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2024/08/07

建築音響の交流の歴史その5

ドイツ出身の音響研究者で、アタナシウス・キルヒャー16011680は、イエズス会司祭で、当時の検討結果をまとめて学術的検討を行い、1850年には「普遍音楽」という本を著し、Wikipediaによれば「観察や実験を重視したという点において中世と近代をつないだ学者であるといえる。この本はバッハやヘンデルに多大な影響を与えたとのこと。主要な部分は「ハルモニア」で、これは音楽だけでなく、星も含めて生きている空間での様々な調和を意味しているようだ。当時の音律の研究もクラシック音楽に大きな影響を与えているようで、ハーモニーのある音楽がクラシック音楽の出現に影響を与えつつある。YABブログ「キルヒャーの普遍音楽と純正律」で、http://yab-onkyo.blogspot.com/2023/05/blog-post_31.html にこの内容は示している。ちょうどガリレオやニュートンの時代で、シェークスピアやセルバンテスやオペラや歌舞伎や人形浄瑠璃が始まった時代である。1492年のコロンブスによるアメリカ大陸発見をはじめ、ヨーロッパに人による大航海時代も始まっている。このことによってヨーロッパの音楽はキリスト教とともに世界中に拡がっていった。

1600年代のアタナシウス・キルヒャーの建築音響を含む研究から一挙に19世紀半ばのヘルムホルツまで飛んでみる。残念ながらこの間の室内音響についての研究はあるはずだが、良くは分からない。ただこのヘルムホルツやレーリーの頃から建築音響をふくむ音響の理論が体系だって来た。キルヒャーの普遍音楽のテーマは広い範囲にわたっているが、ヘルムホルツやレーリーも広い範囲を扱っている。キルヒャーの「普遍音楽」には第1巻解剖学音の定義や耳の解剖、声や動物の声、第二部文献学で、音楽の発明、ダビデの音楽、ギリシャ人の音楽とその楽器、第Ⅲ部楽器、リュート・マンドーラ・キタ―ラ、打楽器など、第Ⅳ部比較古代人の楽器、音楽の力、グレゴリオ聖歌、多声音楽、第Ⅴ巻魔術 自然科学、協和音と不協和音、音の共感と反感、劇場の音楽、ハーメルンの子供たち、音響の魔術、建築に含まれた錯覚の道具、反響の魔術、第五部、奇蹟論共感の音楽をどのように作ればよいか、第Ⅵ巻類比天上のシンフォニー、脈のハルモニアと人体の脈の動き、統治界の調和性、統治の世界音楽、神の音楽あるいは神と地上世界との調和、などが書かれていて、司祭としての内容を含む広い範囲の音響的なことが書かれている。

ヘルムホルツの「On the Sensations of Tone 」では目次を追うと、PARTIn General, On the Composition of Vibrations, Analysis of Musical Tones by the Ear, On the Differences in the Quality of Musical Tones, On the Apprehension of Qualities of Tone, PART Combinational Tones, On the Beats of Simple Tones, Deep and Deepest Tones, Beats of the Upper Partial Tones, Beats due to Combinational Tones, Chords, PARTⅢ General View of the Different Principles of Musical Style  in the Development of Music, The Tonality of Homophonic Music, The Chords of the Tonal Mords, The system of Keys, On Discords, Laws of Progression of Parts, Esthetical Relations

上記Google 翻訳「PARTⅠ全般、振動の構成について、耳による楽音の分析、楽音の質の違いについて、音色の質の把握について、PARTⅡ 組み合わせ音、単音の拍子について、深い音と最も深い音、高音部分音の拍子、組み合わせ音による拍子、和音、PARTⅢ 音楽のさまざまな原理の一般的見方 音楽の発展におけるスタイル、同音異義語音楽の調性、調性モードの和音、調性の体系、不協和音、部分の進行の法則、美的関係について」

