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2024/07/29

クルグズ民俗音楽のコブスによるコンサート

 クルグズの壁掛けの刺繡布トゥキッシュ・キーズ展に合わせて、企画されたウメトバエワ・カリマンによるコムズコンサート 場所:vivid Kギャラリー 、時刻:2024727日(土)開演1730から1900まで

観客は15名程度、カリマンさんがキルギス(旧ソ連時代の名前、今はクルグズ)にいったことのある人と言いかけて、行ったことのない人という質問をしたところ私を含めて34名しかいなかった。ほとんどが行ったことがある人たちであった。

カリマンさんの生徒さんと紹介された男の人が合奏時に演奏に加わった。ソ連時代に合奏が始まったようだ。またカリマンさんがなんとかを演奏すると言って、暫くして間違えた、違う曲を演奏してしまった、といったら観客のある人が、間違えていないのではと発言してたのでさらに演奏すると、観客のその人が間違えていましたと言い直し、最初から演奏をし直していました。

このように観客と結構コミュニケーションがあった。またこのコブスにはどうも楽譜がなく、口伝えで伝承する形の様だ。さらに手の身振りによる表現も演奏のうちにふくまれている感じだ。さらにコムズを肩にしょったりしながら演奏もしていた。またコブスは3弦でフラットのない楽器で、杏子の木からつくられたひょうたんをたてに割ったような平らな形で、しかも演奏に加わった人は左利きで、多分3本の弦を上下張り替えて、左利きで演奏してた。かなり扱い方に自由度がある。

さらにモンゴルにある口琴のような楽器でも演奏していた。この音にあわせてコブスも調弦をしていた。

以下の写真に示すように、演奏者の周辺は刺繍がされた布があり、それなりに吸音された空間であり、この楽器には好ましい空間のように思われた。

実は私は20年ほど前にカザフスタンに行って、ドンブラ用のホールの音響設計をするつもりでいた。これも現在のカザフスタンのホールはクラシック音楽用につくられていると思われたが、2弦でフラットのあるマンドリンのような形のドンブラの起源は、遊牧民の家のユルトの中ではないかと思われる。ユルトの表面は、羊の毛皮で作られたフェルトで、強いて言えば吸音材で出来ている。したがってドンブラの演奏はその中か、草原の中の馬の背なかの上で行っていて、したがって残響の短い空間で演奏されていたように思う。したがって新たな設計をするにあたりどうするか悩んだ。しかしリーマンショックで残念ながら計画はなくなってしまった。しかし今回のクルグスのコブスにしろ、ドンブラしろ、さらにはオペラやフラメンコや能・狂言や浄瑠璃など、ホールでは、クラシック音楽とは別の音響特性が必要と感じている。

当日、オペラ モーツアルト 歌劇魔笛 1600開演 江東区文化センターホールで行われた公演も気になっていて、日時が重なっているので、いけなかったが、気になっていた公演である。










2024/07/08

新版 小栗判官・照手姫  遊行寺での横浜ボートシアターの公演

 日時:202476日(土) 14時から17時まで、休憩15分あり、

場所:藤沢の遊行寺 本堂内、

同様の公演の「新版 小栗判官・照手姫」 遊行寺公演が2023年昨年の114日(土)1400より、開催されており、弊社ブログでこのことを以下に載せている。

https://yab-onkyo.blogspot.com/2023/11/blog-post_29.html 

この公演の評価が高かったせいか、再度公演を行ったようだ。しかし更にこの時よりもレベルアップしていた。小栗が、成人になって登場した時に吹いていた横笛(巴烏(バウ))が前回の時にはもう少し短い曲だったが、今回は長い間吹いていた。なかなか吹くのが難しそうな笛だけど無事に吹いていた。筋としてはこのほうが自然だ。文武とも優れて、照手姫と結婚しようとしたとき、照手姫の父が小栗を毒殺してしまい、照手姫も流され、遊女の下働きとして売られてしまった。ただ地獄の閻魔大王の計らいで、餓鬼阿弥となって甦ることができ、閻魔が「このものを熊野の湯に入れよ」と書きつけた札をぶら下げ、藤沢に置かれた。始め照手姫が暇を取ることが出来て、「えいさらえい」と声を出して5日間引き、皆を呼んで、多くの人がかわるがわる「えいさらえい」と引き、これが結構長い間続き、結局熊野の湯に入れることができ、小栗に復活できたという話だ。これらの動きは、この話の中心の話だが、この盛り上がり方が、ガムランなどで使う太鼓やドラムが舞台上手や下手の様々なところ(写真)でたくさんの奏者がかわるがわる演奏されていて、盛り上がりを育てている。ガムランは強いて言えば、淡々としたリズム音楽であるが、今回の演劇は、これらの楽器を用いて、JAZZのように強いリズムで、動きに合わせて演奏していた。能や狂言では音楽や仮面や演技があり、人形浄瑠璃は仮面ではなく人形ではあるが、これも音楽と演技が同時にある。しかし現代演劇ではこのような仮面や音楽や演劇が同時に存在することは相当難しい。しかしオペラもそうだが演奏者と演技者は別に存在している。演奏や仮面に応じて演技もかわるがわる演じるのは、相当な訓練が必要なのではないかと思う。しかしそのことによって物語の変化を大きくしている。たとえばいままで太鼓をたたいていた人が、突然復活した小栗になって、餓鬼阿弥の後ろから入れ替わって登場するなどのことができていた。また最後に人買いとその奥さんが大きなのこぎりで、「えいさらえい」と挽かれる「落ち」まで付いていた。そもそも小栗判官・照手姫は説教節として三味線と共に演じられてきていたものだ。また楽器の琵琶も平家物語などで琵琶と共に演じられてきたが、この音楽と語りの相乗効果もこの横浜ボートシアターの公演には感じられた。今後の新しい動きと感じる。また世の中には戦乱もあり、政情も不安定だ。この「えいさらえい、えいさらえい」が生きろ、生きろと聞こえてくる。いま必要な演劇と感じた。

実はこの公演は夏の暑い時で、しかも室内には冷房などはなかった。ここ藤沢は横浜より12度低いと思われたが、室内でも30度以上と思われ、客席の窓を開けているため、かなり風が入ってきていて何とかしのげている感じだった。ただ客席、普段は信徒の座るいすや、船劇場から持ってきた折り畳みの椅子などで、満席となり、300名近くは居たと感じた。この演劇は遊行寺本堂というところで行われた。一般の劇場ではないところも興味深いところだ。





                                      遊行寺本堂で公演があった。


         舞台のあいさつ時に私の座った位置から撮影した。主催者から許可が得られている。

                                    舞台上手側の楽器群

                                舞台下手側の楽器群、ほぼ中央には横笛のバウが見える。