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2015/02/04

JATET木造劇場研究会にて、スペインの祭について発表を行いました

以下、自己紹介と1/23日(金)にJATET木造劇場研究会にて発表したことについて書きました。


Hola a todos, mi nombre es Antonio Sánchez Parejo y soy Arquitecto Técnico y Máster en Acústica Arquitectónica de la Universidad de Granada. Nací en Antequera, una bonita e histórica ciudad localizada en el corazón de Andalucía. Mi formación académica se ha enriquecido con varias estancias en el extranjero: realicé estudios de un año en Budapest en la Facultad de Arquitectura YBL Miklós (curso 2009-2010) , un año en Shanghai en el Colegio de Arquitectura y Urbanismo de la Universidad de Tongji (curso 2011-2012) y un cuatrimestre en el Instituto Tecnológico de Tokio (2013). Además, he sido beneficiario de la Beca Confucio (1 año de estudios de lengua china en Shanghai) y la beca oficial de Traducción de Chino de la Universidad Nacional de Taiwan en Taipei. Desde hace más de cuatro años pertenezco y participo en proyectos del interdisciplinar (Arquitectura, Estructuras, Sismología y Física) grupo de investigación SNADS (Signal and Numerical Analysis in Dynamical Systems) de la Universidad de Granada lo que hizo que mi entusiasmo por el mundo de la Acústica creciera aún más. Ya llevo más de cuatro meses viviendo, aprendiendo y trabajando en Japón en la empresa de diseño y acústico arquitectónico YAB Corporation, donde además de sorprenderme la facilidad con la que me he adaptado e integrado, se está convirtiendo sin duda alguna en una de las experiencias más importantes y gratificantes de mi vida.

Mi vida en Japón está llena de momentos inolvidables. Uno de ellos ha sido el de poder participar en la última reunión del Subcomité de Arquitectura de la Asociación de Teatros y Espectáculos Japoneses (JATET). En dicha reunión se me dio la oportunidad de compartir experiencias y opiniones con personas muy relevantes en el arte y cultura japoneses. Me sentí halagado cuando se me pidió que diera a conocer algún aspecto de la cultura popular de mi país y me sorprendió comprobar que dos países tan distantes, como son España y Japón, comparten tantas similitudes en sus manifestaciones populares.

Fiestas como el de los Patios de Córdoba, Carnavales de Cádiz, las Fallas de Valencia y la Noche de San Juan guardan grandes similitudes con las fiestas japonesas del Festival de Tanabata en Sendai, el Awa-Odori en Tokushima, Nebuta en Aomori y del Daimonji en Kioto. También, llama muchísimo la atención como las procesiones de la Semana Santa y la festividad de la Virgen del Carmen en Málaga, son similares al festival de Sanno en Tokio y al de Tenjin en Osaka.

Quedaré siempre agradecido a Yabushita-san y a todos los miembros del JATET  por haberme hecho pasar una velada tan interesante y enriquecedora.


Antonio

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Hello everyone, this is Antonio Sanchez Parejo, Building Engineer and Master in Architectural Acoustics from the University of Granada (Spain). I was born in Antequera (Malaga), a beautiful and historical city located in the “heart” of Andalucia. Until now, my formation has been enriched with experiences living abroad. I studied one year in the Faculty of Architecture of YBL Miklós University in Budapest (2010-2011), one year in the College of Architecture and Urban Planning of Tongji University in Shanghai (2011-2012) and four months in the Department of Mechanical Science and Engineering of Tokyo Institute of Technology in Japan. Furthermore I got the Confucius Institute Scholarship (1 year of Chinese language studies in Shanghai) and the Translating Chinese (Methods and Practice) Scholarship of the National Taiwan University in Taipei. Since 4 years, I am a member of the interdisciplinary (Architecture, Structures, Seismology and Physics) researching group SNADS (Signal and Numerical Analysis in Dynamical Systems) of the University of Granada, what made increase my interest in the Acoustic world. I have been more than four months living, learning and working in Japan in the architectural and acoustic design company YAB Corporation, where apart from surprising me the fast way I adapt and learn, it is being with no doubt the most important and rewarding moment of my life.

