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2025/08/30

宮地録音スタジオの紹介

2021年の夏、倉敷にある宮地録音スタジオが竣工し、音響測定にいっていらい、音沙汰はなかったが、最近YOUTUBEで、宮地さんの録音スタジオでの演奏風景が見られるようになった。Ryo Miyachi-YouTube で宮地さんの演奏風景を見ると、倉敷にある録音スタジオで演奏されたものはYouTubeの中のSo far way / Ryo Miyachi - Takuma AsadaMinas / Ryo Miyachi - Takuma Asadaというものと、acustica-Ryo Miyachi  x  Yosuke Onuma x KanThe Elements / Ryo Miyachi "acustica" feat. Yosuke Onuma & Kan4つがあった(今のところ)。いずれも音質は大変クリアだ。いずれの曲もたんたんとしていて、物静かな感じで、何か自然を感じる響きのある曲だ。宮地録音スタジオの施主は宮地 遼 氏、建築設計は井上商環境設計株式会社、施工は株式会社 藤木工務店、宮地さんはベースギター演奏者である。

写真:So far way / Ryo Miyachi - Takuma Asada

写真:Minas / Ryo Miyachi - Takuma Asada(左:宮地さん)


写真:acustica-Ryo Miyachi  x  Yosuke Onuma x Kan (左:宮地さん)

写真:The Elements / Ryo Miyachi "acustica" feat. Yosuke Onuma & Kan

宮地さんは、板橋のRebornWoodスタジオ(トライビートスタジオ)でJAZZを演奏しYouTubeにアップしていて、そのスタジオを気にいってくれて、わたしを紹介してくれたようだ。2020年のことだ。                                                    

この建物がほぼ竣工して、音響測定をしたのは、2021 7 6 日(火)である。設計では、スタジオは可動間仕切りで仕切られるのようになっていて、簡易的にスタジオAとスタジオB と名付けた。上記YouTubeではいずれもスタジオBの場所でとられている。スタジオAは主にピアノを対象としたゾーンで、多少反射性(吸音率0.24/500Hz)で、スタジオBは、主にドラムを対象としたゾーンで、多少吸音性(吸音率0.30/500Hz)である。可動間仕切りを用いない場合の残響時間および閉じた場合のそれぞれの残響時間を示す。またそれから吸音率を求め、グラフに示している。またコントロールルームは更に演奏場所として用いることもできる。吸音率の変化は、内装の不燃木材の板幅とスリットの間隔で変化させている。

残響時間の測定方法はISO3382-1に示されているインパルス積分法による残響時間測定による。残響時間の音源は、TSP信号(スイープパルス)をアンプで増幅し、無指向性12面体スピーカ(TOA AN-SP1212)および箱型スピーカ(低音用30cmウーハーFOSTEX FW305))から放射した。音響測定用ソフトはDSSF3を用いた。測定時の写真も併せて示した。

また20251012日(日)に新百合丘トウエンティワンホールで、宮地さんのグループacoustica がコンサートをやる予定だそうだ。



写真:スタジオB方向を見た。当時コロナが流行り始めていて、マスクをしている。


写真:スタジオA方向を見た。左側に可動間仕切りが見える。

写真:コントロールルーム 録音機材はまだ搬入されていない。

写真:残響時間測定システム













2025/08/19

芥川 也寸志 生誕100年 誘う童心 目指した「みんなの音楽」

上記は、朝日新聞2025630日の片山杜秀の蛙鳴梟聴(あめいきょうちょう)の記事の表題である。芥川也寸志は作曲家で生誕100年。誕生日は712日だそうだ。「シンフォニーから映画音楽まで。狭い音域での足繁き往来が芥川の真骨頂。NHK大河ドラマ「赤穂浪士」のテーマ曲が真骨頂。そういう型の旋律は世界の子守歌や童歌に多い。狭い音域は原初的。幼児にも歌いやすい。」 NHKの大河ドラマ「赤穂浪士」は1964年に放映されたものだ。本文中に、「芥川が日本と国交の途絶えていたソ連を初訪問し、中国にも行ったのは、1954年の10月から翌年2月にかけて。」

