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2009/08/12

音は斜陽産業か?

 CO2排出削減のために、ハイブリッド車などエコカーが推進されるようになってきました。今後それらがガソリン車に取って代われば、排気ガスによる大気汚染と、騒音公害がかなりなくなるのではと感じています。
 私の学生時代、すなわち40年ほど前は、大気汚染や水質汚濁、騒音などの公害が問題になっていました。それが現在の職業を選んだ大きな要因のひとつです。したがって、私はガソリン車が減っていくことはすばらしいことだと思っています。特に電気自動車であればなおよいと思います。
 ロックウールを製造している日東紡が千葉工場を平成24年に閉鎖されると発表しました。不況の影響とのことですが、実際、ロックウールを用いた岩綿吸音板などの吸音材が、最近使われなくなっていると感じていました。流行りの安藤忠雄や妹島和世+西沢立衛の建築の影響か、また集合住宅の室内の音響反射性の空間に慣れた影響か、最近は、学校の教室などでもほとんど吸音材が使われていません。大型ショッピングセンターの吹抜け空間も、コスト削減のためか、賑やかさの演出のためか、相当騒がしい空間になっています。これでよいのであれば音響技術者の出る幕がありません。
 工場に対しては、騒音規制法が、またスーパーマーケットには大店立地法が適用され、騒音の発生が抑えられ、音響技術が役に立ったと感じます。
 集合住宅にも多くの音響技術者がしのぎを削って、技術開発を行ってきました。約50年前に始まった分譲集合住宅も相当に騒音対策技術の発展の形跡が見られます。

 このような現象を見ていくと、そろそろ音は斜陽産業ではないかと思ってしまいます。
しかし実際には、集合住宅の性能表示制度には、音は選択項目で、一番問題になる床衝撃音などにはこの制度は利用されていません。特にほとんどの木造や鉄骨造の集合住宅は、まだまだ音響技術が開発されていません。さらに集合住宅の改修でも、見た目は新しく出来ても、昔の薄いスラブに対して、有効な床仕上げ材はまだできていません。また美術館などの公共建築や学校や大型商業施設には、音声明瞭性や騒音の低減のために吸音材の施工が必要と思われ、また非常に効果があると思われます。

 最近では、ハイブリッドカーが静かすぎることが問題となっていたり、音の問題は、より感覚的で複雑なものになってきているとも言えます。
 今後音の仕事として考えられるのは、美しい自然の音が意味を持ってくるような空間の創造や、様々な音楽のための最適な音響空間を探る技術などではないかと思っています。音響の最先端技術として、健康や医学、音楽や楽器、拡声装置などに切り開く分野があると感じています。

2009/08/11

木造芝居小屋の音響調査、ポーラ伝統文化振興財団から助成決定

昨年度に引き続き、今年も木造芝居小屋の音響調査に関して、ポーラ伝統文化振興財団より、助成をいただけることとなりました。大変感謝する次第です。
この木造芝居小屋の音響調査は、木造劇場研究会(代表 建築家山﨑泰孝氏)が主体となり、弊社はこの音響調査を担当しております。
音響調査は、全国芝居小屋会議と神奈川大学建築学科寺尾研究室と共同で行っており、一昨年は、岐阜県にある白雲座、常盤座、明治座、鳳凰座を、昨年は香川県 琴平の金丸座、愛媛県の内子座、福岡県飯塚市にある嘉穂劇場、熊本県の八千代座、兵庫県豊岡市出石の永楽館の音響測定を行いました。
今年は、秋田県小坂町の康楽館、福島県福島市の旧広瀬座、群馬県みどり市のながめ余興場、岐阜県の村国座、相生座、愛知県の犬山市の明治村にある呉服(くれは)座の調査を行う予定です。
調査の目的は、日本の伝統芸能を育ててきた江戸歌舞伎様式の木造芝居小屋を、音響的な観点から研究することで、邦楽に好ましい音響空間を検討することです。
検討の方法は、残響時間などの物理的音響データの比較と、現場で分析した客席空間のインパルス応答と無響室録音のデータとを畳み込んで音響シミュレーションを行い、聴感で評価する方法となります。
比較の対象としては、クラシック音楽に好ましいとされているホールと、邦楽を主に行っているホールとの比較、また昨年までの調査により、芝居小屋は、室容積と最適残響時間という関係から、講堂や会議室として好ましい音響空間であることが分かったため、講堂も調査対象として予定しています。すでにこれまでに、横浜ふね劇場、つくばの古民家の和室、神奈川大学講堂のセレストホールの調査を行いました。特に、邦楽は残響の少ない空間で育ち、クラシック音楽は残響のある空間で育ったということから、それぞれの音楽の演奏方法や表現方法が、それらの空間と関係していると考え、そこに焦点を当てて、考古学的に研究をしてみようと考えています。