My life in Japan is full of unforgettable moments. One of these moments has been to take part in the last meeting of the Architecture Subcommittee of Theatre and Entertainment Techonology Association of Japan (JATET). In this meeting, I was given the opportunity to share experiences and opinions with very relevant people in the Japanese art and culture. I felt flattered when I was asked to introduce some aspects of the popular and cultural festivals of my country and I was surprised to find how such a distant countries, as Spain and Japan, share that many similarities.

Cordoba’s Courtyard Festival, Cadiz Carnival, Valencia Fallas and St John’s Eve bear strong similarities with the Japanese Festival of Tanabata in Sendai, Awa-Odori in Tokushima, Nebuta in Aomori and Daimonji in Kyoto. Furthermore, it is so interesting to see how the Holy Week processions and  Virgen del Carmen Festival in Malaga, are very similar to the Sanno Festival in Tokyo and Tenjin in Osaka.

I will always be grateful to Yabushita-san and all members of JATET for making me spend such an interesting and enriching evening.

Antonio

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(自己紹介部分は前回のブログにて。)

日本での私の生活は、毎日が忘れられない瞬間でいっぱいです。
その一つが、劇場演出空間技術協会の木造劇場研究会の会議に出席したことです。この会議では、私は日本の芸術や文化に非常に精通した人々と、経験や意見を共有する機会を得ました。

私は、この会議で、私の国(スペイン)の有名な祭を紹介することを依頼され、とても光栄に感じると共に、遠い2つの国の祭りの間に多くの類似点があることを発見し、とても驚きました。

コルドバのコートヤードフェスティバル、カディスのカーニバル、バレンシア火祭りと、聖ヨハネの前夜祭は、京都の大文字焼き、青森のねぶた、徳島の阿波踊り、仙台の七夕まつりなどととても似ているところがあり、またマラガの聖週間の行列と聖母デル・カルメンフェスティバルは、大阪の天神祭、東京の山王祭と非常によく似ているところ発見して、とても興味深い思いです。

このような面白く豊かな夜を過ごすことができ、藪下さんと、そしてJATETのすべてのメンバーに感謝いたします。


アントニオ



研究会後の懇親会(JATETメンバーと)

Jesusnazarenoconlacruzacuestas
アンテケラの祭り(セマナサンタ)

本門寺のお会式にて

2015/01/19

ヨーロッパ音響学会で『芝居小屋の音響特性について』を、共著者クレメンス・ビュットナー氏が発表


大会名:SEPTEMBER 2014  KRAKOW  FORUM ACUSTICUM

タイトル:Acoustical characteristics of preserved wooden style Kabuki theaters in Japan


しばらく前の話になりますが、2014年の音響学会が、9/8ポーランドのクラコウで行われました。しかしこの日は日本の建築学会の時期と重なってしまったため、私は行くことができませんでしたが、共著者のクレメンス・ビュットナー氏が参加し、発表させていただきました。

発表内容は、以前我々が音響調査をした芝居小屋から、金丸座、八千代座、村国座、嘉穂劇場、鳳凰座を選び、手描きの図面をCADで起こし、空席の場合の音響シミュレーションを行って実測値と比較すること。またそのデータから満席の状態を予測して音響シミュレーションを行った結果、ヨーロッパの考え方で言えば、芝居小屋の音響特性は音楽より話声に好ましく、さらに親近感や親密感が音の特徴と言えると結論付けています。

クレメンス氏はベルリン工科大学の研究者で、明治期に日本にヨーロッパの音楽が入ってきた際に、どのようなホールで演奏されたかを調査するため来日していました。

彼は当初、歌舞伎座(1889年(明治22年))、芸大奏楽堂(1890年(明治23))、帝国劇場(1911年(明治44))、横浜のゲーテ座(1870年(明治3年))などを調べていましたが、歴史に名前が残っている劇場はわずかしか見つけられなかったところ、帰国直前に、明治期の日本には芝居小屋がたくさん存在していたことに気づき、芝居小屋の研究を行っていた弊社を訪ねられました。帰国する前々日(2012年)のことでした。そして、今後共同研究がしたいと言われ、それが今回の論文につながりました。

多くの建築の研究者や音響技術者は、クラシック音楽や現代演劇に適用する劇場の研究は行っているし、意識をしていますが、明治期に大量に存在し(全国で8000とも)、しかも戦後しばらく存在していた芝居小屋についてはほとんど無視をしていたように感じます。その芝居小屋では、もちろん歌舞伎や人形浄瑠璃などが行われていましたが、講演や演説、また邦楽や演劇やクラシックコンサートも行われたようです。