 ヘルムホルツはOn the Sensations of Tone1863年著)で、音楽と聴覚と楽器音響学につぃて、自然哲学から芸術理論に移行するという試みで、物理的および生理学的音響学の境界、そして音楽科学と美学の境界を結び付けることを目指した。音や音律などの物理的な観点とその人間の感覚について幅広く検討した。この論文に先立ち、1847年「力の保存について」という論文を書いて「エネルギー保存則」を定式化したことでも有名だ。この時彼は医学の研究者であった。これは「もっとも基本的な自然法則となり、19世紀後半の電磁気学の理論に体系化につながり、マクスウェルの理論の形成に大きな役割を果たした。

1888明治21音響物理学者の田中正平が、このヘルムホルツのもとに留学して、純正調オルガンを完成させ、指揮者のハンス・フォン・ビューローが「エンハルモニウム」と命名し、ドイツ皇帝の前で、御前演奏された。明治時代の中期に音楽の最先端での交流が日本とドイツの間であった。さらに音響技術者にとってはこの本の中で、ヘルムホルツの共鳴器の発明は周波数分析器(楽器のチューニング)として用いられただけでなく、有孔吸音板として録音スタジオなど多くの建物に利用されるようになっている。

実は、研究分野は異なるが、マルクスは18671897年で資本論を書き、資本主義経済の分析を行った。この資本をテーマにした経済学全般の分析の方法は同時代のヘルムホルツの1863年のOn the Sensations of Toneの音などに対する分析方法が物理学、音律やさらに感覚にまで広い範囲まで及んでいるところから、分析の方法が似ているような気がする。次ぎに述べるレーリーの論文も物理学の範囲が広く、しかも奥が深い。我々にとってTheory of Soundが一番印象的であるが。

1878明治11 Lord Rayleigh Theory of SoundRayleigh) 今日の音響学の理論体系が完成した。レーリー卿(Lord Rayleigh寺田寅彦(昭和五年十二月、岩波講座『物理学及び化学』)

https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/43083_23775.html 以下はその抄録である。

 1842年の1112John William Struttが生まれた。レーリー卿の本名である。Cambridge大学で、1865年研究を始めた。読書はマクスウェルの電磁気論(1865)や、マクスウェル及びヘルムホルツの色の研究、それからストークスやウィリアム・タムソンの主要な論文を読み、またミルの論理学や経済論を読んだ。彼が音響の問題に触れるようになった動機は、ドイツ語の練習のためにヘルムホルツの Tonemspfindungen を読んだのが始まりだそうだ。1873年にレーリー卿になり、1877年に彼の Theory of Sound の初版がされた。足掛け5年が必要だった。1876年頃から音の方向知覚の問題に興味を感じていたが、1906年に到って、両耳に来る波の位相の差がこの知覚に重要な因子であることをたしかめた。彼は自分でもしばしば言明したように、全く自分の楽しみのために学問をし、研究をした。興味の向くままに六かしい数学的理論もやれば、甲虫の色を調べたり、コーヒー茶碗をガラス板の上に滑らせたりした。彼にはいわゆる専門はなかった。しかし何でも、手を着ければ端的に問題の要点に肉迫した。1904年にはノーベル賞を、1905年には王立協会の会長に選ばれた。1908年ケンブリッジで名誉総長デヴォンシャヤー公が死んで、その椅子レーリーに廻って来た。除幕式は19211130日、ジェー・ジェー・タムソンの司会の下に行われた。その時のタムソンの演説は「レーリーの仕事はほとんど物理学全般にわたっていて、何が専門であったかと聞かれると返答に困る。また理論家か実験家かと聞かれれば、そのおのおのであり、またすべてであったと答える外はない。」

以下はTheory of Sound の各項目の題目を示した。

Theory of Sound ContentsVolume one  Historical Introduction By Robert Bruce Lindsay, Preface, Introduction, Harmonic Motions, Systems having one degree of freedom, Vibrating systems in general, Vibrating systems in general, Transverse vibrations of strings, Longitudinal and torsional vibrations of bars, Lateral vibrations of bars, Vibrations of membranes, Vibrations of plates, Curved plates or shells, Electrical vibrations, Volume two, Aerial vibrations, Vibrations in tubes, Special problems, reflection and refraction of plane waves, General equations, Further application of the general , Theory of resonators, Applications of Laplace’s functions, Sherical sheets of air, motion in two dimensions,  Friction and heat conduction, Capillarity, Vortex motion and sensitive jets, Vibrations of solid bodies, Facts and theories of audition,