2009/07/21

横浜ふね劇場の音響特性

 昨年の10月、横浜ふね劇場の屋根を持ち上げ、窓を設置する工事を行いました。それまでは、公演をする時には、停留しているときの屋根を撤去してテントを張ることとしていましたが、ふね劇場が完成して今まで一度しか公演がなく、めったにない公演のために、艀を密閉している屋根をそのままにして、その中で演劇の練習をするのは、あまりにも過酷な状態でした。
 そのため、昨年のふね劇場をつくる会の総会で、この状態を改良することが決まり、屋根を持ち上げる工事を行いました。

 屋根を持ち上げた状態での音響性能を測定し、今後の公演に役立てたいと思い、測定を行いました。また、その結果を今年のふね劇場の総会で発表いたしました。
 過去の1度の公演の時にはテントであったので残響時間は短く、500Hz帯域で0.55秒でした。
調査は二度、二度目は神奈川大学の寺尾研究室の学生と一緒に測定しました。芝居小屋の音響調査で行っている音響シミュレーションの方法です。

 残響時間測定結果を図に示しました。


 500Hz帯域では0.77秒と、テントの時と比較して、0.2秒ほど長くなっています。中高音域の残響時間が短くなっているのは、側壁に幕があり、また客席には座布団を敷いているためです。最適残響時間のグラフから考えると、空席の残響時間0.77秒は、講堂や会議室に適したものとなっており、明瞭な声の伝達に好ましい状態であることが分かります。したがって、演劇の公演には良好な状態であり、しかもテントの場合よりも初期反射音があるために、発声しやすいと思われます。また邦楽や、ガムランなどのアジアの音楽はもちろん、クラシック音楽も、残響を感じることから行いやすくなり、講演会から演劇、さまざまな分野の音楽にも公演しやすくなったと思います。
 また、このふね劇場は、大きな音を出すとふね上部の鉄板部分が振動をして音を出すことも分かりました。多少音色に鉄の色がつく場合があることになりますが、これも艀で出来たふね劇場の、欠点でなく特徴と考えることも出来るでしょう。

 屋根を持ち上げ、窓がついたことで、光と風が入るようになりました。屋根の上には断熱材も張られています。後はたくさん使うだけです。最近、横浜大桟橋の根元の象の鼻地区は、美しく、また便利に整備されました。横浜港を遊覧するふねの発着場にもなっていて、海を楽しむ事が身近になりました。大桟橋の屋上には、いつもたくさんの人たちがいて、海の風や景色を楽しんでいます。次はその近くにふね劇場を浮かべて、演劇や音楽を楽しむことができたらいいなと思います。

測定の様子。



 
 7月17日に建築学会の会館の中庭に青いテントを張って、劇団唐ゼミ公演、『恋と蒲団』がありました。その後、唐十郎氏を交えて、「劇空間再考せよ」というシンポジウムがありました。その中で、唐十朗氏から、安藤忠雄の設計した「下町唐座」は天井が高すぎる、使いにくかった、声が出しにくかったとの発言がありました。私は、赤テントの公演時に俳優が皆声をからしているのを見て、これはテントが声を反射しないためだと思っていました。当時、下町唐座を設計する段階で、私は音の検討をしていましたが、テントより確実に音は出しやすいと感じていました。しかし公演に行ってみると、なんと俳優の声の一次反射音を客席にもたらすために一番大事に考えていた側壁に幕がたれているではありませんか。おそらく練習の時に、空席のため、劇場の平面が正多角形なので、音に焦点や定在波が出来やすく困ったのかもしれません。そのとき、劇場を使う側と劇場を作る側とは、十分話し合わないといけないのではとつくづく思いました。