今年も何らかの調査をクレメンスさんと計画中です。


クレメンスさんが、芝居小屋以前の研究でもっとも注目していたのは横浜のゲーテ座(The Gaiety Theatre)でした。1870年(明治3年)12月6日、横浜本町通り(現、中区山下町68番地)に開場しました。ヘボン博士の邸宅跡地の隣の敷地です。オランダ人のM.J.B.ノールトフーク・ヘフトが外国人のアマチュア劇団のために建設しました。設計はフランス人のサルダ。

1854年(嘉永7)3月31日に、ペリーとの間で日米和親条約が締結、1859年(安政6)6月2日に横浜は開港しています。開港当時の横浜村は戸数約100軒の寒村だったようです。
また現伊勢佐木町には、1880年(明治13)に創業した芝居小屋の勇座と新富亭、賑座が、見世物小屋の両国座が前身の喜楽座などがありましたが、1899年(明治32)の「関外大火」で多くが焼失してしまったようです。しかしその後の伊勢佐木町は歓楽街として発展してきています。

要するにゲーテ座が開場した年は、開港からまだ11年であり、しかも1866年には同じ敷地で倉庫を改造して劇場として使っていたようです。杮落し公演はアマチュア劇団によるバーレスク「アラディン―素敵な悪漢―」と、ファース「可愛い坊や」で、バーレスクの劇中音楽は、コンラード・アンド・コラード社のピアノによって伴奏され、幕間でイギリス第10連隊第1大隊の軍楽隊(軍楽隊長は君が代の初期の作曲者で有名なフェントン)が演奏したとのこと。また、1872~1873年(明治5・6)の頃、ガス灯による照明設備が取り入れられたそうです。


参考文献  
原島広至著 「ワイド版横浜今昔散歩」 2014年10月 株式会社KADOKAWA 出版
升本匡彦 著 「明治・大正の西洋劇場」 横浜ゲーテ座 第二版 1986年 岩崎博物館 出版

2014/12/25

スペインの音響技術者がYABに加わりました

今年10月から、スペインの音響技術者アントニオ・サンチェスがYABのメンバーになりました。彼はグラナダ大学の建築音響の修士課程を出て、その後昨年9月から1月まで東京工業大学の機械工学科の研究室に留学しており、その際に知り合ったのがきっかけです。大学在学中には同済大学(トンギ大学)で四川地震の研究を行い、その間に中国語も習得し、他に英語やフランス語も話せるなど、語学が堪能です。 

入社から3か月、その間にヘルムホルツ床の開発実験やスラブ解体騒音振動の測定、床振動測定、騒音測定など、すでに様々な仕事で活躍してくれています。

彼の故郷はスペインの南、アンテケラという美しい町で、歌のマラゲーニアで有名な地中海に面したマラガから近く、グラナダからも比較的近い場所にあります。この地域はアンダルシア地方で、フラメンコでも有名な場所です。彼を通じて、スペインの音楽や文化、おいしい料理などに興味が湧き、だいぶスペインが身近に感じられるようになりました。


重量床衝撃音測定中


2014/12/09

東京工業大学講堂が登録有形文化財に

東京工業大学70周年(昭和51年当時)を記念して、卒業生から寄付を募って建設された講堂が、登録有形文化財に答申されました。

東工大の清水先生(音響)と、この話をしたことを機に、当時の建築学会に発表された論文をいただきました。
「東京工業大学講堂の音響特性について」(日本建築学会関東支部第21回研究発表会1957年1月)で、筆頭が勝田先生、次に我恩師で当時助手であった松井先生と、同じく研究科学生であった浅野昭壽さんが執筆されています。

浅野さんはその後NHKを経て、現在は弊社の技術顧問にもなっていただいている方です。浅野さんに論文をお見せしたところ、ぜひ講堂を見学してみたいとのこと。清水先生に依頼し、大学許可をもらって10月9日に見学をさせていただきました。

講堂ができたのは論文から推定すると1956年と思われますが、このころ竣工したホールとしては、神奈川県立音楽堂(1954年(昭和29))、旧NHKホール(1955年(昭和30))、杉並公会堂(1957年(昭和32))で、本講堂もホールの草分け的な存在になります。

