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2024/10/22

自由学園明日館および講堂の見学

 日時:20241019日(土) おおよそ11時から 曇り

場所:自由学園明日館および講堂、池袋駅近く、

施主:羽仁もと子・吉一夫妻、設計:フランク・ロイド・ライト+遠藤新、ライトが帝国ホテルを設計中に、同時にこの自由学園の設計を依頼することが出来たようだ。

元飛島建設 設計部の松本聖一郎さんの提案で、自由学園明日館および講堂と、さらに目白庭園にも行ってみた。自由学園は、池袋駅の東京芸術劇場近くを出てから、少し迷路のような細道を10分程度で歩いて行ける、主に平屋建ての校舎である。パンフレットによれば、大正11年(1922)に中央棟、西教室棟が、大正14年(1925)に東教室棟が、昭和2年(1927)に講堂が完成したと。現在は、自由学園そのものは東久留米市に移転した様で、この建物は、関東大震災や第二次世界大戦の時の大空襲でも焼かれず、無事残ることが出来き、さらに東久留米市に移動した後は、この建物は明日館として卒業生の活動の拠点として残したようだ。現在は重要文化財となっているが、生きた文化財として結婚式などにも貸し出されて活躍しているようだ。今日は、一般に開かれた見学日とされている。

敷地の入り口を入ると、まず中央のホールの外観が目に付く。ステンドグラス風の窓は、コストのために、実は木製で出来ている。女学校当時には、毎朝礼拝をしていたとのこと、またこの北側に半階上がって食堂となっていて、更に半階のぼると展示室がある。南の光はこの展示室から食堂に流れるようになっている。

講堂は道を隔てて、反対側にある。写真は、松本さんが声を出したり、手をたたいたりして、響き具合を調べた。実は建物には吸音材風の材料が見当たらず、長椅子に椅子に合わせた座布団が設置されていて、これが吸音材の役割をしているようだ。したがって声は大きな響きもなく、声はよくとおっていた。

 また各室に暖炉があるようだが、各室床に長細い大きなガラリがあり、床吹き出しの空調もついていた。大正時代の建物だが、この様な設備は一般的な学校にはなく、私の経験でも、70年前の小学校では、各教室にダルマストーブがあるだけだった。このように様々なところが、手が込んでいて、サッシもステンドグラスのような木製の桟があり、壁にも模様があった。またホールには生徒が書いた壁画があった。光の取り扱いも食堂を見るとよくわかる。講堂も響きの調整をよくしていると感じた。やはり重要文化財と感じた。


                   写真:中央のホール外観

            写真:中央ホール内観、人物は松本さん、この反対側には暖炉がある。

         写真:半2階の食堂 部屋中央に暖炉があり、更に半階のぼると展示室がある

             写真:食堂の照明、ライトらしいデザイン

            写真:講堂、声が通るか実験をしているところ




ここを出て目白駅に向かう途中に和風の目白庭園があった。かつて武家屋敷だったのではなく、赤い鳥という雑誌を記念して作ったようだが、その後豊島区の施設となったようだ。自由学園を見た後なので、一息入れた。池に向かってあずま屋があり、そこから池の錦鯉が見れた。さらにアオサギの像が池の縁にあった。この風景は、毎朝早淵川を散歩しているときの風景に重なる。コイは同じような大きさのコイが20数匹、川の中で泳いでいる。またアオサギやシロサギや鵜や鴨はその時々でいて、もちろん生きているものだ。何となく比較してしまう。早淵川の方が自然、生きた世界で、しかも美しい。この庭園は美しいが、アオサギの像は不要な気がする。