 今回の建築学会の会館の中庭でテントを建てる場合には、テントを透過した音は、建築会館の壁にぶつかって、再度テントの中に入ってくるために、テントだけよりも発声しやすいと思いました。また最近は、テント公演は騒音問題があり、なかなか問題になりますが、建物の中庭で行われれば騒音問題も解決し、屋外の雰囲気も楽しめるのではと思いました。

2009/06/22

神奈川大学吹奏楽部サマーコンサート、管弦楽団の第55回定期演奏会を聴く

6月12日(金)横浜みなとみらいホールで神奈川大学吹奏楽部のサマーコンサートを聴きました。この吹奏楽部は、全日本吹奏楽コンクール大学の部で、ほぼ毎回上位に位置しており、金賞も数多く受賞しています。
曲目は、福島弘和『祝典序曲「未来への翼」』、中橋愛生『閾下の櫻樹 吹奏楽のための』、グスタフ・ホルスト『吹奏楽のための第一組曲』、チャイコフスキー『歌劇「雪姫」より道化師の踊り』です。
祝典序曲は、明るく華やかに始まる力強いいい曲でした。閾下の櫻樹は、最初重苦しい出だしから始まり、華やかな櫻の印象に変わっていく日本人の深層にある櫻を表現したものだそうで、これもいい曲でした。
後半は、開港150周年を迎える横浜市歌から始まり、2009年度全日本吹奏楽コンクール課題曲 藤代敏弘 Ⅳ.『マーチ「青空と太陽」』、諏訪雅彦Ⅰ.『16世紀のシャンソンによる変奏曲』、平田智暁Ⅲ『ネストリアン・モニュメント』、江原大介Ⅴ.『躍動する魂~吹奏楽のための』、島田尚美Ⅱ.『コミカル★パレード』、最後の曲は、アルフレッド・リードの『エル・カミーノ・レアル』。
結構難しい曲もあり、またどの曲も新鮮ないい曲です。最後の曲は「皇帝の道」という意味で、スペインがメキシコからカリフォルニアへ侵攻していた時の名残の道で、その名前が道に残っているとのこと。スペインの行為の良否は別にして、曲はスペイン風のいい曲です。全日本吹奏楽コンクールは10月にあるそうですが、今年も頑張ってほしいものです。
アンコールは、真島俊夫のBay Breezeで、なんとものびのびした曲で、特にアルトサックスのソロがすばらしかったです。また吹奏楽器の中の、コントラバスや打楽器も重要な役割をしていることがよく分かりました。


吹奏楽部のコンサートの2日後ですが、6月14日の14:00より、目黒パーシモンホールで、神奈川大学管弦楽部のコンサートがありました。第55回定期演奏会です。曲目は、ベートーベン 歌劇『フィデリオ』序曲、チャイコフスキーバレエ組曲『眠れる森の美女』、シベリウス 交響曲第一番ホ短調作品39、アンコールは チャイコフスキー『くるみ割り人形 花のワルツ』。
指揮者がアンコールの前に挨拶をされ、学生にこんな難しい曲を選んで大丈夫かと聞いた際に、学生は大丈夫と返事したという話をされました。確かに、眠れる森の美女もシベリウスも難しそうな曲でしたが、学生たちは力強く演奏していました。また指揮者の松岡さんの指揮の仕方も、とても熱心で、また表現力も豊かで、とても感じが良かったです。
終了後、ホールの脇にある緑のきれいなカフェの庭で、一緒にいった家内と、しばらく余韻を楽しみました。

