部市民オーケストラ(指揮 高橋 敦)で、曲目は1.ムソルグスキー交響詩「禿山の一夜」、2.チャイコフスキーピアノコンチェルト第一番、アンコール「オルゴール」、3.チャイコフスキー交響曲第一番「冬の日の幻想」でした。われわれは2曲目のピアノ協奏曲から聞くことができました。ピアノ演奏者(尾形大介)も迫力がありました。

渡辺翁記念会館は今年で開館80周年になるそうで、80周年イベントがたくさん企画されていました。開館は1937年(昭和12年)です。昭和2年(1927)、初めての音響設計とされている早稲田大学大隈講堂が完成、昭和4年(1929)日比谷公会堂、昭和5年名古屋公会堂、そして昭和12年宇部市渡辺翁記念会館、同年、浅草国際劇場が出来ています。中之島中央公会堂は大正7年(1918)に開館で、なかではずいぶん先を走っている公会堂です。それでも渡辺翁記念会館は、公会堂建築のほぼ先端にいます。

村野藤吾は1891年生まれ、1984年に亡くなりました。工業高校を卒業後、八幡製鉄所で働いていますが、1913年に早稲田大学の電気工学科に入学し、その後建築に転入して、1918年に卒業しています。渡辺翁記念会館の完成は約46歳のとき。このホールの音響設計は大隈講堂の設計方法を参考にしたかどうか気になるところです。大隈講堂は、おそらく舞台の音が観客席に効率よく伝搬する様に設計されています。断面形状が放物線のようになっています。大隈講堂は以前に3Dレーザースキャンで空間測定とインパルス応答で音響測定も行っているので、今回建築学会で発表した川越鶴川座と同様の方法で近いうちに分析してみようと思っています。

渡辺翁記念会館も天井の形状を見ると、天井からの反射音が直接音を補強しているとみられ、そのために大きな音に聞こえるのだろうと思っています。

天井の形状
村野藤吾は宇部に縁があるらしく、旧宇部銀行本店も設計しています。現在はヒストリア宇部という市の建物になっていて、Caféがあり、空間の貸し出しもしています。オーケストラが練習できそうな大きさの講堂(約13m×16m×約10m(推測))の様な空間もあります。

ヒストリア宇部(旧宇部銀行本店 村野藤吾設計)

宇部市は当初、石炭産業で急速な発展を遂げています。その基礎を築いたのが、渡辺祐策翁で、石炭と石灰岩をつかってセメントも製造していました。いまは、石炭は掘りつくしてしまい、宇部興産として主に化学産業分野で活動しているようです。宇部の海岸側に広大な工場があります。
ただ町はどこにもある老齢化と人口減少で悩んでいるようです。新しい若い人を受け入れられる産業が必要と思います。

しかし一方で、この地は、ユニクロの柳井氏の出身地だそうで、大きな工場もあるとのこと。また元首相の菅直人氏もここの宇部高校(私の古くからの友人もここ出身)にいたようです。その後、東京都の小山台高校に転入し、東工大に入っています。私の高校・大学の1年先輩になります。

また、新しいエネルギーも感じる場所もあります。隣の小野田市に焼野海岸という浜があり、ここはきれいでした。人工物はほとんどなく、隈研吾設計のカフェが中央に存在しています。行ってみたら残念ながら満席で入れませんでしたが、ちょっと覗くと2階は四角のテーブルを囲んで5~6名の白髪の日本人、対するはヨーロッパ系と思われる5~6名の外国人です。何かプロジェクトをはじめようとしているかなという雰囲気。そうであれば面白いです。ここから眺める夕陽は最高です。反対側は九州が見えました。

Sol Poniente 隈研吾設計
 

2016/06/10

府中くらやみ祭り

 55日の夕方6時と同時に花火が上がり、同時に大太鼓の大きな衝撃音が始まる。大国魂(おおくにたま)神社の門が開き、6台の大太鼓が町へ出て行く。なにか、ゴジラの足音のようにも聞こえる。街は次第に暗くなり、屋台の明かりが目立つようになると、暗い中を、いくつもの金ぴかで華やかな神輿が目の前を通りぬけていく。地響きのような、遠くの大太鼓の音をかき消すように、シャリシャリという金属の打楽器音と威勢の良い人間の掛け声がある。

