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2026/10/11

マリア・グステル・グスマンのギターコンサート プラドの光、セビリアの春。を聴いて

 日時:2026.10.10(土)開演3時

出演:マリア・エステル・グスマン(クラシックギター)、高木洋子(ピアノ)、賛助出演 手塚健旨(クラシックギター)、作曲 牟岐礼(むぎ・れい)

曲目:チラシに示したものだが、これ以外にもいくつかの曲が挿入された。特に賛助出演した手塚さんとマリアさんとのギターの合奏もいくつか含まれていた。

ホールは20~30名しか入れない小さなホールなので、ギターの小さな音色もよく聞こえた。マリアさんのギターは大変軽快で、しなやかで、なるほどこうなんだと感じるものがあった。手塚さんが自己紹介の時に、マリアさんが18歳の時初めて日本に来てコンサートに出たら、この手塚さんが審査員長にマリアさんのことをきいたら、あなたと“もの”が違うと言われたと。たしかに手塚さんの音ははっきりして、メリハリもあるが、マリアさんのギターは見に付いた音楽性が違うという感じだ。これについて思い出したが、わが事務所にスペインからきたアントニオさんという音響技術者が働いていた。その両親があるときアンテケラから日本に来て、一緒にフラメンコのコンサートに行った。日暮里のホールだった。フラメンコの踊りを見ていたお母さん、名前はカルメンさん、そのカルメンさんが突然舞台に上がって、ダンサーと一緒に踊り出した。ダンサーたちもさらに盛り上がった。阿波踊りに参加するような感じだ。カルメンさんは病院の看護婦で、フラメンコダンサーではない。このことだと思った。“もの”が違うとは。さらに東京芸大の小泉文夫が『音楽の根源にあるもの』という本の中で、日本の音楽による民族性という文章がある。これも思い出した。多分この時、この年代は太平洋戦争で負けて、国を挙げてクラシック音楽を学ぼうというときに、日本の音楽の民族性とクラシック音楽とは違うということで言った言葉だ。多分見に付いた音楽性というものかもしれない。小泉文夫のこの本が出てから50年以上もたった。私も様々な曲を聴くようになった。もちろんクラシック音楽もだが、三味線音楽もだ。コンサートの後半は、日本人の牟岐礼の作曲したギターの曲をマリアさんが弾く場面もあった。セビリアの春とPRADOだ。セビリアはマリアさんのふるさとらしい。いい曲だった。牟岐礼さんは、私の隣に座っていて挨拶をしていた。よかったと話しかけたくなった。

この音楽サロンAriaはセンター南駅近くにあり、我が家からは早淵川を歩いていくと近くまで行ける。歩いて行ったら開演ぎりぎりになってしまったがとにかく間に合った。

音楽サロンは大きな建物の1階にあり、ホールとしては20~30名しか入れない小さなホールで、しかも仕上げ面は平面が多く、拡散しにくい。また天井は岩綿吸音板が2m程度の間隔で平行に仕上げられており、これによって多少音の拡散をはかっている感じだ。しかし500名とか1000名のホールと異なり、音がよく聞こえた。目の前の出演者の雰囲気もよく伝わった。息遣いまで感じるほどだ。 いいホールだった。




写真:コンサートが就労した後の舞台風景。お客さんが楽譜を眺めていた。