 今でも大河ドラマ「赤穂浪士」のテーマ曲はよく覚えていて、口ずさむことができるほどだ。目指したのは「みんなの音楽」と言うことがよくわかる。それで思い出したのは、小泉文夫の日本の音楽のトラコルド理論である。オクターブに至らない音程で、あらゆる民謡の中で強固な単位をなすのがテトラコルドである。この二人の間に、このテトラコルドに関する共通点があるかもしれない。 

 芥川也寸志 生誕100年の私の文章は、以下のブログの「建築音響の交流の歴史その16 童謡、さらにテトラコルドに関連して」 http://yab-onkyo.blogspot.com/2025/07/16.htmlの続きに当たるようだ。小泉文夫が、日本伝統音楽の研究1 <民謡研究の方法と音階の基本構造> を音楽の友社で昭和33年に出版している。昭和33年は1958年で、小泉のこの年代は芥川の活動年代と似た位置にある。小泉文夫は、クラシック音楽に対して、世界の音楽と相対化させてみた。芥川也寸志は「「カチュウシャ」や「ともしび」を歌い、ショスタコーヴィッチの交響曲を聴く。違和感がない。ソ連の大衆音楽と芸術音楽には何か横串が通っている。中略、、、見本はどうか。浪曲とジャズ歌謡と山田耕筰。串が通らない。一個人の中でさえ趣味が分裂。おかしい。」「親ソ、親中、新アジア。新米国家たる日本の戦後史で、常に芥川は逆張りだった。芸術音楽と大衆音楽を高い理想のもとに織りあわせて「みんなの音楽」を結実させる試みも幻のまま。しかし童心を喚起してユートピアへの旅に誘う彼の作品は、今なお「みんなの音楽」を待望してやまない。」 しかしソ連だけではないかもしれない。ウイーンではオペラやヨハン・シュトラウスもまじえて、ひとびとが音楽を楽しんでいることがよくわかる。当時NHKの建築部にいて、NHKホールやスタジオを施主側で設計した浅野さんとさらにホラインと東京フォーラムの共同設計をしていた人たちとウイーンの森のレストランに言ったら、ワインが出てきたらヴァイオリン弾きも来て、多分ウイーンワルツを弾いてくれた。これらについてウイーンも一本串が通っていると感じられる。多分串が通っているのはソ連やウイーンだけではない。浅野さんは多分1933年ごろの生まれである。芥川より少し若い。芥川の先生だった伊福部昭の曲を私に紹介してくれたのも浅野さんだった。

 多分日本のクラシック音楽は、明治維新の時に、日本にもともとあった音楽を否定しながら鹿鳴館文化のように、輸入したこと、また第二次世界大戦によってわが国は敗戦になって、さらにこの傾向が強くなったことがあげられるように思う。戦後すぐ歌舞伎座で赤穂浪士の上演が禁じられたのは進駐軍が仕返しを恐れたからだと言われている。今ではたいへん人気の演目なのに、戦後すぐにはいろいろ制限があったに違いない。

 そういえば、服部幸雄が書いた「大いなる小屋」(1986年平凡社刊)は、江戸時代から続く芝居小屋に焦点を当てたものである。最初のページには、享和三年(1803)刊『戯場訓蒙図彙(しばいきんもうづ)』を紹介している。戯作者式亭三馬が著したもので、劇場を一つの国と見なし、「戯作者流の一趣向と承知のうえで、劇場と観客と演劇そのもの、その三つを一つに統一する観念上の総体として「戯場国」となづける一宇宙を設定、、、」 本の最後のページには「国なり東京都なりの公共施設として、江戸様式の「大いなる小屋」の復元することはできまいか。私は、そこで江戸歌舞伎が復活する日を夢見ているのである。」 この本は私にも大いに影響を与え、私の芝居小屋の音響調査のきっかけを作ってくれた。残念ながら新たな芝居小屋が復元するというような話はいまだなく、最近は川越で芝居小屋の鶴川座だったところが、私も参加していたが、住民の復原活動にもかかわらず、解体され、ホテルに立て直されてしまったこともある。服部幸雄は1932年生まれ、小泉文夫は1927年生まれ、芥川也寸志は1925年生まれで、ほぼ同時代の活動年代である。明治維新および第二次世界大戦の敗戦後の日本の音楽や演劇の動きに反発して正常化しようとする動きといえる。