大太鼓の不気味な不規則なたたき方は、佐渡の「鼓童」の様な音楽性とは全く違う、大自然の大きさを一気に表現していると感じた。

大太鼓の音は悪霊ないし、大きな自然災害を象徴し、それと人間を象徴する神輿が戦う構図と解釈すると、この祭りは単に伝統的だとか楽しいというより現代的な意味の芸術的な表現または劇画的表現をしているなどといろいろ想像し、屋台で食べて飲むと楽しさも格別であった。












2015/11/26

Codex Barbèsのライブ

弊社のアントニオが、最近和太鼓を習い始めました。以前にYABが音響設計を担当させていただいた祐天寺にある浅野太鼓の和太鼓教室「太鼓の里 響和館」です。

彼の和太鼓の梅村先生が参加しているバンドのライブがあるということで、11/20六本木「新世界」というライブハウスに行ってきました。

Codex Barbèsというバンドです。




Codex Barbèsの演奏は夜の9時からで、8時半にライブ会場に行った際には別のバンドが演奏中でしたが、すでにフロアは立ち見で一杯、地下の会場へ降りる階段の途中も、お客さんで埋まっている状態でした。

バンドはトロンボーン3台、琴のようなキーボードのような楽器(Chapman Stick)、そして和太鼓が2名という編成です。

音楽はゆったりとしたトロンボーンの旋律の中に和太鼓の低い音や歯切れの良いリズムが通奏低音にように一体化します。何だかアフリカの音楽の様な、または日本からヨーロッパ・アメリカまでを含めたどこかの音楽、時・空間の広がりを感じる素晴らしい音楽と感じました。演奏者の説明では、これはダンス音楽なので、会場は狭いけれど体を動かしてくださいとのこと。和太鼓のリズムが心地よく自然と体を動かします。
まだこのバンドのライブは2回目とのことで、またぜひ行ってみたいと思います。

YouTubeの動画の音をパソコンのスピーカーで再生しても、和太鼓の低音は聴こえません。できればヘッドフォンを着けて聴いてみてください。しかし和太鼓の本当の音は生で聴かないとわからないものです。




2015/11/05

再びバンドン

10/1、再びバンドンに行き、10/6朝に羽田に帰国しました。

10/2(金)に打ち合わせがあり、翌日が土曜日だったので、土曜日曜とバンドンの休日を楽しみました。

ホテルがアジア・アフリカ目抜き通りに近いため、散歩をするには好立地です。通りを歩いていると、10名ほどの子供たちの団体がいて、そのうち一人が私に興味を持ってくれて英語で話しかけてくれました。
彼らの街を案内してくれ、大道芸人と写真を撮ったり、またバンドン会議の場所に行ったり、モスクのタワーのてっぺんのネギ坊主まで行ったりしました。子供たちと別れてからバンドン会議で首脳陣が宿泊したサヴォイホテルでランチを食べていたら、LONBOK SUMBAWA (ロンボク島、スンバラ島) FESTIVALというポスターがあり、ウェイトレスに聞いてみると日曜日の夜にバンドン会議場の脇の広場で開催されるとのこと。その日、夜8時ごろに行ってみました。
特設ステージにはガムランの楽師が20名ほどがいて演奏が始まっており、舞台の前にはテントが張られ、そこに来賓用の丸テーブルが置かれていて、プロのカメラマンがゲストの撮影をしていました。



その中の一人、挨拶に立ちあがった方はバンドンの市長さんでした。その後、音楽やダンスが行われ、最後のダンスでは踊り手が舞台から降りてきて市長たちを誘い、観客らと一緒に踊りが始まりました。






舞台と観客席の構造は、舞台の前に来賓が座り、その周辺に舞台と来賓を取り囲む形で観客(私もその一人です)が立って見ていました。この形は16世紀末のテアトロオリンピコの公演の形で、舞台には楽師と俳優がいて、オーケストラピットに賓客がいて、その周辺に一般の観客がいる原初的な劇場の形と似ていると感じました。このようなわくわくする雰囲気は、劇場の設計にも必要なものと感じました。

このように市長が来るようなイベントも広場で行っているので、前回のブログでも書きましたが、劇場と言われるものはここバンドンにはないようです。でも、このホテルの1Fロビーも含めて、ホテルの周りのほとんどのレストランには、数人のバンドが入って、お客さんに聞かせています。とても芸能文化は盛んであると感じました。

2015/08/17

キンボー指揮 第33回 日本ナショナル・ミュージック・キャンプ
ジュニア・フィルハーモニック・オーケストラ サマー・コンサート 2015

8月9日(日)東京劇術劇場コンサートホールで、タイトルのコンサートがありました。

前半はヨハン・シュトラウスⅡ/皇帝円舞曲(指揮キンボー・イシイ)、オッフェンバック(ロザンタール編)/バレエ音楽「パリの喜び」より(指揮パヴェル・ポプラフスキー)、後半はラヴェル/ラ・ヴァルス(指揮パヴェル・ポプラフスキー)、R.シュトラウス/歌劇「バラの騎士」組曲です。