2009/06/17

長岡散歩

5月28日、鍛造工場の騒音対策のために長岡に来て、測定を終え、その日の夜は、米どころの長岡の、味しい日本酒を頂きました。 
次の日は、8時頃から駅前のホテルを出て、駅前に宣伝されていた火焔土器の国の展示をしている歴史博物館に向かって散歩に出ました。歴史博物館は地図によれば、信濃川の長生橋を渡った先にあるようです。10kmほどはありそうです。先ず、信濃川手前の長岡市立劇場に行ってみました。この建物は、昭和48年にオープンした劇場で、すっきりとしたファサードが非常にきれいで、とても印象的だったことを覚えています。そのファサードは、未だに美しく管理されていました。


突然御伺いしましたが、親切にも中を案内していただき、見学させていただきました。中に入るとロビーも大空間でした。


小ホールで催物があるのか人が入っていっています。大ホールの客席内部は、ワンスロープのなんとなくゆったりとした形状です。



壁は半分以上が岩綿吸音板で仕上がっていましたが、案外響きます。塗装が何度もされているからだと思われました。この塗装はメンテナンスもありますが、数年前の中越地震でも改修を余儀なくされ、塗装をしたようです。


ロビーで、チラシを見つけました。7月16日は、寺内タケシとブルージーンズが、8月18日は佐渡×シエナ(吹奏楽)の公演があるとのこと。
市民劇場を出ると直ぐ隣に、雄大で美しい信濃川が流れています。



川の土手にそって信濃川を長生橋に向かって歩きました。途中青い大きなサギを見つけました。


長生橋は、昭和13年に出来た造形的に美しい橋で、橋の向こうには越後富士とも呼ばれている米山が見えます。


しかし橋を渡ると、郊外型の汚い看板が多くなります。

歩き続けて11時半になり、そろそろ新潟県立歴史博物館に着くのではと思って、道路脇の工場の人に御伺いしたら、説明が難しいのでご親切にも車で案内してくれるとのこと。行ってみると確かに難しく、予想よりもさらに随分行き、山の中で、もう12時近くなっていました。


火焔土器を見たかったのですが、時間がなく、帰ろうにもタクシーも拾いにくい状態になって困っていましたら、車で一休みに来た人から、またまた親切をいただき、長岡駅まで連れて行ってくださいました。長岡リリックホールも信濃川を越えた中心街からは遠い位置にあり、この県立歴史博物館はさらに遠かったです。しかし現在、シティホールが、駅の直ぐ近く、厚生会館が解体された位置に建設中です。町の人によると、中心街がさびしくなってきたので、再び賑やかになることを目指しているとのこと。この方向のほうが良いように思います。

鍛造の音は、印象に残りました。騒音計の最大レンジで計測する必要があるほど相当大きな音ですが、鍛造の音を聞いていると、等間隔に打撃するのではなく、人間が打撃間隔を調節しているのか、鍛造の機械が独自に調節しているのか良くわかりませんが、まるでドラムをたたいているような、ロック音楽のような感じの音になって聞こえました。

2009/06/16

浅野太鼓400周年記念祝賀会に参加

浅野太鼓400周年記念を記念して、6月5日(金)~7日(日)の3日間に感謝祭が開催されました。創業は慶長14年(1609)だそうです。一昨年、東京の祐天寺に浅野太鼓の練習所である響和館の音響設計をさせていただいたときに、もうじき創業400年と伺って、気の遠くなるような話だという印象を持ちましたが、いよいよ現実のものとなりました。
6月6日に白山市の松任で行われた祝賀会にご招待いただきました。
当日は、全国から和太鼓に関係している多くの方たちが参加されていました。アトラクションもあり、八丈太鼓や三宅太鼓、藤本さんの鹿踊りなどがありました。