上記をGeogle翻訳した。

音の理論 内容:第 1 巻歴史的序論ロバート・ブルース・リンゼー著、序文、序文、調和運動、1 自由度を持つシステム、振動システム一般、振動システム一般、弦の横振動、棒の縦振動とねじり振動、棒の横方向の振動、膜の振動、プレートの振動、湾曲したプレートまたはシェル、電気振動、第 2 巻、空気振動、管内の振動、特別な問題、平面波の反射と屈折、一般方程式、一般方程式のさらなる応用、共振器の理論、ラプラス関数の応用、二次元の空気および運動の平面的な動き、摩擦と熱伝導、毛細管現象、渦運動と敏感な噴流、固体の振動、聴覚の事実と理論、

Theory of Soundでは音の。伝搬、音の損失は距離減衰のほかに、粘性損失や熱損失や酸素や窒素の分子吸収などがあるまた安定した平衡位置の周りで制約された型で振動するモード形状を仮定し、運動周期における位置エネルギーと運動エネルギーの最大値を等しく設定することにより、連続体系の自由振動の基本固有振動数を評価する、この計算手順はレーリー法として知られるようになった。 しかし、リッツは 1908 年に、周波数とモード形状を決定し、複数の許容変位関数を選択し、位置エネルギーと運動エネルギーの両方を含む関数を最小化するための有名な方法を確立しこの手法はレーリー・リッツ法と呼ばれた。


1895(明治28)  W.C.Sabine残響理論の発表。このことによって、室内音響学が誕生。

「残響時間は幾何音響学において、室内音場を評価する上で最も基本的な概念である。云々、定常状態でE0=4W/CA 定常状態で音源を止めると、t­=0W=0, E=E0とおけばEE0e-cA/4V/t 減衰式で、減衰率D(dB/s)はD=10log10ecA/4V (dB/s)で、残響時間T60B減衰する時間であるからT=60/D=6*4V/cAlog10eとなってSabineの残響式を得る。」※建築・環境音響学、前川純一著、ただしこのSabineの残響式では一般の吸音力がある部屋では使えなく、少なくともEyringの残響式を用いる必要がある。または空気の吸音を考慮したEyring-Knudsenの残響式を一般には用いている。

Sabineについては、この残響理論だけが紹介されているが、Harvard University PressからSabine Collective papers on acousticsという論文集(11論文)が出ている。特に後半の記述は、Boston Music Hall(のちボストンシンフォニーホール)の建設時に用いた音響設計の例が含まれている。20世紀の室内音響の理論的展開の嚆矢となる1900年の画期的な論文である。

https://archive.org/details/collectedpaperso00sabiuoft/page/12/mode/2up?ref=ol&view=theater

CONTENTS

1.    Reverberation (The American Architect,1900) Page3

2.    The Accuracy of Musical Taste in Regard to Architectural Acoustics. The Variation in Reverberation with Variation in Pitch (Proceedings of the American Academy of Arts and Sciences, Vol.XL, No.2. June, 1906) page69

3.    Melody and the Origine of the Musical Scale (Vice-Presidential Address, Section B, American Association for the Advancement of Science, Chicago, 1907) page107

4.    Effect of Air Currents and of Temperature (Engineering Record, June, 1910) page117

5.    Sense of Loudness (Contributions from the Jefferson Physical Laboratory, Vol. vⅢ、1910)  page 120

6.    The Correction of Acoustical Difficulties (The Architectural Quarterly of Harvard University, March,1912 page131

7.    Theatre Acoustics (The American Architect, Vol.C, p.257) page163

8.    Building Materia and Musical Pitch  page199

9.    Architectural Acoustics (Journal of the Franklin Institute, January, 1915) page219

10.  Insulation Sound (The Brickbuilder, Vol. xxiv, No. 2, February, 1915) page237

11.  Whispering Galleries    page255

Appendix On the Measurement of the Intensity of Sound and on the Reaction of the Room upon the Sound  page277