松井先生の論文でも、「建物の性質上講演、講義を主目的とし、他に演劇、音楽、映画等の場合を考慮に入れて次のような音響設計を行った。」とあり、音楽も意識していたものと思われます。論文には1956.11.18工大音楽部定期演奏会、聴衆約500名入場とあり、その時の残響時間測定結果が約1.0秒で平坦特性となっています。室容積は4244m3、座席数は868席、神奈川県立音楽堂が1331席で1.2秒ですから、当時としては音楽堂の残響の長さと同じようなところにあります。ただし、最適残響時間のグラフ(B.F.Day他 BuildingAcoustics 1969刊)によれば、1秒は講堂に最適となります。

浅野さんは講堂に行って、客席に座りながら感心していらっしゃいました。当時、内幸町の旧NHKホールとどちらが早いかわからないが、設計法が白紙の状態の時に、よくこの天井の高いホールができた、と。また舞台側が反射性、客席側が吸音性であることや、舞台周りの拡散性の配慮や響きもちょうど良い感じであるとおっしゃっていました。
浅野さんの当時の記憶は、連日NHKの残響室で吸音材の実験をしていたことだそうです。
私にとってもこの講堂は学生時代の思い出深い場所であり、見学ができて、いい機会をいただきました。



2014/10/07

オーケストラピットと花道

少し前のことになりますが、7月26日に早稲田大学の教室にて、JATET建築部会 木造劇場研究会の発表が行われました。発表者は、私を含め下記の5名です。


  • 柴田満「三味線で辿る日本の音楽とその場所」
  • 永石秀彦「全国芝居小屋スライドショ-」
  • 賀古唯義「劇場誕生!我が国に全蓋式本建築の劇場が誕生した瞬間」
  • 山﨑泰孝「なぜ今木造劇場か~これからの劇場づくりと再生はすべて木造に~」
  • 藪下満「オ-ケストラピットと芝居小屋」 

私の発表は「オーケストラピットと芝居小屋」で、歌舞伎の花道とオーケストラピットの成り立ちの違いについて考えたことが発想の発端となっています。

歌舞伎は、能舞台のような形の舞台から、次第に舞台から花道が飛び出してきて現在に至っています。一方オペラは、当初はテアトロファルネーゼのように、アリーナ(平土間)で演じ、それを客席が取り囲む構成の例もありますが、次第に舞台が奥に入っていって、舞台の前にオーケストラピットがある形に変化して行った過程が大きく違います。前者は、演者が客席に近づいていきますが、後者は客席との間に距離ができていきます。

歌舞伎は、1603年の阿国が北野天満宮で行った歌舞伎踊りから始まっていると言われています。またオペラは1600年にフィレンツエの歌手ジャコポ・ペリが、詩人のリヌッチーニとともに舞台装置に取り囲まれた何人かの人物が登場する「オイリディーチェ(エウリディーチェ)」を作曲したことが始まりとされています。このように歌舞伎とオペラはほとんど同時に発生しています。

また歌舞伎用の劇場は、当初は神社の境内などの屋根のないところ(※1 P.18花下遊楽図屏風 天木宗仲画 六曲一双 桃山時代/17世紀初期 サントリー美術館)から始まって、次第に屋根のある能舞台の様な舞台(※1 P.21重要美術品 阿国歌舞伎草子 1巻桃山時代/17世紀初期 大和文華館)で公演する様になり、どのように花道ができたかは明確ではありませんが、花道は1733年の市村座の絵図(※1 P.64 市村座場内図屏風 江戸時代享保18年(1733年)頃)には出てきています。

先に示した最初のオペラを※2のP.59から引用すると、
「「エウリディーチェ」はフィレンツェ、ピッティ宮殿の大劇場で、1600年10月6日、マリア・デ・メディチとフランス王アンリ4世の結婚式であった。中略、こういった初期のオペラを上演した貴族たちは、それを古代ギリシャ劇の再生と考えていた。」
とあります。その代表的な劇場がテアトロ・オリンピコで、ジョージ・R・カーノールド著「ルネサンス劇場の誕生」のP259~260に、テアトロ・オリンピコ(1584年竣工)の杮落し公演「1585年3月22日『オイディップス王』」に関する観客の一人のフィリッポ・ピガフェッタの手紙が紹介されています。そこには、
「賓客たちが数時間に及ぶ交歓、ワイン及び果物、互いの衣装の素晴らしさ、オーケストラに陣取った婦人たちの姿を満喫した後に上演が始まった」
とあり、その数行後に、
「この幕開きの後、内部の遠近法的装置から、様々な楽器と声による調和のある音楽が聴こえて」
とあります。
オーケストラとは舞台前部にある場所での名前で、そこには楽団員ではなくご婦人たちがいたことになります。そして楽団員は、装置の後ろ側にいたことになります。