江戸時代が1603年からですから、それからまもなく創業されたということになります。創業者は皮革師として加賀藩が播磨の国から招いた、播磨家左衛門五郎と治郎だそうです。浅野村に住み、一次製品としての皮革生産および太鼓、馬具、皮細工など、皮革に関する藩のご用達を一手に務めたそうです。祝辞の中で、太鼓は戦争にも使われたとの発言が何度かありました。確かに陣太鼓という言葉があるくらいですから、戦争に必要な道具だったようですが、時は戦国時代を経て、江戸時代に入ったところ。加賀藩は、外様大名であったために、幕府に逆らう意思が無いことを示すために、文化や芸能を奨励したそうで、九谷焼、加賀友禅、輪島塗、加賀宝生流能楽や金沢素囃子が発展し、太鼓や鼓は、そのためのものとして欠かせないものとなったようです。しかし明治になって、加賀藩という後ろ盾を失い、生活は困窮を極めた時もあったようです。しかし戦後の日本経済の復興と、東京オリンピックや万博を契機に、全国各地の祭りが盛んになり、村興し、町興しの手段として、太鼓が売れるようになったとのこと。鬼太鼓座の田耕氏と出会ったことがきっかけになって、太鼓の演奏会のプロデュースや、演奏家の育成も始めたとのこと。いまや欅の植林事業も始めたそうです。最後に、「つぎの400年へ」とありまたびっくり。400年後を目指して、事業の発展をお祈りいたします。

荏田町の散歩道

弊社がある荏田町は、大山街道を江戸から歩くと最初の宿場町にあたります。事務所から2~300m東に行くと、246号線の荏田の交差点があります。


旧大山街道は、246号線をこの交差点で直交していたようです。手前に戻って、下の写真の建物あたりが宿場町の中心街だったようですが、現在は、その面影は全くありません。
シャッターが下りているお店は、数年前まで電気屋さんでした。右隣りは江戸時代からあったという床屋さんでしたが、現在は営業をしていません。その隣りは美容院、左隣はスナック、そしてすし屋さんです。この建物の向かい側には、現在はセブンイレブンになっていますが、かつては江戸時代から続いた赤田屋さんという酒屋さんでした。


この荏田の交差点をさらに東に進むと左側の民家の庭のなかに、常夜灯という灯篭があり、
(民家のため、周りをぼかしています。)


そこからさらに進むと庚申堂があり、宿場町の入り口であることが分かります。


その先には早渕川があり、橋から下を見ると、大きな鯉が泳いでいます。




この狭くてやっと歩けるくらいの大山街道と平行に荏田商店街があります。


しかしここもかなりシャッターが下りています。現在は、商業施設は、美容院やコンビニ、酒屋さん、現金屋という学生服などを扱っている洋服屋さんなど数が限られており、飲食は、すし屋さん、飲み屋さんだけです。店は、次第に学習塾などになっています。この商店街は、246号線を歩道橋でしか越えられません。したがって246号線を越えた江田駅側にある人たちは、大変行きにくい状況です。この商店街の中ほどを西側にちょっと脇に入ると真福寺という寺があり、ここには国の重要文化財の木造釈迦如来立像(寄木造)がある、落ち着いたいい雰囲気のお寺です。しかしこの釈迦如来立像は、弊社近くにあった釈迦堂から移設されたもののようです。弊社の昔の住所は、大字釈迦堂谷といっていて、現在弊社の南側にある公園は釈迦堂公園といっています。





また荏田の商店街をさらに南に行き、柚の木交差点を右に暫らく行くと、剣神社があります。




先代の神主さんまで神楽を演じていたようで、江戸時代はかなり遠くまで出張して公演をしていたようです。

この荏田の商店街は、かつての荏田宿の中心街であったのですが、現在は田園都市線のあざみ野駅、江田駅からも遠く、さらに南側は、港北ニュータウンがあり、大規模な商業施設が出来ています。したがって商業的には大変条件が悪いです。看板だらけでさみしい風景です。


歴史もあり、現在もこのような神社や寺のあるこの街を、何か魅力的にするにはどうしたらよいか。1つは、かつて地元の子供たちが泳いで遊んだ早渕川です。今はひっそりと街と無関係に存在していますが、例えば桜並木などがあり、せせらぎを感じる散歩道になっているといいと思います。今でも、鯉のほかにサギや鴨もいる魅力的な川です。また、真福寺や剣神社は由緒ある文化施設であり、地元が一体となるような、御祭りや神楽その他演劇や音楽があるといいのではないでしょうか。また、この商店街の周辺には、畑や水田など里山の風景が残っており、新鮮な食べ物が付近にあるのですから、都市と農村の接点としての役割があるような気がします。一番の魅力は江戸時代から栄えた歴史のある街だったということだと思います。