パヴェル氏は、2010~2015までマグデブルグ劇場の次席カぺルマイスターで、キンボーのアシスタントだった方です。そして今シーズンからは、ビーレフェルト劇場のカぺルマイスターに就任されたとのこと。どちらの指揮も、いずれの曲もリズムが華やかで、盛り上がっていました。最後のバラの騎士の最後の華やかな大きな音と打撃音が終わった後、キンボーは満足そうな表情に見えました。観客にも、楽団員と指揮者とが一体化していると感じられる素晴らしい演奏でした。

公演の後、キンボーに会いに楽屋まであいさつに行きました。そして、そこで出会ったピアニストの方と帰りをご一緒しましたが、その方が、このホールは音が小さくなってしまうのであまり好きではなかったが、今日は良かったですねと仰っていました。たしかに、最近の改修(2011~2012年)の後に良い変化があったのかもしれません。

公演の前に、オーケストラの方々が河口湖で5日間の合宿を行い練習をしたそうです。それもこの一体感のある演奏に影響しているのかもしれません。今年の夏は暑いですが、よく晴れていたので富士山もよく見え気持ちのいい合宿だったことでしょう。

2015/07/31

小泉文夫の33回忌のコンサート
『<民俗音楽>との邂逅(かいこう)-小泉文夫のメッセージ』

小泉文夫の33回忌のコンサートが、7月5日(日)東京芸術大学の新奏楽堂で行われました。

コンサートの曲目は長唄、南インドのヴィーナー、および声楽、バリ・ガムラン、モンゴルとウイグルの音楽、子供たちによる邦楽囃子、アメリカ人による尺八、雅楽、ジャワ・ガムラン。曲目は多岐にわたり、また素晴らしかったです。満席でした。

小泉文夫の考え方によって、世界の様々な民族音楽と西洋古典音楽とを並列に感じられるようになり、しかも世界の様々な民俗音楽が影響し合って発展してきていることも小泉文夫の楽理的な研究からわかってきました。

音響技術者から考えるとクラシック音楽は一般的に残響の長いホールが好ましいとされているが、それはなぜか、まだ分からないことがあります。同様に様々な民族音楽にとって好ましい空間はどのようなものかについても、これからのテーマです。芝居小屋の音響性能調査を継続して行っていますが、小泉文夫の様な楽理的な観点および音響学的な観点から研究をしていくつもりです。

2015/06/18

ジャカルタ芸術劇場 Gedung Kesenian Jakarta ("Jakarta Art Building") 見学

 5/30昼過ぎ、仕事で再びバンドンに行った帰りのジャカルタで、飛行機の出発の前に時間があったので、ジャカルタ芸術劇場に寄ってみました。この劇場では、その時ちょうど子供のバレエスクールの発表会が行われており、切符は完売していましたが、2F席の裏方がビデオ撮影しているところに、幸運にも入れていただくことができました。

外観

 客席は馬蹄形で、2Fのバルコニー席があり、オペラハウスのようでした。バレエの公演は、生演奏はなく、伴奏はコラムスピーカ(2F席のスピーカはTOAなので、コラムもおそらくTOA)から音を出していました。子供たちは小学校低学年または未就学でしたが、一所懸命な感じが良く出ていました。演出に霞幕の様なものも使われていました。霞幕は上部に引き上げていましたので、フライズもありそうです。客席数は475席です。








 以下に、建設されてから現在に至るおおよそ200年の経緯を英語版Wikipediaの一部を日本語に翻訳してみましたが、この劇場はその時その時で様々に変化して使用されてきたことを伺うことができ、劇場としてとても幸せな扱いをされていると感じます。日本の芝居小屋は、戦後、ここと同様に映画館として使われた後、ほとんどが終了してしまいました。

