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2026/09/12

川田 学著 保育の子供理解のために 主体性・環境・あそび を読む, 自我の発達に関するコペルニクス的転換

現在、著者 川田学は、北海道大学大学院教育学研究院付属子ども発達臨床研究センター教授であるが、実は私の甥で、新婚の時には、我が家の1階に何年か同居していた経験がある。その時は都立大学大学院のドクターコースにもいて、とても親しい関係だ。その後、家族は香川に移動し、香川大学の教育学部の講師・準教授を経て、北海道大学に転勤した。専門は発達心理学だが、我が家にいたころも釣りが好きで、近所にある釣り堀にいって、大物を吊ったことで、コンクールで優勝して、暫く名前が貼られていた。

1章の関係のなかの保育、関係の中の子供 という文章の中には、反転図形、ルビンの壺が出てくる。壺に見えていた絵が、ある時二人の顔が向き合っているようにも見える。黒い点々で描かれた絵が、ある時、突然犬に見えてくる。これは関係性を持っていて、保育者とはその人を取り巻く人や環境とのかかわりが生み出す役割のことを言っていると。  

全くこの内容とは違うが、気づいたことがある。わが町の神社の名前は剣神社という名前だが、その名前の由来は、戴いた剣をもって、近くで休んでいたら、大蛇が襲ってきて、その剣で退治したことから剣神社と名を付けたようだ。大昔から多分ニシキヘビのような大蛇はいない。しかしはたと考えると神社のそばには早淵川が流れている。毎日に近いほどその早淵川を散歩しているが、それを大蛇と見たて、スコップとツルハシなどで治水をしたことで、それを記念して神社を作ったのではないだろうか。そんな話はどこにも書かれていない。しかしスコップ神社ではなく剣神社という名前で。もっともらしくしたのではないかと思う。筆者は保育については、関連性によって中身が変わってくる。荏田という地域の名前は湿った田んぼだ、早淵川は年中洪水があったに違いがない。なるほどと思いながら、この関連性ということは、保育だけではないこともすごく理解した。

著者が最もこの本で言いたかったことは、この第1章の最後に出てくる。子供が23歳の時は日本では子供のことを、一般的にいやいや期とよんでいる。チベット高原から来た人が、この時期の子供を、単にぶらぶらしていると。いろいろなところに行って、自分で排泄したり、他の人から食事をもらったりしている。このことを聞いて、筆者は非常に注目した。自我が出てくる重要な時期と認識できたことだ。この後の文章もこの自我の発達のことだ。

 p.1399章の2の異年齢の世界とまなざしの転換でも、私(著者)は、いやいや期と呼ばれてきた2歳児(生活年齢で1歳半から満3歳ごろ)へのまなざしが、もっと豊かになる社会が重要だと考えている。何がいきづらさの根源かというと、ハタ的環境、つまり時間や空間や人間関係において、目的性の弱さやナナメの関係が生成する場が限られている社会構造にある。、、、2歳児がまずもって行いたいことは、自由気ままな行動であり、環境探査でしょう。そして自ら「ブラブラ」で気づいたことや見つけたものが、他者と共有する気持ちの原動力となっていく。これが自己と他者(社会)をつないでいく橋となる経験なのではないか。

 p.192(第11章 遊びの論理、遊びの倫理のなかの)変容を楽しむ活動の章のなかで、加用さんは、1990年の「子供の心と秋の空」という本の中で、あそびとは「自我の変容を楽しむ活動」、、、ここで私(著者)は思うのです。自我が変容する(ゆらぐ)と言うことは、幼いながらに、その時期その時期に一定の「自己」というものが、子供に経験されていると言うことだ、しかしその「自己」は、そのまま知覚され、経験されるものではなく、「ゆらぎ」を生じることで気づけるものなのです。

  結局、子供が23歳の頃は自我が目覚める時で最も重要なときだ。その自我は、その自我が変容する(ゆらぐ)ことで知覚され経験されるものだ。と言うことで、保育教育という大人目線でも子供主体の教育というような大人の都合の良い「よい子」という文脈ともことなる、はっきりした状態でないことが好ましいといっている。保育の子供理解に対して、なんだかガリレオが地動説を唱えて、宗教尋問に敗れた時のような、天動説が地動説に変わる大きな転換点のことを唱えているように感じた。自我の発達に関するコペルニクス的転換だ。

 著者は本の中にも少し書いてあるが、学生の時に、バンクーバーから北極海を目指して自転車でテントをもって、旅行をしたことがある。よく熊などに襲われないで無事いけたとおもう。しかしこの時から現場で確認する、実証するなどのエネルギーがあると感じられた。この本で現場での実証主義が実を結んだ感じだ。