 芥川也寸志の「みんなの音楽」の続きになるような気がするが、最近和楽器と洋楽器の合奏が時々テレビに出てくる。三味線とピアノなどや尺八とヴァイオリンや箏などである。曲はポップスやジャズなどである。実は私は脳梗塞の後遺症で、アルトサックスは、首の筋肉に力が無くなり吹けなくなったけれど、その代わりに2年前に尺八を買って練習をしている。曲は「赤とんぼ」、「あんたがったどこさ」などの日本的な曲ばかりでなく、坂本龍一作曲の「Merry Christmas Mr. Laurence 」や「Take the “A train」 などのジャズの曲も吹いている。このA trainを吹いていると、あきらかにこのtrainは蒸気機関車だと言うことがわかる。尺八だと蒸気の息を感じられる。Imaginは機関銃が不連続に発射されている様子が見えてくる。しかし尺八では歯切れが悪く、乾いた音にならない。そういうのも感じられて楽しい。

 このように明らかに芥川也寸志の心意気を継いで新たな音楽の時代にはいりつつある。ただ芝居小屋についてはいまだ問題である。いまある国立劇場は、開館は1966年で、多目的劇場を追及して設計された劇場のために、歌舞伎劇場とは花道周辺が大きく違い、花道の後ろの壁は単なる灰色の壁である。そういうディーテールだけでなく、202310月に建て替えのため閉館したが、立て直すPFIの主体が建設費の件などで決まらず、しかも内容もきまらず、もうじき閉館して2年になってしまう。国が国立劇場に対して好意的になっていない気がする。服部幸雄が大いなる小屋を書いた1986年には、この国立劇場もできていて、もちろん歌舞伎座もできていた。この歌舞伎座は舞台間口が27mもあり、単に大人数の観客を収容するためとしか考えられない。国立劇場は役者やその卵たち、更に、舞台技術を担当する人たちにも早く再開が望まれるところであるが、それだけでなく服部さんが復活することを夢見ていた芝居小屋はいまだ実現できていない。劇場と演劇と観客を一体とする劇場の復活が望まれる。ちょっとだけ付け加えると、常設小屋ではないが、故中村勘三郎がたてたテントの平成中村座がある。そこには芝居小屋の雰囲気がある。服部さんの希望が少しかなえられたかもしれない。もう一つ、横浜ボートシアターの船劇場は現在一般の人がいけない場所にある。これを公共の場所に係留できたら、この船劇場も芝居小屋の範疇に入るような気がする。山下埠頭再開発の中に船劇場を組み入れられたら良いように思って、現在市民運動中である。

 


2025/08/15

建築音響の交流の歴史 その17 篠笛の音

私のもっている横笛、中国の竹笛(G尺)、韓国の多分ソグム、(ただしプラスチック製 ソウルの公園で購入、韓国には尺八を横笛のようにした横に長いテグムという笛もある)、弘前ねぶた囃子の篠笛、この指穴のあけ方はソグムとほぼ同じ。


写真 上段 中国の竹笛、中段 韓国の横笛ソグム、下段 ねぶた囃子の篠笛

さらにお囃子の篠笛:私の所有している篠笛は、獅子田製のお囃子用の篠笛で、4本調子、5本調子のものである。お囃子は大太鼓、締太鼓2台と篠笛、さらにチャンチキで演奏し、篠笛はメロディー部を演奏する。なお私が元関係していたお囃子は荏田のお囃子である。今は脳梗塞を患ったために参加できていない。



