タイトルが「倭という種族」というので、日本の起源を扱うテーマで、しかも3世紀ごろの邪馬台国や法隆寺の600年ごろの創建に百済がかかわっていることや、663年の白村江の戦いなどのことが、朝鮮半島との関係があるようなのでどう評価しているか気になって購入した。出版社は風媒社。
著者は1959年4月に東京大学工学部を卒業し、1999年6月中部電力株式会社役員退任とあり、研究者としての経験はなさそうだ。技術論文はどうしていたのだろうか。しかしよく日本書紀や唐や朝鮮の本、たとえば地理書「山海経」(紀元前3・4世紀)、後漢書』鮮卑伝(せんぴでん)、『三国史記』によると4世紀から5世紀にかけて、新羅と百済は“倭国と国交しているというはなしがある。今は失われている百済三書の百済記・百済新撰・百済本記、高句麗本記なども書かれている。
2026年3月23日朝日新聞月曜日夕刊の1面に、「飛鳥寺と百済 甲(よろい)が残した縁」という記事が載った。日本書紀によれば、蘇我馬子が588年に、百済から僧侶や技術者の派遣を受けて飛鳥寺の建設を開始。奈良国立文化財研究所がその塔の跡を発掘し、鉄製の甲(よろい)や蛇行上の鉄器などを発見した。韓国では光州市にある公山城遺跡から鉄製や革製の甲(よろい)などが見つかり、飛鳥寺のものとよく似ていることが分かったとのこと。この話は日本書記の書かれていることを根拠に調査しているようだ。なかなか真実は難しい。
2026年5月8日(金)朝日新聞の朝刊に「百済ルーツの帯金具 静岡で出土」という見出しがあった。静岡県富士市の須津(すど)千人塚古墳で、古代東アジアの交流を考えるうえで貴重な金属製の帯金具が出土した。韓国・慶北大学の朴天秀教授は「百済で作られたとみて間違いはないだろう。7世紀の百済では副葬品を墓に納める習慣がすたれたため、今回の帯金具はほとんど見つかっていない。」一方、筑波大学の滝沢誠教授は、「古墳が築かれた7世紀の状況から見て、列島内であるとすれば、法隆寺をはじめとする百済系の仏教文化とそれに伴う工芸技術が集積されたヤマト王権中枢部での捜索が想定押される。」これも意見は割れているが、現在の最先端の出来事なのでやむを得ないことなのだろう。