この項目のうち、最初のReverberationの項について取り上げる。

1. 残響 (The American Architect1900)  page3

音響上の問題で、現実の講義室の改善をいくつも指示された。最大限の有効性を得るためには、聞こえるためには、音が十分大きいこと、同時の存在する複合音が適切な音の大きさであること、会話や音楽による連続音が明瞭で、互いの音や外部の騒音がないことが重要だ。音の干渉や共鳴現象、双方とも悪影響を及ぼす。「共鳴」という言葉は、「残響」や「エコー」と同義語として漠然と使われており、科学文献では、この用語は、弾性体の振動運動が、その自然な振動速度に合わせて周期的な力を受けると増大するという現象をさす。音はエネルギーであり、限られた空間で生成されると、境界壁によって伝達されるか、他の種類のエネルギー (通常は熱) に変換されるまで継続する。音が吸収される速度に比例する。最初の作業は、さまざまな物質の相対的な吸収力を決定すること。クッションやカーテン、ラグ、布、キャンバス、フェルトなど、また男女の人も吸音力を持つ。さらに吸音力はオルガンパイプの音が止まった電流は、クロノグラフの最初の記録にもなり、観測者の唯一の義務は、音が聞こえなくなったときに記録を取ること。可聴時間は、音源の位置とはほとんど無関係である。また吸収材が通常の状態で残留音の持続時間を短縮する効果は、その位置にほとんど関係がない。クッションを使用して作業する必要があるが、結果は開いた窓の単位で表す必要がある。窓の吸音力はクッションと同様に面積に正確に比例している。

オルガンパイプの音とあるが、ドレミファのでるオルガンの1部の音ではなく、多分ノイズと思われる。以下の本文にあるオルガンパイプの図を示す。

今実際に行われている残響に対する考え方と大きく異なる。まず音源はオルガンパイプによる多分全帯域のノイズであるが、周波数特性は表されていない。また空気吸収については吸音力は残響については無視できると書かれている。ただ残響について何もないところから実験によって汲み上げていくところが大変興味深い。

オルガンパイプの標準の音源は最小可聴音の60B大きなものであるが、これが基準になっている。窓開口部の解放された面積の吸音力は基準1m2で、任意の部屋の残響曲線は直角双曲線の式(α+x)×t=kと表される。αは室の吸音力、xは家具や観客の吸音力、tは音源が減衰するまでの任意の時間、k=任意の部屋の双曲線の形状を決定するパラメータ。ただしαT=k=KVの関係からKの値を実験的に求めていく。Vは室容積である。

この数字を決定するために様々な実験を繰り返し求めていく。室の吸音力には壁や床や閉じられた窓ガラスなど、観客の吸音力や家具の吸音力なども実験によって確認する。最後の項では実際のホール、この論文ではボストンミュージックホール(現在はボストンシンフォニーホール)をライプチッヒゲヴァントハウスと比較しながら検討をする。このゲヴァントハウスはボストンミュージックホールとは収容人員や室容積が大きく異なり、単に仕上げを同一にしたところで残響は同じようにはならないことが書かれている。これらの努力でボストンシンフォニーホールが音響的には、世界で最も重要なホールとされている。

大正71918年に早稲田大学の建築学科の内藤多仲がHarvard大学のW.C.Sabineを訪れ、日本で最初の建築音響学の資料を持ち帰ったことが歴史に残されている。多分この技術が、昭和2年 1927年、早稲田大学の佐藤武夫による大隈講堂につながっていくことになる。

さらに常磐津の鈴木英一さんの紹介で、早稲田大学文学部の児玉隆一教授の案内で、20155月にクレメンスさん、アントニオさん 東大の森下先生、藪下晶子、私と早稲田大学の大隈講堂の音響測定をすることができ、この結果はクレメンスさんのドクター論文「Symphonic Concert Life and Concert Venues in Tokyo 1868-1945」につながったと感じている。

藪下晶子は、現在YABRugs(RugLife)という会社の代表で、先日ブログに書いたクルグズのコムズコンサート、 クルグズの壁掛けの刺繡布トゥキッシュ・キーズ展に合わせて、企画されたが、この展覧会の主催者の一人である。 https://yab-onkyo.blogspot.com/2024/07/blog-post_29.html