また※2のP.59には、テアトロ・ファルネーゼのアリーナについて、ステージと同じように使用したとの記述があります。少し長くなりますが、以下に引用します。

「パルマにあるジョヴァンニ・バッティスタ・アレオッティ設計のテアトロ・ファルネーゼは、長く伸びた円形劇場形につくられており、ルネッサンス建築全般にいえることだが、古典ギリシャ・ローマの建築様式の原理に基づいている。テアトロ・ファルネーゼでは、円形劇場形がつくりだすアリーナも、ステージと同じくアクションに使われることがよくあった。1628年12月21日の杮落しの出し物は、トルネオ(馬上武術試合のための音楽)の≪マーキュリーとマルス≫で、台本はアッキリーニ作、間奏はモンテヴェルディ作曲だった。このスペクタクルは、クライマックスで中央アリーナに水がいっぱいに入れられ、ネプチューンが引き起こしたあらしと海賊に船や海の怪物が巻き込まれててんやわんやのところへ、フル・コーラスを従えたジュピターが騒ぎを静めに天井から降りてくるという趣向である。」
※2のP.60によれば、現在よく見る馬蹄形のオペラ劇場の最初がテアトロ・サン・カッシーノ(1637年)で、初めて舞台と客席の間にオーケストラピットができました。それまで多くの試行錯誤があったと思われますが、オーケストラピットの成立過程の歴史はあまりはっきりしていません。以下に一部引用します。
「世界最初のオペラ専用劇場がつくられたのもヴェネツアである。1637年のテアトロ・サン・カッシアーノ(聖カッシアーノ劇場)がそれで、オペラのスペクタクル的な効果を出すのに必要な舞台設備が整っていた。金持ちのトロン家が、1629年に焼失した劇場に替わるものとして建てられたのである。営利を目的としていたので、壁沿いにぐるっと席が段状に設けられ、できるだけ多くの観客を収容するようになっていた。オーケストラは、以前は舞台の両脇、桟敷席、書割りのうしろなどに座っていたのが、この時初めてステージの前に置かれるようになった。」
とあります。

音響的な視点からオーケストラピットを見ると、観客から楽器(音源)が見えないために楽器からの直接音は聞こえず、回折音または天井などからの反射音を聞くことになります。したがって中高音域の音は低減してしまい、音質が変わってしまいます。さらに楽団員の演奏環境も、あまりよいとはいえません。ピット内で音がこもるため音圧レベルが相当高く、難聴に気をつけねばならないほどだと思います。

オーケストラピットは、オペラにとって最初からあったものではありませんが、観客をたくさん収容するという商業的な理由から現在の形ができたものと考えられます。芝居小屋と比較すると、観客と舞台の一体感という観点から言えば芝居小屋が圧倒的に優れていると感じます。そこで当初テアトロ・ファルネーゼに見られるオペラにもかつてあった一体感を再度実現するために、オペラを芝居小屋で公演したらどうだろうかというのが今回の提案です。芝居小屋は商業的にいえば、現在の歌舞伎座や南座のような大きな小屋も含まれますが、その場合オーケストラはどこに配置すれば一番よいのかは検討する必要があります。


※1「歌舞伎座新開場記念展 歌舞伎 ― 江戸の芝居小屋 ― 」展カタログ
企画・構成サントリー美術館

※2マイケル・フォーサイス著 長友宗重・別宮貞徳 共訳 「音楽のための建築」

2014/10/01

建築学会(2014)で発表しました

2014年度建築学会大会が9月12日(金)から14日(日)まで、神戸大学で開催され、私は、共同研究者として2つの発表に参加しました。

12日の床衝撃音の分野で、神奈川大学の廣瀬君の発表『Helmholtz共鳴器を有する高性能乾式二重床の開発その3 共鳴器構造1ユニットでの基礎実験』、また13日の、あと施工アンカーの分野では『静充填型あと施工アンカーの実用化に関する研究 その1からその5』の一連の発表の内の最後、『その5 試験体における騒音振動測定結果』と題する水上さんの発表です。