写真:篠笛 上段:5本調子、下段:4本調子

 篠笛の音律と平均律

篠笛の指孔はほぼ等間隔であけられている。ピアノの鍵盤は等間隔であるが、たたかれる弦はドレミに合わせて作られている。したがって弦の長さは、指数関数的に、21/12ずつ変化している。すなわち対数尺でほぼ等間隔にあけられるので、篠笛とは多少音律が異なっている。平均律の周波数と、計測した篠笛の周波数について、下表で比較してみる。篠笛の音の周波数は、下記のようにFFTにより実際に笛を吹いて音を出して周波数分析を行ったものである。5本調子の篠笛と平均律*2とを比較すると、篠笛/平均律は11.1程度の違いであるが、ドについては1.046倍であるが、ミの音が1.117倍、ソの音が1.136倍と一番ずれている。平均律で慣れている人には、このミからソまでの音は少しづれていると感じるかもしれない。4本調子の篠笛の場合には、全体的に平均律より低い音になっていて、しかもミからシまでは平均律よりさらにより低い音になっている。

表 平均律と篠笛の周波数の比較

音名

C4(5)

D4(5)

E4(5)

F4(5)

G4(5)

A4(5)

B4(5)

C5(6)

音名

ファ

平均律

261.6

293.7

329.6

349.3

392

440

493.9

523.2

平均律*2

523.2

587.4

659.2

698.6

784

880

987.8

1046

篠笛5本調子

500

550

590

630

690

800

900

1000

平均律/5本調子

1.046

1.068

1.117

1.108

1.136

1.100

1.097

1.046

篠笛4本調子

450

490

520

580

620

690

800

900

平均律/4本調子

1.162

1.199

1.268

1.204

1.265

1.275

1.234

1.162

※篠笛の音階は、実際の音をFFT分析した値、上のドは下のドの2倍にしたものである。

 

図 篠笛 5本調子のドの音のFFT分析結果、500Hz位が基本周波数

 したがってお囃子用の篠笛(5本調子)もお囃子や獅子舞の時に使う因幡のほか、平均律とは大きく違っているわけではないので、五線譜を見て、「ねんねんころりよ」、「赤とんぼ」、「ふるさと」、「東京音頭」、「よさこい節」、「あんたがったどこさ」などの日本的な曲や、さらに坂本龍一作曲の

Merry Chiristmas Mr.Laurence 」、プッチーニのオペラジャンニ・スキッキの中の

「私のお父さん」なども吹けるようになってきた。

 






2025/08/04

JAZZ ME DANCEのコンサート 舞台と客席の一体感への試み

 日時:202582日(土) 開演1400

場所:ボッシュホール(都筑区民文化センター) 客席は300

タイトル:JAZZ ME DANCE このタイトルは JAZZ ME Bluesから来たようで、多分JAZZは私をBLUESにさせるをもじって、JAZZは私を踊らせるというような意味かも。

演奏は、各個人名はチラシにあるが、グループ名は書かれていない。ただし司会は紗理さんで、VOCALを担当している、またDANCEはすけさん(戸山雄介)さんです。

このボッシュホールは、隣接したボッシュの本社と、一体に開発された都築区民センターで、その中にボッシュホールと名前をつけたホールがある。ホールは音響反射板を備えた多目的ホールであるが、舞台と観客の交流などのような、積極的な何かこれといったホールに対する意識が感じられない。建設工業新聞(2025317())によれば、ボッシュホールの設計施工は竹中工務店、ボッシュ本店の設計施工は大林組である。