以下引用翻訳。

1821年にオランダ植民地政府により、既存に有ったbamboo theaterに代わり、より恒久的な構造のもの作り変えられた。設計はJ.C. Schultzeで、 Neoclassical styleのデザインである。Gedung Komedi ("Comedy building").[2]という名前で有名になった。杮落しは1821年10月の予定であったが、コレラの流行で延期され12月7日に行われた。公演はシェークスピアのオテロであったとのこと。ただし女性歌手やオーケストラの不足などで民間企業の経営が失敗し、1848年に政府が引き継ぎ、1911年にはバタビア市(ジャカルタの植民地時代の名前)に引き継がれた。
最初の照明は蝋燭や灯油ランプで有ったが、1864年にはガス灯が導入され、1882年には電気が初めて使われたが、1910年まではガス灯も使われていた。
National Awakeningの時代、1926年には地域の青年同盟により、Kongres Pemoeda (Youth Congress)のために使われた。
日本占領時代(1942~1945)は最初軍の本部として使われ、1943年4月には劇場( Sin'tsu Cekizyoo.[1])として使われた。
独立時代には Seniman Merdeka, ("Independent Artists")として若い芸術家の会議場所として使われるようになった。1945年8月29日、インドネシアの公式の独立記念日の12日後には最初の大統領のスカルノがインドネシア中央政府を発足させ、ここで最初の会議が開かれた。
1951年にはインドネシア大学の経済学部により使われるようになり、1957年から1961年まではインドネシア国立劇場アカデミーにより使われていた。
1968年には建物は再び名前を変え、 Bioskop Diana (Diana Theater)となり、Brigadier General Pimgadie.によって管理された。1970年には中国映画を見せる映画館になり、City Theaterという名前になった。
1984年には元に機能にも戻すように法律が制定され、 3 billion rupiah(※当時のレートで約3億円ほど)かけて改修され、1987年9月5日にGedung Kesenian Pasar Baru.[1]から Gedung Kesenian Jakarta,になり、現在に至っている。

2015/06/10

こんぴら歌舞伎大芝居と芝居小屋調査


今年の1月19日のブログで紹介した、共同で芝居小屋の音響特性の研究をしているベルリン工大のクレメンスさんから昨年暮れにメールがあり、助成金が取れそうなので、いくつかの芝居小屋などを調査したいとのこと。調査の対象は、旧金毘羅大芝居金丸座、内子座、川越の鶴川座、早稲田大学の大熊講堂を設定し、金丸座と内子座の調査の日程は、4月26日のこんぴら歌舞伎大芝居の千穐楽を見るスケジュールで決定しました。

メンバーはクレメンスさん、東大の森下さん、YABのアントニオと私です。

25日の朝、あざみ野駅で皆さんと待ち合わせをして車で横浜を出発し、その日の夕方に琴平に到着をしました。

翌朝26日、旧金毘羅大芝居金丸座で、まず千穐楽のもちつきを見た後、午前部を観ました。
『伊勢音頭恋寝刃』です。序幕では客席の中で役者さんの「追いかけっこ」があり、「芝居小屋の客席も舞台の一部」が表現されていて、外国人の皆さんも楽しんでいただけました。午後は金比羅宮の参拝をしました。

27日朝には琴平を経ち、途中善通寺に寄り、内子に向いました。内子の伝統的な街並みを散歩した後、5時より内子座の調査を行いました。

28日にはふたたび琴平に向い、夜5時より琴平の旧金比羅大芝居金丸座の調査を行いました。29日朝には琴平を出て夕方、横浜に到着、約2000kmの長旅が無事終了しました。

またこの調査に先駆けて、川越の鶴川座を4月23日に行っており、さらに5月12日には大熊講堂の調査を行いました。

調査の方法は、3Dレーザースキャナーを用いて、空間の形状を把握して、そのデータを用いて室内音響シミュレーションを行おうとするものです。3Dレーザースキャナーは東大の森下先生が担当しています。また鶴川座と大隈講堂では音響インパルス応答の測定もしています。これはYABが担当しました。その後、クレメンスさんにより音響シミュレーションが行われ音質評価を行います。特に川越市鶴川座は、現在は映画館が廃墟になった状態です。これを音響シミュレーションでかつての芝居小屋の音響に復元しようとしています。

また調査に当たっては、川越市役所都市景観課および蔵の会の皆様、内子町役場 町並・地域振興班の皆様、琴平町教育委員会の皆様、早稲田大学文学部の児玉教授、および木造劇場研究会の皆様に大変お世話になりました。
今後データをまとめて、解析・結果が出ましたら学会などに発表する所存です。

川越鶴川座の測定

川越鶴川座の測定

第三十一回こんぴら歌舞伎大芝居の千穐楽のもちつき

第三十一回こんぴら歌舞伎大芝居 千秋楽

内子の街並み

内子座の測定

内子座の測定



内子座外観

大隈講堂測定

大隈講堂測定

大隈講堂測定

大隈講堂測定2階席