Helmholtz共鳴器を有する遮音二重床は、床衝撃音が10dB改善できる二重床で、数年ほど前に開発し、現在は施工性・コストの面からの改良を目指しています。現在UR都市機構、神奈川大学、江尻建築構造設計事務所、そして当社の共同で実用化に向け実験を行っています(実験は、神奈川大学およびUR技術研究所で実施)。

主の目的は、数十年前に建設された集合住宅の改修をする際に、当時の薄いスラブの床衝撃音を改善することにあります。
当時の平均的な110mm厚のスラブでは、重量床衝撃音(タイヤ)ではLH-70ほどになります。それを開発中の遮音二重床によって、LH-60ほどに改善することを目標としています。従来の二重床のほとんどは、施工後に素面よりも重量床衝撃音が大きくなってしまうため、開発が急がれます。

同様に、静充填型あと施工アンカーも集合住宅の耐震改修に適応できるように開発を行っています。私の方の発表では、この工法は騒音・振動を低減しているために居住しながら(居付)改修を行えると紹介しています。
従来型のハンマードリルと、ドリルでコンクリートを削り取るタイプ(コアドリル)では騒音が25dBAほど違います。2軒隣の住戸では45dBAを下回るほどで、人が住みながら工事をすることが可能です。

また明治大学中野キャンパスで行われた、騒音制御工学会の秋の大会(2014年秋季)大会でも神奈川大学の安田先生の発表に、共同研究者として参加しました。
9/18午後の、新しい騒音・振動対策技術と適用事例の分野で、『Helmholtz共鳴器を有する高性能乾式二重床について』と題して、その理論的な面を考察しています。

2014/08/06

ハンス・ホラインの死

オーストリアの建築家、ハンス・ホラインが2014年4月24日亡くなった。80歳であった。
ホラインとは、第二国立劇場設計コンペ(1985~86)、東京フォーラム設計コンペおよび奈良市民ホールで一緒に参加させていただいた。第二国立劇場では優秀賞も得た。

5月5日に葬儀の案内が届いていた。毎年届いているホラインからのクリスマスカードにあったサインがそういえば昨年はなく、気にかかっていたが、その4ヶ月後のことであった。

ホラインは30歳の頃に設計した、アルミインゴットの様な、わずか10坪のレッテイ蝋燭店でプリツカー賞を受賞(1985年)している。


Kohlmarkt 8-10, Vienna Kerzenshop Retti


また田園風景の中に巨大な航空母艦をコラージュした「航空母艦都市」で、膨張する暴力的な都市に警告を発する。車のグリルの形をした超高層でAll is Architectureを表現。
シューリンⅡ宝石店のファッサードの鎌の形はシンボルとして、建物の機能をこえる象徴としてポストモダン建築では鎌の形が模倣され流行った。
ミエンヘングラートバッハ美術館のWalk On Buildingの概念も多くの影響があった。
いずれも明確な概念をうち出していた。


第二国立劇場の設計コンペの仕事をしていた時のことである。ホラインは、たくさんのスケッチをトレペの巻紙に行い、我々にも意見を尋ねていた。大劇場と中劇場の間にコロナードを配したが、そのコロナードが曲線に変更された瞬間の感動も忘れない。

ホライン事務所にて

また打ち合わせの時に、私が上着を脱いだら、君も暑いのか窓を開けよう、と仰った。そのとき人間は皆共通で、体温は約36度ということが感じられた一瞬だった。

ホライン事務所には衛藤さんという日本人のスタッフがいて、第二国立劇場プロジェクトのチーフだった。彼から、ホラインの葬儀の後に電話があり、当時いた人で今も残っているのは模型担当のエアリッヒさんだけだといった話をした。

最後に仕事をしてからだいぶ経っているが、いつかまた共同設計ができればと思っていた。しかし残念ながら実現ができなかった。昨年ホラインの作品集が出版された。その中の二国コンペの写真には、提出した模型よりも精巧な模型が載っていた。


ホライン作品集より 第二国立劇場コンペ模型