実はJATET(劇場演出空間技術協会) の機関紙No.952024/25WINTER版で、西 豊彦氏が、米国ヴェニュー訪問記2024のいくつかの新しいタイプの馬蹄形のホールを見学したあと、おわりにに「ワーグナー祝祭劇場から始まった扇型の客席は今日では、映画館と同じパースペクティブな機能しか持たず、観客の反応をむしろ阻害するという考えが欧米の劇場設計の主流になっていることに国内の劇場は追いつけていない。」を思い来させるものだった。そういえば、20年ほど前になるが、磯子区民センター杉田劇場の設計に私が音響でかかわった時には、ACT環境計画の林さんが劇場技術でかかわり、前方に桟敷席や、可動の花道を作り、15年ほど前には清瀬市民会館の改修時に、空間創造研究所の草加さんが舞台技術で参加し、やはり桟敷席を設置し、扇型のホールを変更して、初期反射音を客席に返るようにし、観客席を取り囲む桟敷席を設けることが出来た。

      写真:杉田劇場の低音用のスピーカによる残響測定、右側に桟敷席を設けている。

             さらに花道も可動で床から出てくる。

  写真:清瀬市民会館の改修時の音響測定、桟敷席を新たに設置した。扇型だった平面が、このことで初期の側方反射音が客席で得られるようになった。

これもやはり15年ぐらい前になるが、IMAYO CREATIONの今用さん、作曲家のテン先生とカザフスタンのアスタナホールの改修計画をたてた。現状は1方向の客席であったが、これに図のように舞台・客席を取り囲むように、桟敷席を設ける計画案をたてた。どの案もいかに舞台と観客席とを一体化するかという試みである。

                図 アスタナホールの現状の平面図

               図 桟敷席を追加した改修案

               図 桟敷席を設けた改修案

ボッシュホールの単に視覚的に頑張って作ったが、舞台と観客との一体感の見られない雰囲気と書いたが、コンサートのチラシには「193040年代のスイング時代に活躍したダンスバンド(ビッグバンド)ではステージセッティングが演出やバンドの個性と密接にかかわっていました。」「、、、、ドラムソロや華麗なスティックさばきを客席からよく見せるため、前方に配置されていました。さらにサヴォイ・ボールルームの様なダンスフロアでは、観客やダンサーと一体感を出すため、ドラムを前方に置くことで、距離を縮める工夫をされていました。」とあり、チラシに説明はないが、多分サヴォイ・ボールルームの写真もあった。このサヴォイ・ボールルームは、平土間で、演奏者とダンスをする人が同じフロアに存在している。以前私は横浜ボートシアターが遊行寺の本堂で小栗判官・照手姫の公演や、日暮里サニーホールでのガムランの演奏も平土間で、行っていて、舞台と観客席が同一フロアだと、一体感が生まれてくることを感じた。サヴォイ・ボールルームでも同一フロアにして、演奏者とくに強いリズムのあるドラムを前面に出し、ダンスをする人たちと一体になるように試みたと思う。

写真:サヴォイ・ボールルーム(多分)の写真、チラシから抜粋

このようにチラシに書いてあって、今回は演奏者側が観客といかに一体感を出すかということに努力していた。

まえがきが長くなってしまったが、公演は素晴らしかった。 チラシのようにドラムは演奏者の前面に設置しており、有名なOn the Sunny Side of the Streetも素晴らしかったが、非常に感動したのは、ドラムのみとダンスの場合で、気持ちがわくわくした。さらにドラムをたたきながら黒人霊歌を唄ったときも素晴らしい声だった。チャールストンを踊ってみようというところでは、観客全員を立たせ、チャールストンの基礎的な踊りを教え、皆さんにチャールストンにデビューしてもらったと喜んでいた。またテナーサックス奏者の中村誠一さんは、生まれは私と同年1947年で、しかもこれも格好がよくて感激した。

 


 










写真:シーリングライトのために、天井が凹んでいる部分があり、天井の反射音が連続しなくなる。

写真 サイドスピーカ、こんかいのJAZZコンサートはマイク及びスピーカを用いていたが、300名のホールでは歌手以外は必要なのだろうか。一度使用しない音を聞いてみたい。音の方向感が明瞭になり、臨場感が増すような気がする。